今日は面白い坂へ行ってきました。23区の中で坂が二つしかない江東区と足立区に足を運びました。私の坂めぐりの坂といえば、名前があり、坂学会・日本坂道学会の坂リストに登載されているものに限っています。
今回は、江東公会堂(ティアラ江東)構内のドレミ坂とピッコロ坂(いずれも階段)、それと、足立区新田三丁目のハートアイランド新田のさくら坂とふじみ坂。以上の4坂です。
それともう一つ。実は昨日、杉並区内の”名無し”の坂3箇所へ行ってきました。坂(道)学会の坂に収録されていないのですが、のちに記すような事情の故、写真を撮り、勝手に命名(仮称?)しました。番外編として本号に収録します。
以上のような次第ですので、今回のブログは面白いと思います。どうぞご覧ください。 / Atelier秀樹
【江東区】
ドレミ坂
東京都江東区住吉2丁目。江東公会堂(ティアラこうとう)構内 北東側。南から北に上る。長さ:約20m。形態:幅の広い階段。標識:坂の側壁に坂名を記したプレートがある。
ドレミ坂 Named by Mai Shimamura
“ティアラこうとう”が竣工した時に命名されたようだが,詳細は不明。命名時期:1994年。
ピッコロ坂
東京都江東区住吉2丁目。江東公会堂(ティアラこうとう)構内 南東側。北から南に上る。長さ:約20m。形態:階段。標識:坂の側壁に坂名を記したプレートがある。
ピッコロ坂 Named by Sayoko Ishizuka
“ティアラこうとう”が竣工した時に命名されたようだが,詳細は不明。命名時期:1994年。
【足立区】
ハートアイランド新田 周辺案内図
一番街、二番街、三番街、四番街
一番街
二番街
三番街
さくら坂
足立区新田3丁目。隅田川と荒川に挟まれて“島”状態になっている 足立区の新田地区。その一角の“ハートアイランドshinden「一番街」と「二番街」の間に,細い遊歩道「さくら坂」が荒川堤防上に続いている。北東に向って上り坂。長さ:100m。傾斜:緩やか。形態:“く”の字に曲がる。ハートアイランドの敷地内の遊歩道。標識:坂下に「さくら坂」と書かれた私設の標識がある。
この地域は かつてトーアスチール(株)足立工場があったが,1996(平成8)年に 住宅用地として 住宅都市整備公団に譲渡された。約7万坪(22ha)の面積があり,現在は“ハートアイランドshinden”の一番街・二番街・三番街が完成している。この坂は 団地内に造られた遊歩道につけられた愛称である。命名時期:2003(平成15)年ごろ。(行ってみたら、四番街ができていました)
ふじみ坂
足立区新田3丁目。隅田川と荒川に挟まれて“島”状態になっている 足立区新田地区。その一角の“ハートアイランドshinden「二番街」”の東側に,道幅は狭いが爽やかな遊歩道が荒川堤防上に続いている。北に向って上り坂。長さ:90m。傾斜:緩やか。形態:“く”の字に曲がる。ハートアイランドの敷地内の遊歩道。標識:坂下に「ふじみ坂」と書かれた私設の標識がある。
この地域は かつてトーアスチール(株)足立工場があったが,1996(平成8)年に 住宅用地として 住宅都市整備公団に譲渡された。約7万坪(22ha)の面積があり,現在は“ハートアイランドshinden”の一番街・二番街・三番街と名付けられた分譲マンションが完成している。この坂は 団地内に造られた遊歩道につけられた愛称である。命名時期:2003(平成15)年ごろ。
荒川
ハートアイランド新田のすぐ裏が荒川。
<註>坂名の解説は、sakagakkai.org(坂学会/東京23区の坂)に拠りました。
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<坂めぐり番外編>
【杉並区】三つの坂
前号の坂めぐりを読んでくれた知人からメールが入りました。子供の頃に方南町界隈で遊んだ記憶から、方南二丁目の釜寺付近に2箇所の坂、方南一丁目に「稲荷坂」があったはずだと。こういう連絡はありがたい。早速に昨日行って確かめたら、確かに三つの坂を確認できました。特に、「稲荷坂」は学会の坂リストに載ってないのは不思議に思いました。
地図を見ても杉並区には坂が見当たりません。坂名の標識がないのが大きな原因では?それでも坂(道)学会ではリストアップしているのは流石です。それでも、坂学会が48坂なのに、日本坂道学会は11坂のみです。杉並区は様々な区政課題が多いでしょうが、坂の整備にも力を入れて欲しいのが私の実感です。
坂めぐりの対象外にしている”名無し坂”(坂リスト未収録)三つに、この際ですから坂名を勝手につけさせてもらいました。””印で発表します。
“釜寺坂”(仮称)
杉並区方南一丁目。方南通りから方南中央通りを南下。釜寺(東運寺)と身代地蔵尊の間の道。有名な釜寺の横の坂なので、「釜寺坂」と命名したい。
釜寺 東運寺
<東運寺の概要>
