秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『山月庵茶会記』(葉室麟著)を読みました。~牀前月光を看る(李白) / 少年老い易く学成り難し(池塘春草の夢) / 色よりも香こそあはれ(古今集) / 百花春至為誰開(碧眼録) / 空蝉の世にも似たるか花桜(古今集) / 巨勢山のつらつら椿(万葉集) / 照りもせず曇りもはてぬ春の世の朧月夜(源氏物語)、、、

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 葉室麟の小説の書名は、私には抽象的・簡潔・華麗に思われますが、今回の書名『山月庵茶会記』(講談社,2015)は、具体的で字数も6字。葉室作品のもう一つの特徴は、小説の中に和歌や漢詩などの挿入が多いことでしょう。小説のストーリーの面白さだけでなく、いろいろ“勉強”にもなるのです。今回は、その辺に焦点を当ててみました。

 この小説の主人公は柏木靱負(ゆきえ)。黒島藩勘定奉行を務め、藩内を二分した派閥の一方の領袖であったが、政争に敗れ失脚、16ぶりに江戸から黒島藩へ戻った。帰国するなり、妻藤尾の密通を耳にした。靱負の問い質しに藤尾は何も答えず、「 悲しきことに候」との遺書を残して自害した。 / Atelier秀樹

 

<山月庵>

 やがて別邸の修理が終わると、靱負は移り住み、別邸から望める花立山にかかる月

風景が見事なことから、- 山月庵 と名付けた。このとき、靱負は静かに詩を吟じた。  

   牀前月光を看る / 疑うらくは是地上の霜かと

       頭を挙げて山月を望み / 頭を低れて故郷を思う 

 唐の詩人李白の詩『静夜思』だった。  (『山月庵茶会記』p.5-6 )          

 

 <色こそ見えぬ>

 千佳は料理の取り合わせなどを胸に刻みながら読み終えて、ふと床の間に目を遣った。そこには、

 春の夜の闇はあやなし梅の花 

                  色こそ見えね香やは隠るる

 との和歌が書かれた掛け軸がかけられている。和歌の意は、春の世の闇は深く梅の花の色も見えないが、香りは隠れようがない、ありかは知られてしまう、ということだろう。

 「この歌はどなたの作でございましょうか」千佳が訊くと、靱負は掛け軸に目を遣ったまま、「三十六歌仙のひとり、凡河内躬恒だ、…」    (同 p.43)

 

池塘春草の夢>

 又兵衛は遠慮のない言い方をしながら、床の間に目を遣った。墨痕鮮やかに ー と一字だけ大書されている。

 「それにしても、夢という軸をかけるのは、お主に似合わぬな」。…黙っていた小十郎がふと口を開いた。「夢とは、池塘春草の夢のことでございましょう」。…靱負はうなずいた。「そうだ、ようわかったな」

 すると、藤内が、両手をひざに置いて詠じた。

 少年老い易く学成り難し / 一寸の光陰軽んず可からず

  未だ覚めず池塘春草の夢 / 階前の梧葉已に秋声   

 若者は年をとりやすく、学問はなかなかなり難い。それゆえ少しの時間でも軽んじてはならない。池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢が覚めないうちに、庭先の青桐の葉には秋の声が聞かれる。月日は気づかぬうちに速やかに過ぎ去ってしまうものだという漢詩だ。 (同書 p.48-49)

 

<色よりも香>

  浮島は民部の言葉に耳を傾けた後、『古今集』の和歌を詠じた。

     色よりも香こそあはれとおもほゆれ 

                           誰が袖ふれし宿の梅ぞも

 「殿上人の袖には常に香が焚き込めていたのでございましょう、誰が袖とは、まこと貴人の芳香を思い起こせる言葉でございます」   (同書 p.72)

 

