秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

坂めぐり(44回=2018-5-4)中野区本町・中央界隈。~相生一番坂・相生二番坂・中野坂・成子坂・犬坂・小笠原坂・鳥見坂・水車坂・レンガ坂。~淀橋・中本稲荷神社・宝仙学園・実践学園・堀越学園・桃園川緑道・桃花小学校・大けやき(千本けやき)・かう志んはし(庚申橋)。

 今日は、中野区の本町・中央方面の坂めぐりをしました。結構離れたなところに分散しているため、”歩き過ぎ”にならないように、バスにも乗りました。それでも、歩行は2万歩を記録しています。どうぞご覧ください。 / Atelier秀樹

 

相生一番坂(あいおいいちばんざか)

 中野区本町1丁目。地下鉄・中野坂上駅の南東 300m。中野坂上交差点に面する 29階建ての「ハーモニータワー」の裏(南側)。青梅街道からハーモニータワーの東側を50mほど南に入ると,更に南に向って 狭い下り坂になっている。この附近は 狭い道路が複雑に入り組んでいるが,それぞれの通りに 「豊水橋通り」「あやめ橋通り」「相生通り」「相生仲通り」などの名前がついていて,道路名標識が建てられている。

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相生二番坂

 中野区本町1丁目。地下鉄・中野坂上駅の南 200m。 中野坂上交差点から 山手通りを南に200m進み,左斜めに別れる 狭い道。中野坂上一帯は 地下鉄大江戸線の開通をきっかけにして,いくつもの高層ビルが建てられて 大きく街の姿が変貌した。さらに 山手通りの地下を“首都高・中央環状新宿線”も完成しり,新宿副都心まで 1km程度と近い距離にあるので,今後も街の姿が変わっていくと思われる。坂途中の“本一高齢者会館”近くの壁面に「相生ニ番坂」の標識掲示されている。

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中野坂

 中野区本町1丁目と中央1丁目の間。青梅街道の“中野坂上”交差点付近から,“中野坂下”交差点付近までの緩い坂。坂下には 神田川に架かる“淀橋”があり,ここが中野区と新宿区の区境となっている。淀橋の東側には「成子坂」があり,いずれも川に向かって下る坂となっている。

 坂下近くのレンタカーショップの前に,東京都が設置した標識が建っている。

 中野坂 なかのざか

 中野の名称については,江戸名所図会などに,武蔵野の中央にあることから「中野」と呼ばれるようになったことが記されている。青梅街道のこの辺りは,江戸の頃から 堀の内のお祖師様 として知られる妙法寺への参詣者の通り道としても賑わっていた。坂上には「弁慶」という菓子店と「大団子」と称する団子屋があり,「弁慶」の水飴と「大団子」のつけ焼団子が,当時中野の名物として知られ,堀の内祖師かえりの土産として好評を博した。

   昭和五十九年三月   東京都

 中野の主要な坂であることから この名がついたのであろう。

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               中野坂の標識

 

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淀橋(よどばし)

 淀橋(よどばし)は、東京都新宿区中野区の境の神田川に架かる青梅街道上の橋。現在の新宿駅西口の一帯を指す地域の旧称でもある。

元々は青梅街道の南側に広がる農村であったが、新宿駅の発展とともに、駅周辺を中心とする繁華街が形成された。さらに、1960年代後半以降の淀橋浄水場跡の開発(新宿副都心計画)により超高層ビルが林立する街となった。1990年、東京都庁もこの地に移転し、現在では副都心と呼ばれる。

1932年に発足した旧・淀橋区には、現在の新宿駅東口一帯、および大久保から落合にかけての一帯が含まれる。

  名称の由来

淀橋(橋の名称)はかつて姿見ずの橋、面影橋などと呼ばれていたが、「淀橋」となった理由にはさまざまな説がある。(「姿見ずの橋」は中野長者伝説から来たもので、花嫁はこの橋を渡ると行方不明になるという言い伝えがあった。)

  • 姿見ずの橋で休憩していた徳川家光により、川の流れが緩やかでよどんで見られたので淀橋と名づけた。
  • 放鷹した際に姿見ずの橋を通った徳川家光徳川吉宗説もある)が橋の名前の由来が不吉であることを知り、風景が京都淀川に似ていたことから淀橋と改名した。
  • 豊島郡多摩郡の境界にあり、両郡の余戸をここに移住させてできた村なので、ここに架かる橋を「余戸」と呼ぶようになり、さらに淀橋となった。
  • 柏木中野角筈、本郷の4つの村(4戸)の境にあるため「四戸橋」となり、これが淀橋に変化した。

                              (Wikipediaより)

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成子坂(なるこざか)

 新宿区北新宿2丁目と西新宿5丁目の間。青梅街道の 東京医大病院前付近から 成子坂下交差点付近までの坂。標識の説明文にもある「成子子育地蔵尊」が,成子坂下交差点南東角にある。また 坂名の由来となった「成子天神社(=成子神社)」は 坂の途中北側にある。

 <編集註>今日歩いたのは中野区内の坂ですが、この成子坂だけが新宿区でした。

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中本稲荷神社

 中本一稲荷神社. 中野区中央1丁目にある中本一稲荷神社(なかほんいちいなり)は、 通称「高稲荷」と呼ばれています。 現在は正一位伏見稲荷豊受大神宮(五穀豊穣)、大山阿夫利神社(盗難除け)が祀られているとのことです。 (p-colle.link)

 <編集註>青梅街道の北が中野区中央、南が本町。だから「中本」?