浄土宗寺院の東運寺は、念仏山と号します。東運寺は、天正元年(1573)備前の僧一安上人が、奉じていた安寿と厨子王の守り本尊「身代わり地蔵尊」を安置して当地に念仏堂としてはじまりました。大正11年、下谷入谷町にあった東運寺(慶安4年1651年茂山上人開山)と合併し、念仏山東運寺と改称しました。当寺には、釜ゆでにされそうになった厨子王をお坊さんになって助けたという身代わり地蔵尊、浅野内匠頭が通ったと伝えられる田村右京太夫江戸屋敷の脇門があります。(猫の足あとー杉並区の寺院 tesshow.jp)
<東運寺の縁起>
「釜寺」の通称で親しまれている念仏山東運寺は、阿弥陀如来像を本尊とする浄土宗の寺で、「釜寺」という通称の由来となった「身代わり地蔵尊」も安置されています。
戦国のころ、天正元年(1573)備前の僧一安上人が、安寿と厨子王の守り本尊「身代わり地蔵尊」を奉じてこの地に来ました。これに帰依した方南の大地主鈴木伊兵衛が屋敷を寄進して念仏堂としたのが、当寺の開創と、元禄14年(1701)もと住職であった祐梵上人筆の由緒書は伝えています。
この「身代わり地蔵尊」は、山椒太夫に釜ゆでにされそうになった厨子王を、お坊さんの姿になって助けたという言い伝えがあり、それにちなんで当寺本堂の屋根に釜を置いたといわれます。現在の大釜は、昭和20年の戦災で本堂焼失後、当地の信者が寄進したもので、米一俵を炊くことができるといいます。
文化財としては、元禄2年(1689)の刻銘のある半鐘や江戸初・中期の庚申塔・石仏などが保存されています。また、山門はもと田村右京太夫江戸屋敷の脇門(浅野内匠頭が通ったと伝えられる)であったのが、そのゆかりの人々の冥福を祈って寄進保存されたものです。そのほか、中国山東省の孔子家より頂いた銘木「楷樹」が数株植えてあるのも珍しいです。
なお、大正11年、下谷入谷町にあった東運寺(慶安4年1651年茂山上人開山)と合併し、改めて念仏山東運寺となりました。(杉並区教育委員会掲示)
<身代わり地蔵尊>
この「身代り地蔵尊」は、山椒太夫に釜ゆでにされそうになった厨子王を、お坊さんの姿になって助けたという言い伝え。
「山椒大夫」(さんしょうだゆう)は、説話「さんせう太夫」をもとにした森鴎外による小説で、鴎外の代表作の一つである。
平安時代の末期、陸奥国の掾であった平正氏は、上役の罪に連座して筑紫国へ左遷された。妻と、安寿・厨子王の幼い姉弟は、正氏に会いに行く途中、越後国で人買いに騙され、離ればなれになってしまった。安寿と厨子王は、丹後国の苛烈な荘園領主・山椒大夫に売られ、奴隷としてこき使われるようになる。やがて、成長したふたりは、荘園から脱走することを考えるようになった。そしてある日、安寿は厨子王に脱走をすすめる。厨子王は都への上洛を果たし、関白藤原師実の知遇を得て丹後に国司として赴任(実際は遥任であるが)、厨子王の脱走とともに入水した姉の菩提をとむらうとともに、丹後一帯での人買いを禁止。山椒大夫はやむなく、奴隷を解放し賃金労働者として雇うようになる。その後、母が佐渡国にいると聞きつけた厨子王は、佐渡にむかい、盲人となった母親に再会する。(Wikipedia)
説話「さんせう太夫」
岩城の判官正氏の御台所、その子安寿とつし王(厨子王)が、帝から安堵の令旨を賜るべく都へと向かう途中、人買いにたぶらかされて親子離れ離れに売られ、姉弟は丹後の長者「山椒太夫(三庄太夫)」のもとで奴隷として辛酸をなめる。姉の安寿は弟を脱走させたため山椒太夫の息子・三郎によって凄惨な拷問を受けた末に殺されてしまう。つし王は神仏により救われて出世し、山椒太夫父子に苛烈な復讐を行う。(Wikipedia)
”方南坂”(仮称)
方南二丁目。東雲寺の東側の坂道。坂道を挟んだ東側に方南第二公園、100m南に方南小学校があるので、「方南坂」と命名したい。
方南二丁目公園
釜寺東遺跡
「稲荷坂」
坂学会、日本坂道学会のどちらの坂リストにも出てこない。言うなれば未公認の坂名。
方南町の谷中稲荷神社と稲荷坂は地元ではよく知られており、方南町界隈の子供達はこの近辺で遊んだ記憶を持っているようだ。「稲荷坂にあるお稲荷さんは同級生たちの溜まり場でした」などの文言が、ブログに垣間見られる。
稲荷坂はそろそろ公認して欲しいと思う。そこで本ブログではためらいなく「稲荷坂」と命名した。
谷中稲荷神社
方南1-39。谷中稲荷講中の人々によって祀られた祠。昔伊勢神宮の太々講に行った人が、京都伏見稲荷神社のご分霊を遷したという。あるいは、ある家の屋敷神であったともいう。 現在は大宮八幡宮の境外摂社。(blog.goo.ne.jp)
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『秀樹杉松』93巻2596号 2018-5-2, #blog<hideki-sansho>236 ...........................................................................................................