6年前の家老暗殺事件に使われた 秘太刀「馬の骨」/ Atelier秀樹
藤沢周平の難しそうな書名『秘太刀馬の骨』(ひだち うまのほね)」を読みました。この小説もNHKテレビドラマ化されているので、作品の概略は、以下の「NHKアーカイブス」から引用させてもらいます。
NHKテレビドラマ「秘太刀 馬の骨」(時代劇シリーズ、毎週金曜、連続6回、2005)
<主な出演者>
石橋銀次郎:内野聖陽
浅沼半十郎:段田安則
小出帯刀: 近藤正臣
<番組詳細>
藤沢周平原作、山本むつみ脚本、内野聖陽主演の痛快娯楽時代劇。北国の小藩で、6年前の家老暗殺事件での黒幕が、現在の家老・小出帯刀だと噂が流れる。事件の真相を探る密命を受けて、帯刀の甥・石橋銀次郎が江戸からやってくる。銀次郎は家老暗殺に関わる秘太刀“馬の骨”の使い手である刺客を探すために、6人の剣客と次々に死闘を繰り返しながら、やがて渦中の激烈な権力抗争と、人間の醜い欲望の渦に巻き込まれていく。
藤沢周平「時代小説の可能性」から
藤沢周平の時代小説を読む上で参考になる文献に接しました。それは藤沢周平全集(文藝春秋)第二十一巻の巻末に載っている「青春の激情と老年の知恵 解説 向 敏」です。この解説の中で向氏が引用している、藤沢周平『時代小説の可能性』には、このように書かれています。
→
時代や状況を超えて、人間が人間であるかぎり不変なものが存在する。この不変なものを、時代小説で慣用的にいう人情という言葉で呼んでもいい。ただし人情といっても、善人同士のエール交換みたいな、べたべたしたものを想像されるにはおよばない。人情紙のごとしと言われた不人情、人生の酷薄な一面も残らず内にたくしこんだ、普遍的な人間感情の在りようだといえば、人情というものが、今日状況の中にもちゃんと息づいていることに気づかれると思う。……
人間の内部、本音ということになると、むしろ何も変わっていないというのが真相だろう。どんな時代にも、親は子を気づわざるを得ないし、男女は相ひかれる。景気がいい隣人に対する嫉妬は昔もいまもあるし、無理解な上役に対する憎しみは、江戸城中でもあったことである。
小説を書くということはこういう人間の根底にあるものに問いかけ、人間はこういうものかと、仮に答えを出す作業であろう。時代小説で、今日的状況をすべて掬い上げることは無理だが、そういう小説本来のはたらきという点では、現代小説を書く場合と少しも変わるところがない、と私は考えている。
(秀樹杉松 87巻/2468号)2017.10.27 #108