秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂めぐり(35回=目黒区=2018-4-3)~柿の木坂、どぜむ坂、天神坂、化坂、太鼓坂、しどめ坂、氷川坂。~ 青木光一「♪柿の木坂の家」、柿の木坂陸橋、北野神社、八雲小学校、「八雲」の地名、氷川神社、呑川緑道、呑川駒沢支流緑道、自由通

 

 「♪柿の木坂の家」(作詞:石本美由起、作曲:船村徹)

 青木光一が歌った懐かしい歌謡曲であるが、とても難しい高尚な曲で私はうまく歌えない。それだけに魅力的な名曲である。実はこの歌に誘われるように、今回の目黒区の「柿の木坂」周辺の坂歩きを企画したが、事前の下準備(ネット情報調べ)段階で、「♪柿の木坂の家」の柿の木坂は、目黒区の「柿の木坂」(目黒通)ではなく広島県廿日市市の明石峠付近の今の「汐見坂」であることが判明しました。やはり、坂めぐりは勉強になります。 

 これに関するネット情報として、二つのブログを紹介します。「柿の木坂」は今日の坂めぐりのハイライトですので、ぜひお読みください。 / Atelier秀樹

 

 

<坂めぐりのコースと写真>

 

東急東横線都立大学前駅」下車 

<註>東京都立大学」は、都立科学技術大学・都立保健科学大学・都立短期大学と統合して、2005年に「首都大学東京」として八王子市に設置された。東横線の駅名「都立大学」はそのまま残されている。

 

柿の木坂(目黒通り)

 <坂名の由来>

 1)坂の途中に人目につく大きな柿の木があったので、この名がついたといわれる。また、近所の子供がこの坂を通る野菜を運ぶ荷車から柿を取ったため、「柿抜き坂」が変って「柿の木坂」になったという説もある。(東京都設置の標識)

 2)坂の名のいわれには諸説ある。

• 坂の近くに大きな柿の木があった。

• 柿の木がよく見える坂だった。

• 柿を運ぶ車から子供が柿を抜き盗んだ「柿抜き坂」が転じた。

• 人家が少なく暗くなると人々が駆け抜けて通った「駆け抜け坂」が転じた。(Wikipedia) 

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 ♪ 柿の木坂の家

  作詞:石本美由起 作曲:船村徹、歌:青木光一

 ◉歌詞

 春には 柿の花が咲き 秋には 柿の実が熟れる 柿の木坂は駅まで三里 思いだすなァ ふる里のヨ乗合バスの 悲しい別れ  

 春には 青いめじろ追い 秋には 赤いとんぼとり 柿の木坂で 遊んだ昔懐しいなア しみじみとヨ こころに返る 幼い夢が

 春くりゃ 偲ぶ馬の市 秋くりゃ 恋し村祭り 柿の木坂の あの娘の家よ 逢ってみたいなァ 今も尚ョ 機織りながら 暮らしていてか...

 

 ◉モデルの坂

 1)「柿の木坂」のモデルは、広島県廿日市市にあった(「江戸東京発今昔物語 tabijiphoto.comから)

 東京に住む博学な叔父に「あの歌に出てくる柿の木坂ってどこ?」って聞くと「目黒にある坂だろ」と言う。確かに、目黒に「柿の木坂」という地名はある。ただ、地図を見ていて違和感を感じたのは「駅まで三里」のはずだが、少し離れたJR目黒駅まででも直線で3kmほど、とうてい三里ではない。

「駅まで三里」の駅はどこだろう?と、ずっと思っていた。そんな疑問をずっと持ち続けていたが、ある日、広島の方から「柿の木坂の家」に出てくる柿の木坂のモデルは、広島にあると聞いた。正直驚いた。柿の木坂は目黒で、「駅まで三里」の駅はどこか?とずっと思っていたから。

 なんでも、「柿の木坂の家」を作詞した作詞家の石本美由紀氏が亡くなったあと、広島の地方紙 中国新聞に、柿の木坂についての記事が出ていたそうだ。それによると柿の木坂のモデルになったとされる坂は、廿日市市の明石峠付近の坂とか。……「柿の木坂の家」の歌に出てくる「柿の木坂」は目黒と思っている東京の人は、意外と多いかもしれない。 

 

 2)「津和野街道」ブログ(tsuwano.sblo.jp):柿の木坂の家

 広島県大竹市出身の作詞家、石本美由起さんが亡くなられ、中国新聞にこんな記事が出ていました。

 柿木は大竹市石本美由起さんの家の木坂道は広島県廿日市市から旧佐伯町への汐見坂、明石峠(津和野街道)をイメージされたものだそうです。そういえばちょうど「駅まで三里(12km)」くらいです。(明石峠からJR廿日市駅まで)

