秀樹杉松

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曳舟川

                      

   親川記:東京の川歩き

 (14) 曳舟 (親水公園)   (2013年5月5日)  /  Atelier秀樹   

 

 曳舟川スタディ>

 下町の川(親水公園)歩きは、4日前の「古川」で終わりにするつもりだったが、その中に葛飾区が含まれてないので調べたら「曳舟川」が見つかった。今では暗渠部分が多いせいか、地図だけではよく気づかなかったが、見落としてはいけない川だとわかり、5月5日(日:こどもの日)に行ってきた。

 どんな川にも歴史・由来があるので、出かける前に調べることにしているが、ネット情報だけでなく、現地に建てられていたモニュメントの記述も加えると、正確・詳細となる。以下、撮影してきた「曳舟川の由来」とネット検索に基づいて簡単に記す。

 

 →明暦大火(1657)後の1660年に、利根川から引いた埼玉県東部の開漑用水路が発端、水源は瓦曽根溜井(現越谷市)。新田開発の度に延長し、1760年に最終的に一貫した用水路として完成。見沼用水(埼玉・東京)、明治用水(愛知県)とならび「日本三大用水」と称される由。名称は「葛西用水(路)」。

 葛西用水のうち、本所・深川方面の新市街地へ飲料水供給のために開削された部分を、地元では亀有上水・本所上水・小梅上水と呼んだそうだ。今日歩いたのは、「亀有上水」と呼ばれた葛飾区内部分で、由来記では、亀有に入って東側に「中井掘」を分水し、四ツ木付近まで二条の水路が並行して流れていた、とある。驚いたことに、4月22日の一之江境川の序でに?に寄った中井掘は短い水路だと思ったが、元々は長い川であったことを知った。まさに、川に歴史ありだ。

 この川の歴史はまだ続く。亀有上水は1722年に廃止され、小梅以南は埋め立てられ、上流部だけ残されて「古上水堀」と称された。そういえば「古上水橋」の石標が建っていた。なるほど。上水廃止後篠原村(現四ツ木)から亀有村間の28丁(約3キロ)の水路を利用して、「サッパコ」という小舟に人を乗せ、土手の上から長い綱を肩にかけて引くことが始まった。ここから「曳舟川」と呼ばれるようになった。帝釈天詣や水戸街道に出る旅人が利用した。広重の「名所江戸百景」の「四ツ木通用水引ふね」にも描かれている。・・・・たいへんな由来のある亀有上水であることが分かった。

 続きがまだある。ウイキペディアを読むと記述中に「墨田区内の区域」云々とある。葛西用水路は葛飾区南端の荒川へ流れ込んで終わり、と思っていたので、葛飾区内の誤記ではと地図を調べた。最近何回も行ったスカイツリー近くに、東武伊勢崎線曳舟駅」、京成線「京成曳舟駅」の両駅がある。何よりも明解なのは地図である。水戸街道の直ぐ東南側の道路が「曳舟川通」で、荒川・綾瀬川の対岸の葛飾区四ツ木で終わる「曳舟川(親水公園)」につながる位置にある。

 荒川の“西遷”で曳舟川が寸断されたと考えられる。墨田区の荒川四ツ木橋緑地から南西に真っすぐ延び東部伊勢崎線曳舟川駅」近くを通って北十間川に至る道程だ。この「曳舟川通」という道路がその証拠といえる。更に、近くに小梅小学校がある。既述の通り「亀有上水」は葛飾区での呼称で、ほかに「小梅上水」「本所上水」とも呼ばれたとあるが、小梅小のある向島一丁目は昔の小梅村だったというから、これで納得。以上で「葛西用水(路)」=「亀有上水」の由来のほぼ全容が判明、大変な勉強になった。やっぱり川歩きは楽しい。これで終わるかもう少し続けるか、・・・。 

 

 曳舟川歩き> 

 スタディの記述はこの辺にして、肝心の今日の川歩きに入ろう。

 亀有駅南口下車。駅前の舗道の上に一羽の鳩が日光浴しているが、近寄っても動こうとしないのでパチリ。おどけた格好した人物の銅像?(金色)がある。誰だろう、地元出身の有名人かな?と撮影だけして立ち去る。帰宅後「両津勘吉祭り姿像」と説明板も写っているので、ネットで調べたら、両津勘吉は漫画「こちら葛飾区亀有公園派出所」の主人公だとわかった。漫画にはチョウ疎い小生が知らなかっただけ?

