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旧中川

        親川記:東京の川歩き

     18)旧中川     (2013年5月15日)  /   Atelier秀樹

 

 

 <旧中川スタディ> 

これまで歩いた川は、概して運送や灌漑のために人工的に開削した運河(水路・掘割)で、今では一部や大部分が暗渠化・埋め立てられ「親水公園(又は親水緑道)」として整備されている。従って、名称も「〇〇川」ではなく「〇〇川親水公園、又は〇〇川親水緑道」となっている。

 人工的に造られた川歩きはほぼ終了したが、この際だから自然に出来た川も一つだけ歩いてみようという気持になった。都内に限って地図を調べ、手頃と思われる「旧中川」を選んで、5月15日(水)午後行ってきた。さすが元々の「中川」らしく貫禄と落ち着きのある川であった。

 

 例によって最初の講釈・・。旧中川江戸川区墨田区江東区の境界を流れる全長6680mの河川。江戸川区平井の木下川水門で荒川放水路(荒川本流)から分水、大きく蛇行しながら南流、江戸川区小松川の荒川ロックゲートから再び荒川に合流する。合流直前に「小名木川」を合わせる。今から90年前の1924年荒川放水路に注水が開始され、中川が荒川によって分断され残された下流部分が今の「旧中川」で、長さは6.7㎞に過ぎない。

 まだある。中川は江戸時代の広重の名所江戸百景「逆井の渡し」、江戸名所図絵「平井聖天」などで知られる。また、1945年の東京大空襲の際に猛火を逃れようと旧中川に飛び込んだ3千人以上が犠牲になった。犠牲者慰霊のために1999年以降「旧中川灯籠流し」が8月15日に行われている。平常時は両端の水門を締め切って、両端とも荒川に排水しているため水は流れていないが、灯籠流しの時だけは木下川水門(上流)より取水し、荒川ロックゲート(下流)側から排水し水流を発生させて、灯籠が流れるようにするそうである。以上三つの事実は、正直今回初めて知った。

 ところで、荒川で分断された上流の中川は、分断付近(海から約8km)で、荒川と並流してきた「綾瀬川」を合わせ、以後荒川と並行(近接)しながら並流し、河口近くで荒川へ合流する。

 この際、「中川」についても簡単に記さねばならない。中川利根川水系の支流。古くは、荒川は今の「元荒川」を、利根川は今の「古利根川」をそれぞれ流れていたが、途中から合流して一本の川となって江戸湾に注いでいた。(この事実は今回知った)。

 まず、江戸以前の1594年「会の川」(当時の利根川流路の一つ)の閉め切り工事、江戸時代の1654年の「赤堀川」通水による、利根川付け替え利根川東遷事業が行われた。一方「荒川」は、江戸時代の1629年に熊谷市で閉め切られ、入間川に付け替えられた(荒川西遷)。大河川のため氾濫・水害が頻発し、両川を東西に分流させることになった荒川と利根川の分流により、残された流れを「中川」と呼ぶようになったそうである。つまり、中川という川名の発生である。

 一方、西遷地点より上流の荒川を「元荒川」、東遷地点より上流の利根川を「古利根川」と呼ぶようになった。これにより、江戸時代は元荒川・庄内古川・古利根川などが合流した地点から下流を「中川」と呼んだが、明治時代には庄内古川・島川流路が本流とされ、遡ってこれらも中川と呼ばれるようになった。その名残で、中川の上流を「島川」、中流を「庄内古川と呼ぶこともある 。

 面白いことに?「旧中川」のほかに「中川」と「新中川」がある新中川は当初は「中川放水路」と呼ばれていた川で、葛飾区高砂で中川と分かれて南流、江戸川区で旧江戸川に合流する全長7.84kmの一級河川。1938年の浸水被害・1947年のカスリーン台風浸水により、中川改修が着手され、1963年に中川放水路(新中川)が完成した。1965年3月一級河川に指定され、「新中川」と改称された。

 大概は「〇〇川」と対照する「元・古・旧〇〇川」の二川のみだが、中川のように旧・現・新の三川が存在するのは珍しい。三つの名前を有する中川、当に“川に歴史あり”だ。因に、中川と新中川は利根川水系に入るが、旧中川は荒川水系に含まれる。旧中川は水源もゴールも荒川なので、そういうことになるが、勿論今回のスタディで初めて知った。

 

 <旧中川歩き>

 さていよいよ「旧中川」歩きだ。総武線平井駅下車。都バスで平井7北公園前へ。此処から荒川に接する「木下川水門」に行くつもりだった、探し当てられず、通行人に訊いて教えてもらった場所へ。そこは水門ではなく、「木下川排水機場」だった。少し行ったら旧中川の始まり。元々の中川だけに水量も多く川幅もある。随分ゆったりした流れだと思ったら、既述のように、普段は荒川に接する両端の水門は閉め切っているので、流れが無いことを、帰宅後ネットで知った。そうとは知らずに、“余裕ある静かな水流”だと早合点したのは情けない。スカイツリーがよく見える。

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  “静かな川”の風景をパチリパチリ。最初の大きな橋が「ゆりのき橋」。S字状の派手な蛇行。次は「中平井橋」(中平井橋通)。その次の橋は見えない。地図見たらこの川は橋が少なく、間隔がすごく空いている。河川敷を真っ白に彩るシロツメクサ。釣り人。延々と続く川岸の遊歩道。気持ちいい、悠然とした歩き。余りにも似たような風景が繰り返される。カメラを構えると自分の影が。其の黒い影法師をパチリ。数人の業者が河川敷の除草に汗かいている。川の向こう岸では中学生たちが騒いでいる。イジメ?と立ち止まって眺めるが大丈夫のようだ。やっと「平井橋」。

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 さらに疲れるほど歩いて「北十間川」と合流。北十間川の小原橋をパチリ。そして旧中川に架かる、青色の目立つ「江東新橋」(蔵前橋通)。以前北十間川歩きの際にも通った橋。白鷺?をパチリ。右側の亀戸中央公園。貨物専用線総武本線の架橋過ぎると「ふれあい橋」。橋の形が面白い。でかい「中川新橋」(京葉道路)。亀小橋。逆井橋。既述の「逆井の渡し」(名所江戸百景)の跡。虹の大橋。もみじ大橋。さくら大橋。船堀橋都営地下鉄の鉄橋。「都営新宿線東大島駅」と遠くからでも見える大きな字。そしていよいよ大きな「中川大橋」。

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  「小名木川」と合流。小名木川の「番所橋」渡る。終点に近づいた旧中川。最後の「平成橋」。パチリパチリ。文字通りラストの「荒川ロックゲート」。今日の歩き出しの「木下川水門」と全く同じ形。旧中川歩きをこれで完了。合流する荒川の土手から河川敷に出る。荒川は広い。地図で見ると川幅は約4倍ある。しかも“荒ぶる大河”だ。「小名木川排水機場」もある。

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 全行程を終え、東砂小学校、小名木川(番所橋)、大島小松川公園(わんさか公園)をへて都営地下鉄東大島駅」から帰宅。

                          (秀樹杉松 84巻2405号 )