秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂めぐり(39回=2014-4-21、板橋区志村方面)~ 南坂、馬の鞍の坂、城山の坂、志村城址坂、平次坂、清水坂、志村坂、魚藍坂、寺坂、見次坂。~志村一里塚、志村城山公園、小豆沢公園、小豆沢神社、見次公園、前野原温泉 さやの湯処。

 39回目の坂めぐりは、坂道の多い板橋区志村方面へ行って来ました。27度の暑さの中を10の坂道を歩き回ったので、終了後近くの「前野原温泉 さやの湯処」に寄って一風呂浴びてきました。今日のハイライトは、清水坂、志村坂、志村城址坂、志村一里塚、見次公園、さやの湯処、でしょうか。  / Atelier秀樹

 

 <坂めぐりのコースと写真>

 

都営地下鉄三田線志村三丁目駅」下車

  

南坂

 板橋区中台2丁目。北前野小学校の南西にある急坂。この坂を登り、練馬の富士街道につながる道。大山詣り富士登山参拝にも通る道であった。坂名の由来は不明。

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馬の鞍の坂

 板橋区志村1丁目。志村小学校の南東200m。前野町4丁目と志村1丁目の境界から北に上る。前野町から志村へ上る坂。日露戦役の時,軍馬にするため近在の村々から徴収した馬を一時つないでいたので,馬の鞍といった。(「郷土 板橋の坂道」による)

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 志村小

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城山の坂

 板橋区志村2丁目。志村小学校の南側の崖を下りる坂。昔は樹木に覆われ昼なお薄暗く上り下りに苦労する急坂であった。崖上一帯は,志村城址で城山とよばれ,志村小学校や熊野神社がある。(「郷土 板橋の坂道」による)

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志村城址

 板橋区志村2丁目。熊野神社の北側の崖を下る坂。がけ下は志村城山公園。志村城址の北側斜面を下る坂。志村城は,15世紀に千葉自胤が赤塚城に入場したとき一族の信胤が拠点とした城。城址には熊野神社・志村小学校などがあり,かつての空濠跡も残る。(「今昔東京の坂道」による)

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志村城

 志村城は、豊島氏一族の志村氏により築かれたと考えられているが、築城年代等は詳らかでない。 享徳の乱後、馬加氏に追われ赤塚城に拠った千葉氏(武蔵千葉氏)の一族が入り、赤塚城の支城として使用された。

 志村城は別名、千葉城、板橋城、篠田城と呼ばれています。 志村城は豊島氏一族の志村氏により築かれた城です。1455年(康正元年)に下総千葉氏の内紛が起こり、馬加氏(まくわりし)によって 亥鼻城 を追われた 千葉自胤 が、扇谷上杉氏を頼って武蔵に逃れ 太田道灌 によって庇護され「武蔵千葉氏」を称した際には、 千葉宗家が根拠とする 赤塚城 の支城として、一族の 千葉信胤 が入りました。

 志村城は、志村三丁目駅の南側に東西に細長い丘陵に築かれている。 現在の志村小学校とマンションが建つ所が本丸、熊野神社境内一帯が二の丸、その東側一帯が三の丸であった所だ。 城の遺構が、神社社殿の西側に本丸と二の丸の間にあった空堀が今でも残っている。 神社の鳥居を潜った左手に城石碑と案内板が建てられていた。 (ネット情報)

  

城山公園

 志村城山公園上部は舌状台地の先端に位置し、現在、熊野神社の社が建っている。平安時代の長久三年この地の豪族志村将監が紀州熊野神社の分霊をここにお祀りしたのが始まりと伝えられている。その後、お社を中心に志村城が作られ、康正二年千葉氏が板橋地方に移入した時から赤塚城の前衛拠点として守りをかためていたといわれている。この城は中世の平城の典型的な姿とされ、北の山裾まで荒川の水がしたし、南の裾を出井川が巡り(現在地下河川)城の水濠となっていたと思われている。

 現在残る遺構としては熊野神社本殿西脇の空堀址のみとなっている。(かなり埋められていて判別しがたい)この空堀は本郭と二の郭の間にあった空堀と推定されている。城山は戦後直ぐに工場等が建てられ、その頃まで残されていた二郭と三郭の空堀は埋め立てられ、本郭は大きく削平され工場が建てられ遺構は失われてしまった。

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熊野神社

 志村熊野神社(しむらくまのじんじゃ)は、東京都板橋区志村にある神社。かつて当地にあった志村城の二の丸跡に建立されている。 長久3年(1042年)に当地の豪族であった志村将監が紀州熊野から勧進したと伝えられている。

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平次坂(へいじざか)

 板橋区志村2丁目。志村坂の坂下から30mの地点から南西に上る坂。いつの頃か平次という人が開いたと伝えられている。急勾配に加えて崖から清水が赤土の道いっぱいに流れだしているので滑りやすく,雨降りの時などは特にひどく草や木に掴まらないと登れなかった。農科の人たちが坂下の田畑に通うには,清水坂を回らず,この近道を利用した。(「郷土 板橋の坂道」による)

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清水坂

 板橋区志村2丁目。旧中山道。地下鉄三田線志村坂上駅の北西400mで,現在の中山道国道17号)から南に分かれ,左右に曲がりながら下る。途中かなり急な部分がある。(旧中山道

