秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『秀樹杉松』坂めぐり(第70回=2018.8.15) 大田区山王・品川区東大井 ~清浦さんの坂・木芽の坂・犬坂・ヘルマン坂。~立会小学校・東大井公園・大井消防署・池見東京歯科衛生士専門学校・来福時・桜橋・立会川橋・立会川・立会道路・立会川導水吐口・坂本龍馬像・浜川砲台・勝沼運河。

<第70回記念特集>

 今日8月15日は終戦(敗戦)記念日、お盆の15日、そして大安です。わが坂めぐりも、今日が70回目でした。70回記念として、大田区・品川区の4坂を巡ってきました。今日は予定していなかったハプニングも含め、とても充実した坂めぐりでした。

  1)7月20日(第61回)にうっかりミスで寄らなかった大田区山王の「清浦さんの坂」(23代総理大臣の清浦奎吾に因む坂名)に、真っ先に足を運びました。

 2)その後、今日のメインの品川区東大井に電車で移動し、木芽の坂・犬坂・ヘルマン坂をめぐってきました。

 3)今日のハイライトの一つは「立会川」(たちあいがわ)です。今では大部分が暗渠と化し、道路(立会道路)・遊歩道・公園になっています。今日行った東大井・大井の町境700mばかりが開渠で、立会川として勝島運河に流れ込んでいました。

 4)平成14年7月より東京駅地下の湧水を川まで導水し設置した施設「立会川導水吐口」です。写真だけでははっきり確認できませんが、立会川浄化対策の一環として、品川区と東京都および鉄道会社が連携して造ったそうです。

 5)思いがけなく、立会川駅そばの児童公園に、坂本龍馬の立像を発見してびっくりしました。龍馬と立会川の縁は深いそうです。本文と写真をご覧ください。

 6)更に驚いたのは、立会川が勝島運河に流れ込んでいる先の公園に、「浜川砲台」跡があるのを、地元住民に教わって見てきました。今日の大収穫です。

 5)と 6)は予備知識/予定がなかったものです。完全なハプニング。結果的に今日の70回記念坂めぐりは、それにふさわしいものとなりました。どうぞご覧ください。 / Atelier秀樹

  

大森駅京浜東北線(スタート)

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清浦さんの坂  (#610)

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 別名:清浦坂大田区山王2丁目。池上通りの山王口信号より約140m南南西に進み、北西方向に曲がって上る坂。北西から西北西方向に上る。85m。上り始めは少々急であるが坂上に近づくにつれて緩やかとなる。僅かにS字状に曲がる。

 坂の上と下に大田区が設置した標識があり。

 →「清浦さんの坂 きようらさんのさか 大森駅池上通りから山王の高台に続くこの坂道は、大正から昭和にかけて坂の中ほどに居を構えた第二十三代内閣総理大臣「清浦奎吾」にちなんで「清浦さんの坂」と呼ばれていました。都心から程近く、海の見える緑豊かな大森山王周辺の高台は、閑静な住宅地として人気があり、多くの政治家や文人などが暮らしていました。平成ニ十七年九月 大田区

 清浦は、山王に長く住み、邸宅前の坂を清浦坂といわれるほどであった。(「馬込文士村散策マップ+散策の栞」より)。清浦奎吾は大正時代の政治家。1923(大正11)年に総理大臣に就任したが、在任5か月で辞任。

 

<編注>

 この際ですから、政治学のお勉強としゃれてみました。

清浦奎吾(きようら けいご)

 1850年嘉永3年)~1942年昭和17年)。貴族院議員、司法大臣農商務大臣内務大臣枢密顧問官、枢密院副議長、枢密院議長、内閣総理大臣などを歴任。(Wikipedia

清浦奎吾内閣

 子爵枢密院議長清浦奎吾が第23代内閣総理大臣に任命され、1924年大正13年)1月7日から1924年大正13年6月11日まで続いた。清浦は枢密院議長から出て組閣したが、政党から閣僚を入れることなく、貴族院を背景にした超然主義を貫いた。衆議院では政友会を脱党した政友本党が閣外協力で与党にまわったが、政友会憲政会革新倶楽部護憲三派が起こした第二次護憲運動により、わずか5ヶ月で総辞職となった。在任157日は当時としては歴代最短記録となった。(Wikipedia

超然主義 / 超然内閣

 一般的には、大日本帝国憲法発布後、帝国議会開設から大正時代初期頃までにおいて、藩閥官僚から成る内閣が採った立場を指し、内閣は議会政党の意思に制約されず行動すべきという主張であるとされる。また、この主義を採る内閣を超然内閣という。(Wikipedia

 

ジャーマン通り

 池上通りと環七通りをつなぐ「ジャーマン通り」は、かつてドイツ人学校があったことからこの名がつきました。今も洋館が数多く残る山王エリアは、田園調布と並ぶ大田区有数の高級住宅地として知られています。(マイナビトラベル

