秀樹杉松

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北 十 間 川

  親川記:東京の川歩き 3)

      北 十 間 川(2013年4月5日)      /  Atelier秀樹 

 下町の川歩きは快調で、きのうに続いてきょう4月5日(金)北十間川へ行ってきた。東京スカイツリーのすぐ側からスタートして、終始スカイツリーを背に歩くので、振り返るといつでもツリーが見られる素敵な川歩きであった。おかげで、今回は終点の旧中川まで完歩した。

 調べてみると、「北十間川」の川名は、本所の北を流れる幅十間(18m)の川からきている。「北十間川は農業用水として開削され、当初は大横川の西を源森川(別名源兵衛堀、400m位)、東を北十間川と称した。両川は当初繋がっていたが、洪水被害が大きいため分断された。住民の要請で明治18年再び接続された。そのときの源森川の源森橋が実在する。

 

 源森橋の由来が石碑に刻まれていた。現在隅田川に接する橋は「枕橋」であるが、当初は「源森橋」と称した。北に隣接する水戸徳川家屋敷内に大川(隅田川)から引き入れた堀があり、これに架かる小橋が「小梅橋」であった。この二橋が並んで架けられていたため、いつしか枕橋と呼ばれるようになったそうだ。明治8年に源森橋は正式に「枕橋」となったが、地元民は直ぐ隣の東に新しい橋を架けて「源森橋」と命名した。この結果、源森橋も小梅橋も橋名として残った。枕橋・小梅橋・源森橋の三橋の由来は、まさに“川に歴史あり”、“橋に歴史あり”であるを実感する。

 さて、今日は都営地下鉄浅草線の本所吾妻橋駅下車。墨田区役所をへて、北十間川が隅田川に接する枕橋(墨堤通)へ。ここを起点に東へ。真ん前に東京スカイツリーが聳えて見えたので、ビックリして写真撮りまくる。桜と重ねあわせてとった写真を、自慢作として息子にメールで送った。飛行船もとんでいる。

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 件の源森橋(三ツ目通)で、橋名由来の石碑を写真に。→小梅橋過ぎたところで、人力車を引いた可愛い子ちゃんに出会い、お願いしてパチリ。→東部橋、すみだ水族館東京スカイツリー。多くの人出だ。

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おしなり橋、おしなり公園、京成橋(四ツ目橋)、西十間橋、十間橋。ここで横十間川」と合流横十間川の南に向けてスタート(最初の橋が「柳島橋」)。→境橋,福神橋(明治通)、吾妻神社、立花公園、東部亀戸線線路と交差。小原橋の次は終点の「新小原橋」(丸八通)。交差した旧中川にかかる「江東新橋」がよく見える。

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 立派な江東新橋へ。ここからは遠くにスカイツリーが見える。夕日と同じ方向なので幻想的。長かった川歩きの疲れがとれる感じ。何枚か続けてパチリ。江東新橋を渡り、蔵前橋通から総武線平井駅へ歩く。平井から帰宅の途へ。

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                                                                                                   (秀樹杉松 83-2389)