 日本橋を旅立ち、中山道で最初の難所隠岐殿坂、地蔵坂、清水坂と、時代とともにその呼び名を変えました。この坂は急で、途中大きく曲がっていて、街道で唯一富士を右手に一望できる名所であったと言われています。坂の下には、板橋・蕨両宿をつなぐ合(あい)の宿があり、そこには志村名主屋敷や立場茶屋などがあって、休憩や戸田の渡しが増水で利用できないときに控えの場所としてされていました。この辺りは昭和30年代ごろまでは旧街道の面影を残していましたが、地下鉄三田線の開通など、都会化の波によってその姿を変えました。(板橋区教委)

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志村坂

 板橋区小豆沢3丁目と志村2丁目・3丁目の間。中山道志村坂上交差点から環八通りまで。志村の台地から志村ヶ原といわれた低地に向かう坂。旧中山道清水坂はこの坂の西裏をほぼ平行して通っている。昭和8年に,志村の台地を切り開いて今の中山道がつくられた。坂の上には日本橋から3里目の一里塚がある。(「いたばしの地名」による)

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 志村一里塚 

 所在地 板橋区志村1-12/板橋区小豆沢2-16。江戸時代、徳川家康は街道整備のため、慶長9年(1604年)に諸国の街道に一里塚の整備を命じました。志村一里塚は中山道の第3番目の一里塚として築かれたもので、明治以降多くの一里塚が消滅するなか、今日、2基一対で残っている一里塚は全国的にも大変少ないものです。現在は国の史跡に指定されています。(city. itabashi)

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      中山道の両側に建てられている。別々に撮影したものです。

 

f:id:hideki-sansho:20180421194631j:plain手前の一里塚と、道路をはさんだ向こう側の一里塚。両方を一枚に収めてみました。

 

小豆沢公園

 この公園は、公園の機能のほかスポーツ施設としての機能も有しています。小豆沢3-1。

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魚藍坂(ぎょらんざか)

 板橋区小豆沢3丁目と4丁目の間。小豆沢公園の北東面に沿って,北西から南東に。昔,小豆沢の台地下の荒川で漁業をしていた村人が農業に転じた時,勝手に漁を行わないように,それまで使用していた多くの「びく」(魚藍)を,坂上に埋め 塚(八百漁藍塚)を築いた。この側を通る坂なので魚藍坂という。(「郷土 板橋の坂道」による)

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ニリンソウ生育地

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御手洗池(みたらしいけ)(御手洗不動旧跡)

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階段坂

 坂名はないが、小豆沢神社は崖上にあるので、きつい石段を上り下りする。

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小豆沢神社

 康平年間(1058~1065)、源義家の感情と伝えられ、江戸時代には十二天社と呼ばれ、小豆沢村の鎮守でした。小豆沢の地名については、1)平将門の時代、神社の台地下の入江(荒川の昔の河道)に停泊中の船が嵐に遭い、小豆を積んだ袋を流失した。2)上流から漂着した米を腐らないうちに食べたことを、裁判で評価され、祝いの小豆飯を炊いた。という二つの故事が残ります。現在では、後者の故事にちなみ、毎年6月15日に餅つき祭が執り行われています。(板橋区教委の掲示板)

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龍福寺

 室町時代末に袋町の真頂院の住職運珍和尚が、創建したと伝わる真言宗寺院です。境内には、平安時代に台地下にひろがっていた七々子崎という入江で発見されたとの縁起をもつ薬師如来を祀っています。建長七年(1255)の板碑など数基の板碑があって、「板碑の寺」として有名です。

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寺坂

 板橋区小豆沢4丁目。龍福寺の東側を曲がりながら下る坂。龍福寺や小豆沢神社のある台地から下る坂。この先の荒川は,江戸時代から舟運で栄えた小豆沢河岸(別名大根河岸)や,対岸の浮間とを結ぶ浮間の渡し場があった。(「郷土 板橋の坂道」による)

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見次坂(みつぎざか)

 板橋区志村1丁目と前野町4丁目の間。見次公園北入口前から,見次公園池の西側に下りる坂。

 見次公園の西側の崖に沿って上る坂。坂上の先は中山道の一里塚の所に出る。前野町から志村へ上る坂。“見次”の語源は,こおノ辺りが古代から拓けた所で,貢(年貢)の集積地であったと考えられることによる。(「郷土 板橋の坂道」による)

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見次公園(みつぎこうえん)

 前野町4-59。昭和28年4月に開園され、面積約14,000平方メートルのうち45%が手こぎボート池になっています。 自然の湧き水をたたえた見次公園は、ゆったりした時間を過ごすのに適した公園です。(city.itabashi)

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前野原温泉 さやの湯処

 板橋区前の原3-41-1。「東京日帰り温泉 源泉掛け流し | 前野原温泉 さやの湯処。東京で味わえる本物の源泉かけ流し天然温泉。うぐいす色の湯と枯山水の苔庭、昭和の日本家屋。都内とは思えない癒しの空間で心安らぐ時間をどうぞ」(sayanoyudokoro HP)

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都営地下鉄志村坂上駅(ゴール)

 

 <編集註>坂名の解説・由来等は sakagakkai.org に拠りました。

 

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        『秀樹杉松』93巻2592号 2018-4-21,  # blog <hideki-sansho> 232

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