4)山行の記録
山歩きの記録は、簡単なメモから詳細なものまで残っている。しかし全ての山行が漏れなく書き留められているとは限らない。
山歩きを始めたのは確か1973年(昭和48)頃からだと思うが、どういうわけかその頃の古い記録が全然見当たらない。そもそもメモを作成しなかったか、紛失したか不明である。古い手帳やメモを取りだして記録を整理した。息子を連れて行った山歩きは、子供がが大きくなったら読めるように、詳細な記録を残している。二人の山行はたった2年間であったが、精細な文章が毛筆で認められている。
遺漏はあるものの、多くの記録が残されていることに実は驚いた。将来記録にまとめようなどとは勿論考えもしなかったが、行く度に新たな発見・感動があり、メモに残さざるを得ない衝動に襲われたからに違いない。カメラ持ちなら写真をとるように、小生は「記憶」と「記録」に頼ったものと思われる。
①年度別・登山回数(記録で確認できるものに限る)
1975年(昭和50)1回 1985年(昭和60)0回
1976年(昭和51) 4回 1986年(昭和61)6回
1977年(昭和52) 18回 1987年(昭和62)1回
1978年(昭和53) 6回 1988年(昭和63) 9回
1979年(昭和54) 0回 1989年(昭和64=平成元)16回
1980年(昭和55) 7回 1990年(平成2) 7回
1981年(昭和56) 0回 1991年(平成3)11回
1982年(昭和57) 1回 1992年(平成4) 6回
1983年(昭和58) 0回 1993年(平成5) 9回
1984年(昭和59) 0回 1994年(平成6)9回
合 計 111回
②山系別の内訳
丹沢 25回
大山 10回(丹沢山系合計 35回)
奥多摩 15回
高尾/陣馬 13回
奥武蔵 8回
道志/中央線沿線 9回
奥秩父 7回
箱根 5回
大菩薩 4回
八ヶ岳 4回
北アルプス 4回
南アルプス 3回
中央アルプス 1回 (アルプス合計 8回)
5)登山の展開
小生の山行は、記録によれば20年間で111回である。記録にないものも入れた正確な登山は、20+α年で111+α回ということになる。「単独・日帰り」登山だったので、実際に登った山の数は多くはない。同じ山に何回も行ったことになる。
小生が日帰りで何度も足を運んだ山は、首都圏の高尾・陣馬、奥多摩、奥武蔵、大山、丹沢、大菩薩、奥秩父、八ヶ岳、中央線沿線の山、箱根山等だ。3千㍍に近い八ヶ岳、2千㍍を少し超える大菩薩嶺を除けば2千㍍以下の低山の部類に入る山だが、どれも立派な山でそれぞれに魅力が一杯だった。これらの山域に何度も足を踏み入れたのは、「日帰り」が原則だったせいもあるが、行く度に「また来よう」と思わせる良さを秘めていたからだ。
以下、山系別に概観してみたい。
(高尾・陣馬)
高尾山(599)から陣馬山(857)縦走は登山入門コースみたいで、家族で親しめる。どちらからでも登れる。途中の城山・小仏峠・景信山(727)・明王峠は何とも素敵だ。息子もよく連れて行った。
(奥武蔵)
奥武蔵の山域は、自然歩道・ハイキングコースも含み、家族連れにはもってこいだ。天覧山(195)・多峰主山(とうのす271)・日和田山(305)は超低山の奥武蔵入門のハイキングコースだ。北部の堂平山(どうだいら876)・笠山(837)。正丸峠・クサリ場のある伊豆ケ岳(851)・子の権現(ねのごんげん)のコースはポピュラー。千㍍を超す大持山(1214)・小持山(1273)。何と言っても盟主は雄峰武甲山(1295)。小生の大好きな山で何回も登ったが、石灰岩採掘のため山頂部分まで削り取られた不運の山だ。しかし、独特の山容を誇る独立峰で、遠くから望んでも直ぐに分かる名山だ。
(道志/中央線沿線の山)
中央線沿線の山もよく行った。千㍍ちょっとの百蔵山(ももくら1033)、扇山(おうぎ1138)の魅力は忘れられない。御正体山(みしょうたい1682)は展望はきかないが、道志山塊の最高峰。圧巻は乾徳山(けんとく2016)で、巨岩が山頂部に累積し、360度の展望が得られる。2000メートルを超す、山らしい山だ。
(富士山周辺)
富士山を取り巻く三ツ峠山(1786)、黒岳(1793)、毛無山(1946)、石割山(1413)などは流石であった。愛鷹連峰(あしたか)は確かに歩いたが、記録がない。
(箱根山)
箱根の山は範囲は狭いが、なかなかの名山揃いだ。代表格は何といっても金時山(1213)。どこからでも分かる独特の山容と山名に魅かれ、五、六回以上足を運んだ。100回以上も登山した人たちもいる。金太郎伝説・富士山眺望の魅力に加え、“金時娘”会いたさと登山回数の競争意識もあるようだ。明神ケ岳(1169)、明星ケ岳(924)のパノラマコースも楽しく、ケーブル・ロープウエーで登る駒ヶ岳(1327)から箱根の主峰・神山(1438)を結ぶ中央火口丘コースは素晴らしい。
(奥多摩)