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宝仙学園と実践学園

 東京都中野区に所在し、中高一貫教育を提供する私立の中学校。(Wikipedia

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   <編集註>学校法人が多い地区で、今地図を見たら堀越学園もあるが、写真は撮り洩らしました。

 

犬坂(いぬざか)

 中野区中央2丁目。地下鉄中野坂上駅から北西に300m。宝仙寺宝仙学園の間。標識なし。江戸時代,将軍が遊猟した際に,猟犬が野犬に襲われることがあるため,野犬狩りをして現在の犬坂下あたりに拘束していたことに因む。(「東京の坂風情」による)

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宝仙橋(ほうせんばし)

   桃園川緑道にかかる小笠原坂の橋跡。

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桃園川緑道(ももぞのがわりょくどう)

 桃園川緑道は、旧桃園川(旧桃園川下水幹線)に、昭和60年から平成6年にかけて整備されました。杉並区側も整備されており、神田川につきあたるまで、約2.3キロメートルの緑あふれる遊歩道となっています。(中野区HP)

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小笠原坂

 中野区中央2丁目と3丁目の間。桃園川緑道に架かる慈眼堂橋から南方向に上る坂。標識無し。「青梅街道の西武信用金庫の横を北へ行き、“小笠原坂”と呼ばれた坂を下り、慈眼堂橋を渡ると、・・・」とある。(「東部地区 昔をたずねて」より)

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鳥見坂(とりみざか)

 中野区中央5丁目。区立桃花小学校(旧桃園第三小学校)の南側沿いの坂。標識無し。青梅街道の追分から、区立桃園第三小学校の南側沿いに大久保通りへ下りるゆるやかな坂を昔「鳥見坂」と呼んでいた。その道が「お鳥見通り」で坂を下って桃園川(現在暗渠)を渡る橋が鳥見橋でした。(「中野区報」より)

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桃花小学校(ももはなしょうがっこう)

 東京都中野区中央五丁目にある公立小学校。2008年(平成20年)4月に、桃園第三小学校、桃丘小学校、仲町小学校の三校が統合し、桃園第三小学校の敷地に新設された。 (Wikipedia

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大けやき(千年けやき)

 校門の右側には大きく枝をのばす二本のけやきが目に入る。「千年けやき」と呼ばれているその巨木が、井上靖(1907~ 1991)の長編小説「欅の木」(昭和46年刊)に描かれている。(snbungakusanpo.com)

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          平成14年3月 桃園三小同窓会寄贈の看板

 

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かう志んはし(庚申橋)

 桃花小と校門の大けやきを見上げたり、写真を撮っているうちに、思いがけなく橋の親柱(欄干)らしいものを発見した。片方には「かう志んはし」とあるあるから「庚申橋」のことで、ここを川が流れて、近くに庚申塔があったのでしょうか。反対側には大正13年作成とあるので、さすが一世紀近く前のものらしく、やっと読める状態。しかし、撤去されずに残っているのは喜ばしいことだ。解説の標識があればいうことはないのだが。帰宅してネット検索したら、どなたか2人ぐらいここを訪れたらしく、これに関するブログも見つかったので、一端を紹介します。(Atelier秀樹)

→1)親柱には、それぞれ「かう志んばし」、「大正十三年一月二十六日成」と刻まれています。 橋名の由来は近くに庚申塔が建っていたからと考えられます。(okalab.cocolog)

 2)桃花小学校の脇にはかう志んばしと記された欄干が残っている。(大正13年完成) かう志んばしとは恐らく庚申橋であり、近くに庚申塔があったからと思われる。

(riverpromenade,glog)

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水車坂

 中野区中央5丁目。中野区立中央西公園の西側から,北(大久保通り)方面に下る坂。坂途中の擁壁上の植え込みの中に,金属板に「水車坂」とだけ書かれた 簡易的な標識がある。

 この坂から200mほど北に 桃園川が東西に流れていた(現在は暗渠になり“桃園川緑道”となっている)。この川から南に小さな支流が流れていて,その流路がこの坂であったと思われる。

 水車坂といわれるこの坂の東側は崖になっていて その窪地に水車小屋があった。(「なかの区報」より)

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レンガ坂

 中野区中野3丁目。中野駅南口駅前広場から中野三郵便局に向かう坂道。“標識”は無いが、坂下と坂上の道路面に「レンガざか」と記載された歩道タイルが埋め込まれている。

 <>今回初めて知って行ってきましたが、写真のように「RENGA ZAKA」という立派なアーチの標識があり、坂道はレンガで舗装されていました。

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<編集註> 坂に関する情報は、特に記載がない場合は、すべて坂学会/東京23区の坂(sakagakkai.org)に依拠しています。

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          『秀樹杉松』93巻2597号  2018-5-4,  #blog<hideki-sansho>237

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