 この道は江戸時代は津和野藩の参勤交代の道「津和野街道」です。そして「柿木坂の家」が作詞されたころは、道幅の狭い、くねくねと曲がった道を小さなボンネットバスが通ていました。今でも道に沿った集落の家々には庭先に柿木があります。

 この時代は甘いものが少なく、比較的糖分の多い甘柿や干し柿、熟した柿の実は子供には最高のおやつでした。またその時代、遊びの少ない子供達にはメジロやホウジロなど小鳥を飼うことも楽しみの一つでした。

 

柿の木坂陸橋

 環七通と目黒通が交差。

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どぜむ坂

 坂名の”どぜむ”は堂前(どうぜん)の意味で、昔この辺りの道端にお堂があったことから、”どぜむ”と呼ぶようになったといわれる。また、この土地の”土左衛門”なる人が開いた坂なのでそれがなまって”どぜも坂”と呼ばれるよになったともいわれる。今の目黒通。柿の木坂陸橋で柿の木坂と接続。

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柿の木坂通

 都立大学駅から北へ、世田谷区野沢で環七へ合流。

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天神坂(てんじんざか)(柿の木坂通)

 坂の途中に北野神社があり、天神様(菅原道真を祀っていることからこの坂名となった。柿の木坂の南部分、北野神社の周辺。

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北野神社

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八雲通(やくもどおり)

 目黒区内には「○○通」が多い。どぜむ坂と柿の木坂はどちらも目黒通であり、天神坂は柿の木坂通である。前身は二子通。曲がりくねった道で、文豪国木田独歩が青年時代を過ごしたという。昔は「大山街道」。

 この他近辺には、八雲通、やくも文化通、自由通、駒沢通、碑文谷公園通、碑文谷八幡通、東堀公園通、サレジオ通、碑さくら通…。つまり、主要な道路には「通り名」をつけているのはいいことですね。

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八雲小学校

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「八雲」の地名

 恥ずかしながら私は、小泉八雲ラフカディオ・ハーン)と関係があるのではないかと、勝手に思ったりしていたが、全くのハズレでした。八雲二丁目にある、素戔嗚尊スサノオノミコトを祭る氷川神社と深く関わっているそうです。

 素戔嗚尊は大蛇:八岐大蛇(ヤマタノオロチを退治して櫛名田姫(クシナダヒメ)を助けた。姫との新居を須賀というところに構えた尊は、その宮を造るときに盛んに雲が立ち昇ったので、「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と謳ったという。この歌は日本最初の和歌とされることから、和歌の別名ともされ、「八雲立つ」「八雲さす」は出雲にかかる枕詞となっている。

 その最初の言葉である「八雲」が、同神社にちなんだことばとして、今日、小学校や町名に用いられている。昭和39年の住居表示制度の第一期実施地区として、宮前町、大原町、衾町、芳窪町、中根町の一部が、東が丘一丁目〜二丁目と八雲一丁目〜五丁目となった。日本最初の和歌の言葉である「八雲」が、奇しくも目黒区の最初の住居表示名として、東が丘とともに名乗りを上げたわけである。(目黒区HPより)

 

氷川神社(ひかわじんじゃ)

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自由通

 町名の自由が丘、東急東横線自由が丘駅の駅名に連動、南北に長い。いい名前ですね。

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化坂(ばけざか)

 武蔵野台地の斜面に多い赤土層に砂礫層が露出し、湧水が出る所を「はけ」といっていた。それがなまって、「ばけ」となり、また坂名になったといわれる。この坂が、衾(ふすま=村名)と深沢の境を分けるので「分け坂」とも呼んでいた。

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呑川(のみかわ)緑道

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呑川駒沢支流緑道

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太鼓坂(たいこざか)

 昔、この坂の斜面が太鼓のような形をしていたので、または、急坂のため太鼓を転がすように人が転げ落ちたので、太鼓坂と呼ばれるようになったといわれています。

 また、目黒には多くの坂があり、この付近だけでも他に5つの坂があります。①化坂 ②しどめ坂 ③氷川坂 ④谷畑坂 ⑤睦坂

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宮前小学校と八重桜

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しどめ坂

 しどめは草ぼけ(しどみ)のことで、雑木林やあぜ道に多い、赤い花の咲くとげのある木である。昔はこのしどめが呑川の岸辺に群生していたので坂の名になったといわれる。

 木瓜(くさぼけ)=バラ科の落葉低木。山野に生え、高さ約50cm。枝には小さな突起があり、葉は倒卵形。春、葉より先に赤色の5弁花をつけ、果実は熟すと黄色くなる。しどみ。

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氷川坂(ひかわざか)

 近くに氷川神社があるので氷川坂とよぶようになった。この坂下あたりを今でも坂口とよんでいる。

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東急東横線都立大学前」

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                『秀樹杉松』92巻2582号  2018-4-3,  # blog<hideki-sansho> 222

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