秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

「親川記」を書き終えて

      川に親しむ: 川を歩く/ 撮る / 書く

         「親川記:東京の川歩き」を書き終えて  / Atelier秀樹

 

 3年半前の2013年3月に、花見がてら東京江東区の「仙台堀川」に出かけました。それがすごくよかったものだから、下町の中小河川に拡大し、アレヨアレヨという間に都内の川に発展しました。気がついたら何と、40に迫る川歩きに及んでいました。

 副題を「東京の川歩き」としましたが、実際に歩いたのは中小河川のみで、誰にでもすぐに思い浮かぶ多摩川・隅田川・荒川・江戸川など、都内を悠々と流れる代表的な大きな川は含まれていません。大体は「一日一川」歩きでしたが、二日・三日を要した川、逆に一日で複数の川を歩いたり長短様々でした。また、広がりを見せて流れる川、小川のような細々とした流れ、暗渠に間断された水流など、実に多様な佇まいを見せていました。衝撃は、覆いかぶさるように高速道路が走っている日本橋川でした。

 

 

 <写真撮影> 

 今回(3年前)の川歩きは、歩くだけではありませんでした。常に「右手に杖、左手に地図帳、首にカメラ」の出で立ちでした。つまり、川の流れはもとより、川に架かる橋も撮影しました。それも主な橋に限らず、歩いた川の橋全部をカメラに収めました。それと、私を歓迎してくれた川岸を彩る新緑、咲き乱れる春の草花と、川に棲息している鴨・亀・鯉(私は3Kと愛称)を撮りまくりました。また、流域の名所・旧跡などにも立ち寄って、可能な限り撮影しました。

 <ブログに写真取り込む>

 本格的な写真撮影は初めてだったので、歩き始めは1日100画像くらいでしたが、川歩きが進むにつれて200、300に膨らみ、ついには400を超えた日もありました。その結果、撮った画像はナント5000個に達したのです。今回の川歩きの特徴ともいえるこの写真を、できる限り多く「親川記」に載せたいと考えしましたが、それには自ずから限界があり、実際にブログに取り込んだのは1000画像ぐらいでしょうか。

 <写真容量の限界>

 限界の一つは、多く画像アップすればブログが重くなることが必至で、「親川記」閲覧者の便に配慮せねばならなかったからです。もう一つは物理的な限界です。写真画像の使用容量に限度(月毎)があるからです。このため9月8日から30日まで「親川記」を休載しました。月が改まった10月1日から執筆再開しましたが、あっという間に容量限界に達しました。幸いうまい具合に、限界ギリギリで「親川記」完結にこぎつけました。このため、最終盤の丸子川・谷沢川・六郷用水(再生)では、私が「3K」と名付けて愛した亀・鯉・鴨の写真を、ここぞサービスとばかり、思い切り載せました。仕上げは上々ですので、まだの方はどうぞご覧ください。

 <川歩記「親川記」の執筆>

 今回の川歩きの第二の特徴は、撮ってきた写真・地図・記憶をもとに紀行「川歩記」を執筆したことです。感動や記憶が鮮明なうちにと、なるたけその日のうちに書くことにしました。この川紀行は「親水公園」の名称からヒントを得て、タイトルを「親川記」としました。定着している用語に従って「親水記」とするのが無難だったかも知れませんが、川の字にこだわって「親川記」と命名したのです。漢文調に読めば「川に親しむ」、そのまま読めば「親しい川」です。「母なる大地 父なる空」(アリューシャン黙示録 :by Sue Hrrison) がありますが、私の造語「親川」には「親なる川」という意味も込めました。

 <「親川記」を造語>

 ネットで「親水」を調べたら、Wikipediaでは「水や川に触れることで、水や川に対する親しみを深めること」と出てきます。Weblio辞書には「①水に親しむこと。②水との親和性があること。反対語は疎水」とあります。片や「親川」を検索しても、苗字や地名が出てくるだけです。以上のことからも「親川記」は私の完全な造語です。因みに、「親川記」を検索すると、私Atelier秀樹執筆の「親川記」と、ブログ「秀樹杉松」が表示されます。どうぞご覧ください。

 <川に歴史あり>

   川歩きとスタディによって、「川に歴史あり」をまざまざと感得しました。「名は体を表す」とか言いますが、一例を取り上げます。

 ◯旧中川 / ◯中川 / ◯新中川

 親川記 (18)の「旧中川」に書いた通りです。要約すると。1930年完成の荒川放水路によって、中川は二つに分断され、上流部が「中川」、下流部が「旧中川」となった。その後、1963年に「新中川」(旧・中川放水路)が開削され、3つの中川が生まれたのです。「◯◯川」「元・旧〇〇川」とか「〇〇川」「新〇〇川」は珍しくはないが、このように入り組んだ三つの川は、長い長い複雑な「川に歴史あり」の典型でしょう。

 <古典と歌謡曲

 書きたいこと数多あれど、次の二つで本稿を締めます。

 ◯鴨長明方丈記

  行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

 ◯ ♪「川の流れのように」(秋元康作詞、御岳輝作曲、美空ひばり歌唱)

  ああ川の流れのように 緩やかにいくつもの時代は過ぎて・・・

  おだやかにこの身をまかせていたい・・・

 

  この二つの名作・名歌は、究極の川讃歌・人生讃歌ではないでしょうか。

 

                                    (親川記 86巻/2445号)2017.10.5