秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

安岡章太郎『流離譚』を読む。主人公の一人で、戊辰戦争で板垣退助総督率いる「東山道先鋒迅衝隊」の軍監を務めた「安岡覚之助正義」(安岡章太郎の曽祖父)に注目。現地で少女を助けた人物は誰か?

安岡章太郎 

 安岡章太郎は有名な小説家なので知っているが、その作品はあまり読んだことはなかった。今回ちょっと調べたいことがあり、『流離譚』(上下二冊、講談社文芸文庫)を読んだ。

 安岡章太郎(1920~2013)は、吉行淳之介遠藤周作らと第三の新人といわれ、芥川龍之介賞芸術選奨野間文芸賞毎日出版文化賞読売文学賞日本芸術院賞、日本文学大賞、川端康成文学賞、朝日賞、大佛次郎文学賞など、数々の大賞を受賞した大作家である。

 

 <『流離譚』>

 1981年に日本文学大賞に輝いた『流離譚』(りゅうりたん)は、安岡章太郎が自分の曾祖父母や祖父母たちの流転の真相を探った、長編時代小説である。(Atelier秀樹)

 

<小説の主人公、覚之助・嘉助兄弟>

 高知市に生まれた安岡章太郎氏の父方は、土佐勤王党を多く出した土佐藩士であり、勤王家であった。巻頭掲載の「安岡家系譜」によると、安岡章太郎氏の4代前は安岡家「お西」の安岡文助正理であり、その長男が覚之助正義、次男が嘉助正定、三男が道之助正寛となっている。次男嘉助は吉田東洋を刺殺・脱藩して「天誅組」に入るが、京都で刑死長男覚之助は勤王党に関わって入牢し、出獄後戊辰戦争に軍監として参戦したが、会津で戦死。兄弟二人ともに“歴史上の人物”です。

 

 <小説の紹介PR文>

 講談社文芸文庫版の『流離譚』下巻の裏表紙に、次のような出版社のPR文が書かれている。

 →安岡文助の次男嘉助天誅組に入り京都で刑死するが(上巻)、一方長男覚之助は勤王党に関わって、入牢、出獄の後、討幕軍に従って戊辰戦争に参戦、会津で戦死する。戦いの最中に覚之助が郷里の親族に宛てた書簡を材に、幕末維新の波に流される藩士らの行く末を追って、暗澹たる父文助の心中を推し測りつつ物語る。土佐の安岡一族を遡る長編歴史小説

 

  <安岡覚之助正義 (章太郎氏の曽祖父)>

 『流離譚』を読んで、安岡家の系譜と、章太郎氏の4代前の安岡文助、3代前の長男覚之助・次男嘉助正定、三男道之助正寛を知った。そして作家の安岡章太郎の家系上の位置も確認できた。今回読んで調べたいと思ったのは、安岡文之助正理の長男「安岡覚之助正義」のこと。「お西」の文助正理の長男覚之助正義は、「本家」平八正秀の養子となって本家の後を継いだ。

 安岡覚之助正義は、土佐勤王党に関係していた。土佐藩参政吉田東洋を暗殺した勤王党への弾圧で、勤王党員は軒並み投獄された。2年後の慶応3年9月に獄舎を放免となり、板垣退助総督率いる土佐勤王党の流れをくむ隊士を集めた東山道先鋒「迅衝隊」の軍監として、戊辰戦争に参戦した。覚之助は戦いの最中に、郷里の親族に頻繁に書簡を届けている。

 

 戊辰戦争で少女を助けたのは、覚之助正義?>

 戊辰戦争の激戦で、征討軍は非常に酷い暴虐を行なったことはよく知られている。そういう環境下にあって、小さな女の子を助けてくれた人が征討軍の中に居たそうです。それが誰であったのか、関係者は長年探し求めていたが、安岡章太郎『流離譚』を読んで、主人公の一人の「安岡覚之助正義」ではないか、と考えるに至った由。私も今回読んで、「そうに違いないだろう」と思いました

 

土佐藩「迅衛隊」>

 それによると、土佐藩兵は慶応4年5月20日第1陣が白河に向けて宇都宮をたち29日板垣以下の全兵が白河に入った6月24日の棚倉攻撃戦にも参戦。この棚倉の戦いで覚之助正義と思しき人物が少女を助けて白坂に預けたとみられる。白河、棚倉などを制した征討軍は会津を攻め立て、激烈な戦闘が繰り広げられた。安岡覚之助正義は、会津戦争で流れ弾に当たって数えの35歳で戦死を遂げた。

 

 <覚之助の遺児>

 戊辰戦争会津で戦死しなければ、覚之助正義は明治新政府の主要メンバーの一人として大いに活躍したであろうと見なされている。覚之助正義の遺児は、父の墓を守るため福島県に移住したそうです。この小説の冒頭に「私の親戚に一軒だけ東北弁の家がある」と書かれた「奥羽の安岡」はその子孫ということになります。

 

 <「奥羽の安岡」安岡正光と章太郎氏の出会い>

 本書p.17には、安岡覚之助正義の遺児の子孫・正光が、安岡章太郎氏を訪れた時のシーンが書かれている(文庫版p.17~18)。

 

 → あれは、たしかシナ事変が大東亜戦争に発展する前後の頃だ。…見知らぬ紳士が…北関東か東北の訛りらしい尻上がりのアクセントで…「実は私は、あなたの家とは親戚の者ですが、安岡秀彦さんはおられますか」/ と名刺を出した。…安岡秀彦は父の長兄、つまり私の叔父である…。名刺を見直した。

 安岡正光…。覚之助の遺児は父の墓を守るために福島県に移住した…。その一家のことを「奥州の安岡」と呼んで、私は子供の頃から、時たま聞かされていた。とすると、この目の前にいる人が、我が家の伝説的な英雄の遺児の子孫というわけであろうか。

  「では、あなたがご本家の…」と私は訊いた。/ 「はい、安岡です」/ とその人はこたえた。

 

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                『秀樹杉松』90巻2540号  18/1/21  # blog <hideki-sansho> 180

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