奥多摩は山域が広く、親しみやすい。御岳山(みたけ929)、日ノ出山(902)は千㍍に満たない低山だが、奥多摩だけでなく山登り入門の代表的コースだ。奧多摩湖の背後の本仁田山(ほにた)は千㍍ちょっとだがバカにできない。独特の鋭鋒大岳山(1267)、なだらかな御前山(1405)、そして千五百㍍を超す三頭山(みとう1528)は奥多摩南部の縦走には最適だ。西部の六ツ石山(1479)、鷹ノ巣山(1737)、七ツ石山(1753)の縦走も然り。最西端に坐す雲取山(2018)は東京都最高峰の名山で、登頂も容易ではない。山名通り、まさに雲を取るほどの高い山であり、三峯神社への縦走は長い。北部の高水三山、川苔山(1364)、蕎麦粒山(そばつぶ1473)、東部の戸倉三山などにもよく足を運んだ。
(大菩薩)
大菩薩峠は、中里介山の小説でよく知られるが、2057㍍の大菩薩嶺を含む大菩薩峠の魅力は何ともいえない。登山口の裂石から上日川峠を通り、福ちゃん荘を経て大菩薩峠に達するポピュラーコースに息子を連れて行った。峠から大菩薩峠越えのロングコース(小菅大菩薩道)を歩き通して奥多摩へ出た。(1978年7月15日、息子11歳誕生日記念登山)。大菩薩峠から滝子山への小金沢連嶺縦走は素晴らしいの一言に尽きる。雁ケ腹摺山(がんがはらすり1857)は、名前の由来もさることながら、五百円札の富士山を撮影した場所に恥じない、立派な富士山の展望台でもある。
(八ガ岳)
八ガ岳は2500から3000をうかがう高山連峰だ。主峰赤岳(2899)・阿弥陀岳(2806)などの南部は本格的な山だ。赤岳(2899)・横岳(2835)・硫黄岳(2742)の南八ガ岳縦走はアルペンムードが味わえる。最南端はドーム状の権現岳(2715)と鋭鋒の編笠山(2574)が対照的だ。北部の縞枯山(2402)・茶臼山(2370)コースは、縞枯れ現象が何ともいえない。北八の池めぐりは、静粛な深山の雰囲気。南部も北部も縦走したが、忘れられない愛すべき山だ。円錐形の蓼科山(たてしな2530)登山は、途中コースを一部間違えたこともあり、忘れられない思い出がある。
1991年(平成3年)7月16日から18日には、小生55歳の誕生日記念登山に2泊3日で「八ヶ岳」登山。主峰赤岳(2899)を含む南八ヶ岳縦走で本格登山を実感した。
(丹沢山塊)
丹沢山塊は、何度も行った山の中でも、峻厳かつ広い領域を誇る本格的な山々だった。表尾根(ヤビツ峠~塔ノ岳)、主稜(塔ノ岳~蛭ケ岳~桧洞丸)、主脈(塔ノ岳~蛭ケ岳~焼山)は、三つの魅力的な縦走コースだ。特に、ヤビツ峠から登り、二ノ塔(1144)・三ノ塔(1205)・烏尾山(1136)・行者岳・木ノ又大日(1396)・塔ノ岳(1491)を経て、大倉尾根を下る(逆まわりも可)「表尾根縦走」は魅力満点だ。大倉尾根から登り、塔ノ岳・丹沢山(1567)・不動ノ峰(1614)・蛭ヶ岳(ひるがたけ1763)・臼が岳・金山乗越・桧洞丸(ひのきぼら1601)・犬越路(いぬごえじ)・西沢自然教室に下る「主稜縦走」は、二日がかりで12時間以上を要する、丹沢を満喫できるロングコースだ。
小生は蛭が岳から桧洞丸への歩きが好きだ。桧洞丸の頂上は展望には恵まれないが、静かで落ち着く山だ。近辺にはツツジの花がみられる。桧洞丸から西丹沢自然教室への「ツツジ新道」には、シーズンには綺麗なツツジが咲き乱れる。何回でも行きたいのが西丹沢だ。犬越路を西北に登れば、大群山(おおむれ) =大室山 (おろ)1588)・加入道山(1419)だ。東京から見ると、富士山を挟んで大山・丹沢山塊の反対(右側)にはっきり見える。西丹沢の魅力は抜群だ。丹沢三峰、鍋割山(1273)、畦ヶ丸(1293)、同角山稜などもある。なお、小生は安全第一で丹沢の「沢」には近寄らなかった。
(大山)
大山(1246)は丹沢山塊に含まれるが、独立峰でもあり、三角形の秀麗な山容は見るからに山らしい。雨乞いの山でもあったので、雨降山(あふりやま)の別名をもっている。中腹には阿夫利神社下社、頂上には阿夫利神社奥社がある。大山詣で有名でもある。大山不動もあり、紅葉の季節は多くの人が集まる名所だ。けっこう登りもきついが、頂上では好展望が得られる名山だ。
(奥秩父)
奥秩父は、2千㍍を超える高山の連なりだ。甲武信岳(こぶし・2475)は名前からしてどうしても行きたい山だった。甲武信小屋へ一泊しての、木賊山(とくさ2469)・甲武信岳・三宝山(2483)・破風山(2317)・雁坂峠(2082)の縦走は全くの素晴らしさであった。金峰山(きんぷせん2598)、瑞牆山(みずがき2230)、国師岳(2592)、北奥千丈岳(2600)、笠取山(1491)などにも登ったが、出色は何といっても瑞牆山だ。鋭い岩峰からなる山頂は遠くからでも直ぐ分かる。
(その他)
「宝の山」と謡われる磐梯山(1819)、低山だが美しい双耳峰の筑波山(876)、日本ジカ、サルが棲息する金華山(445)にも登った。
○なお、本項(5.登山の展開)には、主たる山だけ思いつくままに書いた。記載しなかった山も含め、山歩きのデーテールは終章「12.登山の詳細記録」(本稿では割愛)に収められている。(「わが山歩き」)
(秀樹杉松 83巻/2381号)