<百花春至って誰がためにか開く>

 懐石を終えて、浮島たちが茶席に移ると靱負が釜をかけた炉のかたわらに控えていた。床の間には千佳が侘助を活けた竹花入れがあり、軸が掛けられている。軸には、

 百花春至為誰開  (ひゃっか はるいたって たがためにか ひらく) 

 とあった。波津が頬を緩めて訊いた。「柏木様(靱負)はわたくしどもを百花とみてくださいましたのか」

 「坐禅の書である『碧眼録』の言葉です。冬は枯野原でも、春ともなれば一斉に花を咲かせ、百花繚乱となりますが、花を見るのは、その姿を見るのではなく香のような花の心を見るべきだ、ということではありますまいか。きょうはいかような茶になるかと思案したおり、何となくこの言葉が浮かびました」 (同書 p.88-89)

 

<空蝉の世にも似たるか花桜>

 桜が散り始めていた。柏木靖三郎は家老の土屋左太夫に呼ばれて、御用部屋ヘ向かう途中、ふと『古今集』の和歌を思い出した。

  空蝉の世にも似たるか花桜 

               咲くと見しまにかつ散りにけり 

 はかないこの世にも似て、桜の花は咲いたかと思う間もなく散っていく、という歌だ。 (同書 p.100)

 

<巨勢山のつらつら椿>

 そのとき、藤尾様から、もし、と声をかけられました。夢から覚めたように、ハッとして藤尾様を振り向きました。すると藤尾様は、たったいま、和歌の講評をしていた善徳和尚が口にした、

 巨勢山のつらつら椿つらつらに 

                        見つつ偲ばな巨勢の春野を 

という和歌がよくわからないのだ。と恥ずかしげに訊かれたのです。わたしは小声で『万葉集』にある和歌で、持統天皇紀伊行幸した際に供をした坂門人足の歌ではないか、と思う、と言いました。  (同書 p.149)

 

<朧月夜>

 靱負は、『源氏物語』に、朧月夜が出てくるのを知っているか、と千佳に尋ねた。千佳が『源氏物語』は読んでいないと答えると、靱負は光源氏が出会った朧月夜の女について話した。あるとき帝が花見の宴を開かれた。宴が終わり、光源氏はほろ酔い加減でひとり余韻にひたり宮殿を彷徨っていると、そこにひとりの女人が、ー 朧月夜に似るものぞなき と歌いながらやってくる。『新古今集』にある歌だ。 

 照りもせず曇りもはてぬ春の世の

                   朧月夜にしくものぞなき

 照り輝くでもなく曇り空で見えなくなるものでもない。春の夜の朧月夜に勝る月はない、という歌である。靱負はそれ以上、源氏物語の内容にふれなかったが、光源氏はこの朧月夜の女と一夜の契りをかわす。  (同書 p.161-162)

 

有明の月>

 又兵衛は床の間に目を走らせた。この日は靱負自筆の短冊ではなく、 

  郭公(ホトトギス)鳴きつる方をながむれば

  ただ有明の月ぞのこれる 

 と書かれた軸が掛けられている。「なるほど、有明の月を待つ心で茶を点てるということか」。「そういうことだ」靱負が答えると又兵衛は縁側に向かって座り、太刀をかたわらに置いた。他家を訪問した武士が刀を携えている場合、抜き打ちをしないという証に右側に太刀を置く。しかし、又兵衛は左側に置いた

 靱負は又兵衛の刀をさりげなく見てつぶやいた。「そうか、又兵衛はわたしを斬りに来たか」。(同書 p.211-212)

 

 <生ずるは独り> 

 さらに一遍上人にはこういう言葉がある、として靱負は口にした。

  ー 生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共にはつるなき故なり

 ひとは一人で生まれ、一人で死ぬ、ともに住んだとしても、心は独りである、ゆえに共に死ぬことはないのだ、という覚悟を示した言葉だった。 (同書 p.257)

 

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            『秀樹杉松』91巻2543号  18/1/28  #blog<hideki-sansho>183

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