秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

藤沢周平『橋ものがたり』

「橋」が出るシーンの文章を読む   /  Atelier秀樹  

 今年生誕90年、没後20年を迎えた藤沢周平を記念して、短編連作『橋ものがたり』から3編が映像化されるそうです。藤沢の短編連作については、『藤沢周平全集』(文藝春秋)第14巻収載の「下町叙情 解説 向 敏」から引用します。

藤沢周平は二度にわたってそれぞれ違った趣向の短編連作を試みている。本全集のこの巻に収める『橋ものがたり』、『本所しぐれ町物語』の二作である。・・・『橋ものがたり』の場合。市井の男たち女たちの切ない恋の様々を描いた十の短編からなるこの作品では、登場人物は一篇ごとに異なった性格と境遇を与えられ、その篇が結ばれると同時に舞台を去って、再び姿を表すことがない。

 

『橋ものがたり』の各短編に「橋」が出てくるシーン

 「橋」が文章に直接出てくるのは限られた箇所で、さりげなく出てきます。その箇所を書名順に抜粋してみました。<>が各短編の書名です。

 

約束

○「五年経ったら、二人でまた会おう」「どこで?」「小名木川の萬年橋の上だ」

○女とは七ツ半(午後5時)きっかりに、小名木川に架かる萬年橋の上で会うことになっていた。女とは五年ぶりに会うことになる。

小ぬか雨

○東の親爺橋から西の荒布橋まで、俗に照り降り町と呼ばれる町筋が、ほぼ一直線に見渡せる。

○親爺橋の橋袂に、不意に人が立ち上がった。・・・おすみは、ぞっと水を浴びたような気持ちになった。

○路地を抜け出たところが思案橋だった。「おい、俺の女をどこへ連れて行く気だ」。二人が橋にたどり着いた時、いきなり後ろから喚き声が聞こえた。

思い違い

○両国橋にかかると、源作は落ちつきなく、東から橋を渡ってくる人間を見分ける顔になった。きょろきょろと見る。

○源作が目で探しているのは、一人の女だった。いつもこの時刻に橋の上で擦れ違う。

赤い夕日

○別れを言いに行ったとき、斧次郎は、これでいい、きっぱりと縁を切るから、俺のことは忘れろ、と言った。「永代橋のこっちに、俺がいることは、もう忘れるんだぜ。どんなことがあろうと、橋を渡って来ちゃならねえ」

○五年ぶりに、おもんは永代橋を東に渡った。暑い陽射しが、橋にも欄干の外に広がる大川の水の上にも、白く光る照り返しを振り撒いていた。

小さな橋で

○ーこの橋を越えて行こうか。と広次は思った。無性に父親に会いたかった。さっき林の中で会った父親はまたこの橋を渡って、遠くへ行ったのかと思った。橋を渡って、どこまでも歩いていけば、そこで父親に会えるかもしれなかった。

○広次は欄干の橋に腰を下ろして膝を抱いた。月があるので、橋の上は明るい。・・・人人は声をかけたものかどうかと、一瞬迷う様子をみせて、、広次の前を通り過ぎて行く。

氷雨降る

○大川橋の手前で、道が心持ち上りになる。酔っていてもそういうことはわかった。

ー 橋だな。橋を渡れば家か、と思うと一瞬酒が覚めるような気がした。

○ー おや。橋の途中まできたとき、吉兵衛は一瞬目を疑った。橋の上に女がいる。月の光はおぼろだったが、そこにいる女が、さっきおくらの店に行く時、欄干から身体を乗りだすようにして、川を見下ろしていた若い女だということはすぐにわかった。

殺すな

○吉蔵が、下ノ橋を渡り、佐賀町を抜けて、永代橋の橋際に来たとき、そこにお峯が立っていた。

○「喧嘩でもしたのかい、あんた」「言っておくがな、お峯」。吉蔵はお峯を見ると、低い声で言った。「この橋を渡ったら、殺すぞ」

○善左衛門の背をさすりながら、吉蔵は橋を眺めた。いっときの夕映えはもううすれかけて、橋の向こうの岸のあたりに、ひとの行き来が黒っぽく動いているだけだった。お峰の姿は、もう見えなかった。

まぼろしの橋

○五つのおこうは、橋のそばに立っていた。夕闇が迫っているらしく、あたりは薄ぐらく、人の気配もなかった。ただたえず橋の下を流れる水の音がしていた。いいかね、おこうの前にうずくまったその男が言った。「じっとして待っているんだぞ。ここを動くんじゃねえぜ。わかったな」

○「あんたを、橋のたもとに捨てたたんだと、松蔵さんは言っていました」。五間堀を横切っている伊予橋までくると、男は立ち止まってそう言った。

吹く風は秋

○弥平は松の下をくぐり、川舟番所のそばを通り過ぎた。通り過ぎるとき、番所をちらと眺めたが、無表情に猿江橋にかかった。 六年ぶり、いや足掛け七年ぶりか。と弥平は思った。

○弥平は後ろから男の背をにらんだ。男は両国橋を渡ると、広場を右に折れて一ノ橋を渡った

○俯いて、弥平は竪川の通りをいそぎ、二ノ橋を渡った。空はまだ十分に明けていなかった。

川霧

○川の上に、霧が動いていた。高い橋の上から見下ろすと、霧は川上の新大橋のむこうから、はるかな河口のあたりまで、薄わたをのばしたように水面を覆っていた。

永代橋。長さ百十間一尺五寸の高い橋だった。日の出前の青白い光が這う橋の上に、まだ人影は見えなかった。橋の下を流れる川霧をわけてくる船の姿もなかった。

○六年前の、その朝。新蔵はいつものように富島町の裏店をでて、掘割に架かる橋を二つ渡って永代橋に出た。

                    (秀樹杉松 86巻/2457号)2017.10.16     #97