秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『秀樹杉松』坂めぐり(落ち穂拾い1/2018-6-5)~杉並区清水3丁目「神戸坂 (ごうどざか」&善福寺2丁目「地蔵坂」。~妙正寺川・妙正寺池・妙正寺公園・妙正寺橋・寺前橋・杉並区シルバー人材センター(清水分室)・杉並区立科学館(老人ホームとして新築中)・天祖神社・沓掛小学校・荻窪中学校。

 『秀樹杉松』坂巡りは、5月16-17の第50回で終了しました。最終回のブログ投稿は、写真アップの容量切れのため6月1日にやっと実現しました。これで、500坂に及んだ半年間の坂めぐりとブログ投稿は全部終了したことになります。

 坂めぐりをやめてから早や2週間。巡り歩いた500の坂からは「俺たちに脚光を当ててくれてありがとう」と感謝の言葉が寄せられています。一方、今回行けなかった坂からは「どうして来てくれなかったんですか?俺たちにもちゃんと坂名がついているのに」との呟きが聞こえて来ます。

 そこで、私の都合で行かなかったために寂しい思いをしている坂(全部とはいかないが、できるだけ)に、お詫びを兼ねて行ってみることにしました。

 その手始めに、杉並区内で二つだけ残されている坂(神戸坂・地蔵坂)へ行って来ました。たった2坂だけですが、バスを何台か乗り継ぐ不便なところなので、昼過ぎまでかかりました。スマホの歩数は10000歩を記録しています。梅雨入り直前の晴天を満喫しながら歩きました。どうぞご覧ください。 / Atelier秀樹

妙正寺川

f:id:hideki-sansho:20180605160240j:plain

  

妙正寺

f:id:hideki-sansho:20180605160926j:plain

 

妙正寺公園

f:id:hideki-sansho:20180605153413j:plain
f:id:hideki-sansho:20180605153446j:plain

 

妙正寺橋(左)と寺前橋(右)

f:id:hideki-sansho:20180605153315j:plain
f:id:hideki-sansho:20180605153244j:plain

 

沓掛小学校(くつかけしょうがっこう)

f:id:hideki-sansho:20180605153259j:plain
f:id:hideki-sansho:20180605153329j:plain

 

杉並区立科学館特別養護老人ホームとして新築中)

f:id:hideki-sansho:20180605153343j:plain

 

杉並区シルバー人材センター(清水分室)

f:id:hideki-sansho:20180605153357j:plain

 

中瀬天祖神社

当社は『新編武蔵風土記稿』多摩郡下井草村の条に「十羅刹堂」とあり、「妙正寺ヨリ三町程北ノ方小名神戸ニアリ 妙正寺御朱印地ノ内ナリ 則此ノ寺ノ持」と記されています。十羅刹とは、もと人を食う悪鬼でしたが、後に法華経を守る守護神となった10人の羅刹女といわれています。このことから、日蓮宗妙正寺がここに十羅刹を祀ったものと思われます。
明治以前は十羅刹様とか神明様とか称していましたが、維新後の神仏分離令明治元年)によって天祖神社と改称されました。
祭神は大日●貴神(おおひるめのむちのかみ・天照大神の別の尊称)・市杵嶋姫命(天照大臣の姫神)・保食神穀物や食物の神)の3神です。また、このほかに市杵嶋神社・稲荷神社合殿の境内社が1社あります。
『神社明細帳』の由緒には「当社は井草八幡宮の境外神社で井草川の西岸神戸坂の上に在り、極めて古き社にして、神体は一大石剣なり。」とあります。
この神体を霊石とする伝説があり、昭和20年頃まで例祭日には社前で餅をつき“下ベロ餅”という丸餅を参拝者に配りました。この餅を食べると子宝が授かるといわれ遠方からも多数の参詣者があり、「神戸の鎮守様」として昔から親しまれてきました。
天祖・稲荷それぞれに講中があり、百余名の氏子が熱心に維持管理に当っています。例祭日は10月15日です。  

     平成元年3月  杉並区教育委員会    (city.suginami.tokyo)

f:id:hideki-sansho:20180606170914j:plain
f:id:hideki-sansho:20180606170859j:plain

 

神戸坂(ごうどざか)   

区立妙正寺体育館とその隣の中瀬天租神社の脇を上る坂。坂の標識はないが,中瀬天祖神社境内説明版に「神戸坂」の記載がある。この地域は府中明神の四の宮の神領だったので 神戸と名付けられた。(sakagakkai.org)

f:id:hideki-sansho:20180605153541j:plain
f:id:hideki-sansho:20180605153558j:plain

 

杉並区妙正寺体育館

f:id:hideki-sansho:20180605153612j:plain

 

地蔵坂 

 区立荻窪中学校の南側を 東西に通過する坂。坂上に“地蔵坂”交差点がある。坂の途中,荻窪中学校の敷地の東端に道路に面して,杉並区教育委員会の設置した標識が建っている。(sakagakkai.org)

f:id:hideki-sansho:20180605153715j:plain

この坂道は、別名「御立場坂」「寺分坂」とも呼ばれていますが、一般的には地蔵坂と呼ばれています。名称の由来としては、かって坂の途中に地蔵堂があり、地蔵菩薩庚申塔馬頭観音などが祀られていたことにあるようです。
いつ頃から地蔵坂とよばれていたかは不明ですが、舟形を呈した享保17年(1732)銘の地蔵菩薩があることから、江戸時代中期以降と考えられます。また、地蔵菩薩は北を向いていたところから、「北向地蔵」とも呼ばれていたそうです。他には、貞享2年(1685)銘、宝永2年銘(1705)銘、正徳6年(1716)銘の庚申塔、文政7年(1824)銘の馬頭観音などがありました。
この馬頭観音には、「東江戸・西ふちう」と彫られており道標の役目をしていたようですが、近代になってからは東多摩郡井荻村、豊島郡石神井村、北多摩郡吉祥寺村の3郡の境に立てられていたため、「三郡境の馬頭様」と呼ばれていました。
現在では、観泉寺(今川二丁目18番)に安置されています。
また、地蔵坂交差点に近い台地の先端部付近は地蔵坂遺跡と呼ばれ、昭和56年に実施した発掘調査では、旧石器時代(約18,000年前)のナイフ形石器やスクレーバー(掻器)など多数の石器類と礫器(バーベーキューの跡)、縄文時代早期(約8,000年前)の土器や石器が多数出土しており、住居跡や炉穴(屋外炉)も検出されています。特に、荻窪中学校の校庭から発掘された井草期の住居址は、区内で初めて発見されたもので、考古学的にも大変貴重な資料です。

     平成元年3月  杉並区教育委員会      (city.suginami.tokyo)

f:id:hideki-sansho:20180605153627j:plain

f:id:hideki-sansho:20180605153645j:plain
f:id:hideki-sansho:20180605153700j:plain

 

荻窪中学校

f:id:hideki-sansho:20180605153802j:plain
f:id:hideki-sansho:20180605153730j:plain

 

善福寺川

f:id:hideki-sansho:20180605153832j:plain
f:id:hideki-sansho:20180605153818j:plain

  ................................................................................................................................

 『秀樹杉松』94巻2617号 2018.6.5 /  #  hideki-sansho.hatenablog.com  257

  .................................................................................................................................