秀樹杉松

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仙 台 堀 川

   親川記:東京の川歩き

   1) 仙 台 堀 川 (2013年3月27日)            /  Atelier秀樹

 先ず、2013年(平成25年)3月21日(木)「仙台堀川公園」へ行ってきた。桜はまだ三部咲きだったが、初めての場所でもあり、“佳かった!”の一語に尽きる。

 仙台堀は江戸時代に人工的に開削された川。今の仙台堀川は旧中川と隅田川を結ぶ運河。仙台堀は江戸時代小説を読むとよく出てくる。その由来を調べてみた。

⇨仙台堀の当初は、隅田川との合流部「上之橋」から「海辺橋」までの短い距離。北側に仙台藩屋敷があったための呼称。以前は幅六間の永代六間堀の一つだったが、元禄年間に亀久橋まで延長し、川幅も二十間に広げて「二十間川」と呼ばれた。

 仙台堀川は以前は「砂町運河」(小名木川から南下、途中から右折:西進して横十間川に合流)、「十間川」(横十間川~大横川)、「仙台堀川」(大横川~隅田川)の三つの繫がりであったが、1965年の河川法改正で 「仙台堀川」に川名を統一した。

 仙台堀川=(西から)仙台堀川+十間川+砂町運河)。

    運河として利用がなくなっていた、小名木川から大横川に交差する区間を埋め立て整備し、1980年「仙台堀川親水公園」として開園、1986年には全面完成した。総延長3.7キロで、都内最大規模の親水公園の由。

  都営新宿線大島駅で下車。

 

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 丸八通りを南下、大島稲荷神社・大島神社小名木川に出て丸八橋北詰を左折(東進)すると直ぐに「塩の道橋」。行徳の塩を江戸に搬入するために造った「小名木川」の愛称「塩の道」から付けられた橋名「塩の道橋」。オレンジ色がかった派手な橋で、歩行者・自転車専用。すごい交通量にビックリ。

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 この塩の道橋が、南下する仙台堀川の起点。河川名が「仙台堀川」に統一される1965年までは「砂堀運河」。川幅が広く水量も豊かだ。人工の堀なので、同じ川幅の流れが一直線。普通の川とは様相をことにする。

 いよいよ仙台堀川歩きのスタート。「仙台堀川公園」という立派な道標。途中で横十間川と交差するので、入口に大きな「仙台堀川公園横十間川親水公園案内図」。

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 真っすぐな遊歩道、三部咲きの桜並木が延々と続く。釣堀でシルバーたちが釣り糸を垂れている。見物している仲間も。

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「出逢い桜」「お花見広場」。素晴らしい桜オンパレードだ。「仙台堀川が水と緑豊かな安らぎの場・区民の森として再生された」との江東区長名の再生記念碑。暗渠部がおわって開渠となり、川の流れが現れる。その脇を桜の遊歩道が続く。周囲には団地が目立つ。カメラぶら下げての川歩き、手当たり次第にパチリパチリ。

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 以下南下。清洲橋通りを渡って葛西橋通りの手前で直角に右折。ここから東西に長く走る仙台堀川。今度は西に向かう。丸八通り明治通りを越えて、横十間川(豊砂橋)と交差。この地点から大横川交差点までは、河川名統一前の「十間川」。→四ツ目橋通(豊住橋)→大門通(石住橋)→大横川(大栄橋)と交差。今回の歩きはここまでとし、残り(大横川交差点~隅田川)は、復の機会にすることにして、大栄橋から右折して大横川を北上。新大橋通りに出て右折(東進)、都営地下鉄住吉駅から帰宅。

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 川歩き初日の今日は、仙台堀川の半分も歩けなかったが、途中で横十間川、大横川と交差したり、小名木川の垣間見えなど、初めての大いなる発見があった。これを機会に、東京下町の中小河川歩きを始め、未知の世界にチャレンジしたいものだ。これまで敬遠?してきたカメラを携帯してのウオークは初めての経験だ。おそらくは、歩きっぱなしに終わらずに、撮影した写真を見ながらの「川歩記」の執筆にもつながるだろう。

                                                                                                    (秀樹杉松 83-2387)