秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂めぐり(第16回=2017.12.18)謡坂、けこぼ坂、なべころ坂、馬喰坂、茶屋坂、etc.

急坂あり、面白い名前の坂あり、権之助坂の菅沼権之助の墓あり…。  /  Atelier秀樹

 

<今日のコース>

東横線祐天寺)~謡坂~稲荷坂~けこぼ坂~なべころ坂~馬喰坂~十七が坂~茶屋坂~新茶屋坂~(JR恵比寿)

 

<坂めぐりメモと写真>

謡坂(うたいざか)

 珍しい名前だと思って調べたら、近畿以東に40余あるそうです。坂名の由来は確かなものはないが、目黒区郷土研究会資料によれば、「ウタイ」の語源が、アイヌ語のウタ、出崎を意味するとある。蛇崩川(じゃくずれがわ)は、昔、かなり大きな川だったらしく、その川に出崎があり、そこをこの坂が迂回していたのではないかとある。(目黒区)

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稲荷坂

 この名前の坂や地名は全国各地にあるようです。標識がないので地元の方に訊いたら、「あったんですが折れてしまったので撤去した」由。

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けこぼ坂

 バス停「けこぼ坂上」はあるが、坂標識は見当たらなかった。坂学会の坂プロフィールによると、→かつて、この辺りは急坂であったため、斜面を切り開くきり通しの工事が何回となく繰り返され、その結果、道の両側の土手はますます高くなり、風雨にさらされた土手からは、赤土の塊がざらざらこぼれ落ちた。この状態を目黒の古い方言でケコボといい、土地の日人々はこの坂を“けこぼ坂”と呼んでいた。

 東急バスによると、→「こぼれて崩れやすい状態を」目黒の方言で「けこぼ」と言った。

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なべころ坂

 鍋が転がるほどの急坂だったからとする説と、赤土が水で柔らかくなった状態を示す、目黒の方言「なべごろ」とする説があるそうです。 

 *今日はこの「なべころ坂」について面白いことがありました。最初に場所を訊いたご婦人は、「なべころ公園」脇の短い急坂だと教えてくれたので、一旦そこの写真を撮りました。標識がないので、少し離れたところにいた数人の年配者たちに尋ねたら、「あそこは違うわよ。なべころ坂はこっちの長い急坂です。間違いありません。ちゃんと標識が出てますから」。後者が正しいことが確認できましたが、同じ地元の人間でもこういうことがあるんですね。

1人にきいて納得できないときは、やはり他の人にも尋ねたほうがいいケースでした。

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菅沼権之助の墓

「なべころ坂」はこっちだよ、と教えてくれたご婦人が、坂めぐりしているなら「目黒の権之助坂」を造った権之助さんのお墓が近くにあるよ、と教えてくれました。教わったところに行ったら、確かに立派な「菅沼権之助の墓」がありました。いまの目黒駅のすぐ近くに、きつい「行人坂」にみんなが苦しんでいるので、見かねて新坂を造ったが、それが禁じられていたために罪に問われたそうです。

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馬喰坂(ばくろざか)

 馬喰に「ばくろ」とカナが振ってある。普通なら「ばくろう」。これもやはり当て字のようで、「ばくろ」は目黒の古い方言では、風雨にさらされて穴の開いた状態を示し、この坂にはこの「ばくろ」が多かったので「ばくろ坂」と呼ばれるようになった、と出ています。

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十七が坂(じゅうしちがさか)

 「十七」とは若者を指し、元気な若者たちは回り道をせずに、この急坂を利用したことからこの名がついたという説や、坂の途中にある板碑庚申塔に17人の名が刻まれていることに関連するという説など、由来についてはいくつかの説があるそうです。

 ところでいつも思うのですが、名の由来などには必ずと言ってよいほど「諸説」がありますね。多いのは4つも5つもあります。面白いことに、どれもが“もっともらしい”のが面白い。

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茶屋坂 

 目黒によく鷹狩りにやってきた将軍家光が茶屋を利用したが、茶屋主人を“爺爺”と呼んだので、「爺爺が茶屋」として繁盛したそうです。そこから「茶屋坂」。

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新茶屋坂

旧道のすぐ近くが大通りになっており、「新茶屋坂」というようでした。この新茶屋坂は今の「くすのき通」で、この車道に坂標識、バス停(茶屋通)、

昔の三田用水・茶屋坂隧道跡の碑が立っている。

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   *明日はその「行人坂」と「権之助坂」等を訪ねることにしました。

 *今日の坂歩きも、いろんなことを見たり聞いたり覚えたりで、楽しく有益でした。

 

  (秀樹杉松 89巻2516号)17/12/18  #blog<hideki-sansho>156