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 今は暗渠化されて影もない「曳舟古上水橋」の碑と、「曳舟川親水公園」のモニュメント。ここが親水公園の入口。先ずは整備された遊歩道。「曳舟川の由来」の看板。両岸に草木が繁る清流が始まる。木橋、石橋あり。今度は両岸を大きな石で守られた流れも続く。曳舟十四橋。「曳舟川物語」、「亀有物語」の説明板。「花菖蒲」の写真入り説明板。曳舟十三橋。途切れ途切れの清流。流れはクネクネ曲がっているが、隣接する遊歩道は直線、絶妙のコントラスト。

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綱を付けて土手から引っ張ったという船(サッパコ)の実物も置かれている。

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白・赤・黄のバラが満開で見頃。何枚もパチリ。本格的なカメラマンが撮影中なので、ちょっと助言を乞う。曳舟十二橋。「鷹狩りと葛西」の説明鈑と鷹匠の立像。説明文によると、「鷹狩りは鷹匠によって飼いならされた鷹を放ち、鶴・白鳥・雁などの獲物をとらえる古くから伝わる狩猟法」「当区(葛飾)一帯は墨田・江東・江戸川区とともに葛西筋といわれ、・・・野鳥が多く飛来するので将軍家の鷹場となりました」云々。

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 葛飾区立郷土と天文の博物館。「ドームかつしか」の宣伝塔とドーム丸見えの立派な博物館。田んぼみたいな湿地には早苗が芽を出している。曳舟中之橋。曳舟十一橋。「曳舟川の歴史」板。「四ツ木道」「至四ツ木、本所」「至亀有、水戸」の道標。曳舟川親水公園。小池、休憩所、東屋、小広い遊び場、ベンチ、お花畑など完備。暖かい春の日を浴びながら簡単な昼食。ちょっと歩いたら京成本線の「お花茶屋」駅。昼食にラーメン。

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 午後の部出発。駅の南側300メートル位は暗渠のため普通の車道。直ぐに清流始まり曳舟八号橋。曳舟七号橋。心地よい遊歩道と清い流れが続いたり途切れたり。「お花茶屋物語」「曳舟川物語」の説明鈑。曳舟五号橋。曳舟四号橋。曳舟三号橋。曳舟橋。曳舟二号橋。ついに、曳舟一号橋。平和橋通りと交差。ここで親水公園は終わるが、平和通りを渡って直ぐに水戸街道に出たところで歩き完了とする。白川橋。突然スカイツリーが眺望されたのでパチリ。

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 帰りは「お花茶屋」駅ではなく隣の「堀切菖蒲園」駅に出ようと思い、地図見たら途中に「堀切菖蒲園」があることに気づき、時間もあるから寄ることに。入園無料の掲示に誘われて入園。「堀切菖蒲園の歴史」の掲示をカメラに。紫の花菖蒲が満開。俳人中村汀女の句碑「花菖蒲かがやく雨の走るなり」。ここでも亀が甲羅干し。首をもたげて動かないので初心者でもゆっくり、バッチリ撮影できる。「いい鴨」ならぬ「いい亀」?

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 アヤメと覚しき花が満開。まだ開かない花株は花菖蒲か。“いずれアヤメ、カキツバタ?というように区別がつかない。菖蒲はアヤメともショウブとも読むが別物。菖蒲と花菖蒲も別。アヤメ・カキツバタハナショウブの見分け方が掲示されている。

アヤメ=5月上旬~中旬。編目模様。外側花びらに黄色い模様。花色は紫、まれに白。カキツバタ=5月中旬~下旬。編目なし。外花被片に白い斑紋。青紫、紫、白、紋。

 花菖蒲=6月上旬~下旬。編目なし。外花被片に黄色の斑紋。紅紫、紫、紋。

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可憐なクリスマスローズの花満開、芍薬も咲こうとしている。葛飾区教育委員会による堀切菖蒲園(区指定名勝)の由来が掲示されている。それによると、堀切の花菖蒲は室町時代に奥州郡山の安積沼花菖蒲を取り寄せて培養したのが始まりとか。「江戸百景」に数えられ、春信、広重の浮世絵にも描かれている。

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 写真を一杯撮り、堀切菖蒲園駅から帰宅。

                          (秀樹杉松 83巻/2400号)