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大井町駅京浜東北線

 たった1駅ですが、大森駅から大井町駅へ電車で移動。

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大井町跨線橋

 JR東海道線京浜東北線に架かる、都道420号線。

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立会小学校

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東大井公園

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木芽の坂 (このめのさか) (#611)

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 品川区東大井3丁目と4丁目の間。第一京浜国道を“大井消防署前”で北西に曲がるとすぐに 上り坂になる。ここが 木芽の坂。北西に向かって上る。180m。やや急な坂(高低差6m,平均斜度2度,最大斜度:5度)。直線。坂下寄りの立合小学校南端に,品川区が設置した標識が建っている。

 →「木芽の坂 Konome-no Slope   この坂のある通りは,江戸時代は間部下総守下屋敷の横の通りで,南側は崖になっていて下には泉があった。若葉の頃が美しかったのでこの名称がつけられたという。品川区教育委員会

 標識には「木芽の坂」と書かれているが,品川区HPや一般の地図などには「木の芽坂」と書かれることが多い。

 <編注>なるほど、私の坂めぐり必携の地図(昭文社、東京23区便利情報地図 1:7000 / 街の達人 7000)にも確かに「木の芽坂」とあります。

 

大井消防署

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池見東京歯科衛生士専門学校

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犬坂(いぬざか)  (#612)
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 品川区東大井3丁目。池見東京歯科衛生士専門学校の南の路地の先が下りの石段になっている。坂上に元芝公園。坂下は北西に,途中で曲がって北に向かい,坂上では再び北西に上る。120m。急坂。くの字。上部は階段。

 坂上の階段脇に,品川区が設置した標識が建っている。

 →「犬坂 Inu Slope  この坂は,階段が造られるなど舗装整備されているが,曲がりくねった坂道であった。犬坂の由来は不明であるが,俗称の“へびだんだん”は,その曲がりくねった有り様からそう呼ばれている。東京都品川区教育委員会

  

来福寺

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ヘルマン坂  (#613)

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 品川区東大井3丁目と6丁目の間。来福寺の前付近から南に進み,立会川桜橋付近まで。北北東に向かって上る。300m。一部かなり急な坂。左右に曲がって上る。標識なし。

 由来他:東大井の閑静な住宅街を南北に走っている見晴らし通りにある坂。戦前,ドイツ人のヘルマン・スプリット・ゲルベルト氏がこの坂の途中に居住していたことから,こう呼ばれる。近くには立会川導水吐口がある。これは立会川浄化対策の一環として,平成14年より東京駅地下の湧水を川まで導水し設置した施設。(品川区HPより)

 命名時期:昭和(太平洋戦争前)

 <編注>今は「見晴らし通り」と呼ばれている。(地図への記載はないが、現地には掲示がありました)

 

桜橋 / 立会川 

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立会道路

  立会川の暗渠部分で道路になっていところは、「立会道路Tachiai St.」と名付けられている。(緑道とは呼んでいないですね)

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立会川橋

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立会川

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 立会川(たちあいがわ)は、東京都目黒区および品川区を流れ東京湾に注ぐ二級河川。全長7.4km。昭和20年代までは[1]やザリガニが棲むきれいな小川であり、子供たちの絶好の遊び場であったが、現在では大部分がとなり、道路立会道路)や、緑の豊富な遊歩道公園などになっている。(Wikipedia

 

立会川導水吐口

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 立会川浄化対策の一環として、品川区と東京都および鉄道会社が連携し、平成14年7月より東京駅地下の湧水を川まで導水し設置した施設です。(全国的に話題になりました)。平成15年早春には立会川へボラが大挙して押し寄せた出来事もこの事業効果の現われではないかといわれています。(品川区HP

 

立会川の坂本龍馬

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こころざしの馬

   龍馬像のある児童公園に「こころざしの馬」(多摩美術大生作)がありました。

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浜川橋 / 涙橋 

「涙橋の由来」悲しいですね。

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勝島運河に流れ込む立会川

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 遠くから見たときは作り物かと思いました。70回記念号を飾るいい写真。 ↑

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 勝島運河に流れ込む立会川。5年前の「川歩き」ではここへは来ませんでした。

 

勝島運河

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浜川砲台

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 嘉永7年 (1854)1月、ペリー再来航時に土佐藩が造ったのが、浜川砲台。

 

第一京浜

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立会川駅京急本線)(ゴール)

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 <編注>坂名と坂解説は「坂学会/東京23区の坂」に依拠。写真はAtelier秀樹の撮影。坂名直後の(#〇〇)は『秀樹杉松』坂めぐりの累積坂数。(今日の第70回で累計613坂)

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『秀樹杉松』96巻2651号 2018-8-15   / hideki-sansho.hatenablog.com #2651     ………………………………………………………………………………………………………