親川記:東京の川歩き (25)
日本橋川 (2) (2013年6月7日) / Atelier秀樹
さていよいよ、日本橋(中央通)到着。
⇨日本橋は1603年に初代の木造橋が架けられ、北側部分を原寸で復元したものが江戸東京博物館に展示されており、小生も江戸研受験時に見てきた。1604年には五街道の基点となり、明暦の大火で全焼。江戸の火事で明治維新まで10回焼け落ち(うち全焼8回)。明治初期に石橋に。1911年現在の石造二連アーチが架けられる(19代目)。1963年橋の上に首都高速道路を建設。1999年国の文化財に指定。
中央柱の「麒麟」、親柱の「獅子」などパチリ。
日本橋基点の「里程標」(京都市503キロ、大阪市550キロ、鹿児島市1469キロ、青森市736キロ、札幌市1156キロなど)。見学会の人たちも多い。三越。高速道路の支柱に「いつの世も道の起点は日本橋」「双六は日本橋から京上がり」などのカラフルな双六絵が貼られているのが目を引く。何となく、殺風景な支柱から目をそらさないで済む。
中央区の「国指定重要文化財・日本橋」の立派な掲示板。ちょっと引用。⇨橋詰には高札場があり、魚河岸があったことでも有名。橋名は徳川慶喜の筆になり、青銅の照明灯装飾品の麒麟は東京市の繁栄を、獅子は守護を表している。平成10年に照明灯装飾品の修復が行われた。
江戸橋(昭和通)。鎧橋(平成通)。茅場橋(新大橋通)。箱崎出入口。ここで川上部を覆っていた高速とやっとお別れ。しかし日本橋川の残りは後500メートル。右に「亀島川」分流。湊橋。いよいよゴールの「豊海橋」(とよみばし)。日本橋川が隅田川に流入する河口の第一橋梁である豊海橋は、関東大震災で落橋、1927(昭和2)年に震災復興橋として架設された。
ちょっと変わった形状(梯子を横にしたような構造)で、フィーレンディール橋と呼ばれ、直ぐ近くの永代橋との景観上のバランスを考えた設計なそうだ。近代の土木遺産としても貴重な橋で、中央区民有形文化財。
豊海橋の北詰は「隅田川テラス」で、ここから隅田川の永代橋(下流)、隅田川大橋がよく見えるので、パチリパチ。永代橋は美しく風格ある橋だ。中央区による永代橋の説明板が立っている。それによると、1698年に隅田川4番目の橋として現在より150m北に架かっていた。橋桁が高く、橋上からの景観は「西に富士、北に筑波、南に箱根、東に安房上総、限りなく見え渡り眺望よし」と言われた。その姿は、上流の清洲橋の女性的で優美な雰囲気とは対照的に、男性的で重量感にあふれている、と書かれている。
ここから帰途につこうと、手元の地図とテラスに掲出されている案内地図を見る。最寄りの駅を前もって調べてこなかった。今日中に何処まで行けるか分からないので、実際に歩き終えた地点で調べようと思っていた。地図で探すと地下鉄門前仲町が近い。そのためには永代橋を渡り、永代通を直進すれ門前仲町駅に出る。そのつもりで行動開始したが、小生の方向音痴がまたまた暴露された。つまり反対方向に歩いてしまったのである。辿った道は異なるが、さっきまで歩いてきた方向に戻っていた。(違う道路なのでそれに気づかなかったのも、いつかのケースと同じ)。
結局、日本橋から分流する「亀島川」の「霊岸橋」にたどり着いてしまった。さて今度は最寄りの駅は何処かと地図を見る。なんと直ぐ側に日比谷線の茅場町駅があるではないか!急遽ここからの帰宅と相成った。
(秀樹杉松 84巻/2412号)