秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『秀樹杉松』坂めぐり(第78回=2018-9-12=渋谷区恵比寿西・代官山町・猿楽町・東・広尾、港区南青山)~内記坂・衆楽坂・代官坂・天狗坂・南郭坂・ネギ山坂・羽沢坂。~渋谷川・比丘橋・東北寺・広尾高校・東京女学館。

 東京23区の坂めぐりは一通り済んでいるのですが、その後の調査(坂学会/東京23区の坂)で発見した坂を歩いています。渋谷区は少し残っているので、四日ぶりで7つの坂に出かけました。標識のあるのは天狗坂のみで、私の愛用している大型地図帳にはどの坂の坂名も載っていません。しかし、いずれの坂も立派で魅力たっぷりでした。ご覧ください。 / Atelier秀樹

 

代官山駅東急東横線)駅(スタート)

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内記坂(ないきざか)  (#649)

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 渋谷区恵比寿西1丁目と2丁目の間。代々木駅(編集注:代官山?)南から恵比寿西1丁目交差点方面に下る。北北東に上る。210m。やや急な坂。弧を描くように左に曲がりながら上る。標識なし。江戸時代ここに「横山内記抱屋舗」があった。ごれが坂名の起こりとなった。(「渋谷の坂」より)

 参考文献:「渋谷の坂」白根記念郷土文化館編 渋谷区教育委員会 1985

 

衆楽坂(しゅうらくざか)  (#650)

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 渋谷区恵比寿西2丁目。恵比寿西一丁目”交差点より東横線の線路方向に上る坂。西北西に上る。220m。坂下部は緩やかだが,上部はかなり急坂。ほとんど直線。標識はない。この辺りの元の町名.衆楽町を通る坂なので,この坂名になった。

 

代官坂(だいかんざか) (#651)

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 渋谷区代官山町。キャッスルマンション代官山の前から西に上る階段代官山アドレスの北側。代官山教会の前を通る。西北西に上る。110m。階段上はあまり急ではないスロープ。下部は50段の階段,直線状の非常に狭い道。標識なし。坂名は昭和初年からの呼称。代官山とは幕府の御林でその管理を代官がしていたことから起こった。(「渋谷の地名」より)

 命名時期:昭和初年。参考文献:「渋谷の地名・資料集」東京都渋谷区教育委員会 1988 

 <編注>同じ代官山町内に100m離れて、似た名前の「代官山坂」がありますが、以前既に歩きました。

 

天狗坂(てんぐざか)(#652)

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 渋谷区猿楽町。明治通りの“並木橋”交差点からJRの線路を越えて代官山方面に抜ける道(八幡通り)を跨線橋の先で北西に曲がると,狭い短かい下り坂となっている。車の通行ができないように坂下・坂上の 道の真ん中に 石の杭が立っており,坂上の石杭には「てんぐ坂」と彫られている。南東に向かって上る。70m。やや急坂。直線の短い坂。

 坂上の道脇に 渋谷区が設置した標識がある。

→「天狗坂 猿楽町五番 この坂を,天狗坂といいます。岩谷松平 (号を天狗嘉永二年~大正九年(1849~1920))は,鹿児島川内に生まれました。明治十年に上京し,間もなく銀座に,紙巻煙草の岩谷天狗商会を設立し.その製品に金天狗,銀天狗などの名称をつけ,「国益の親玉」「驚く勿れ 煙草税金三百万円」などの奇抜な宣伝文句で,明治の一世を風靡しました。煙草の製造に家庭労働を導入するなど 当時としては画期的,独創的な工夫をしました。明治三十八(1905)年 煙草専売法が実施されると,この付近の約四万三千平方メートル(一万三千坪)の土地に,日本人の肉食による体質の向上を考えて,養豚業をはじめるなど,国家的な事業に貢献しました。晩年,岩谷天狗がこの地に住んだことから,この坂名が生れました。 渋谷区教育委員会

 

渋谷川 / 比丘橋

 「川歩き」以来の再会でした。渋谷区東2丁目と3丁目の境。山手線と明治通りに挟まれたところ。渋谷川(しぶやがわ)に架かるのは比丘橋(びくばし)。

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南郭坂(なんかくざか)  (#653)

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 渋谷区東2丁目と3丁目の間。明治通りの“東3丁目”交差点から,都立広尾高校の南までの道。東北東に向かって上り坂。250m。やや急な坂。坂の標識はなく,坂途中の「敬老館」の前に「服部南郭別邸跡」という標識が建てられていて,ここに 南郭坂 のいわれが説明されている。

→「服部南郭(なんかく)別邸跡 東二丁目10番  服部南郭は,江戸中期の儒学者漢詩人で 幼名を勘助,のち元喬(もとたか)といい 字を子遷(しせん),書斎を 芙蕖館(ふきょかん)と称しました。この場所は,南郭の別邸があったところで 邸前にある坂道は,昔から 南郭坂 あるいは 富士見坂 と呼ばれてきました。南郭は,天和三年(1683)に京都に生まれ,十六歳の時に 和歌と絵画をもって 江戸の柳沢吉保に仕え,また,荻生徂徠の門人となって,古文辞学と詩を学びました。三十四歳の時,柳沢家を辞し,ここの別邸で塾を開いて 在野の人となり,もっぱら漢詩文に親しみ,後継者の育成に努めました。宝暦九年(1759)没。享年七十七歳。著書に「南郭文集」「大東世語」「南郭先生燈下書」などがあります。 渋谷区教育委員会

 

 <編注> 敬老舘は名前を変えて移転。服部南郭別邸跡の標識もありませんでした。

  

都立広尾高校

 渋谷区東4丁目。南郭坂の北側。

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羽沢坂(はねざわざか)  (#654)

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 渋谷区広尾3丁目と港区南青山7丁目の間。日赤医療センターの前,東京女学館の北側から“東4丁目”交差点に通じる道。東南東に上る。130m。緩やか。僅かに左に曲がりながら上る。

 標識なし。もと このあたりは羽沢町の区域であったことからこの名がついた。(「渋谷の坂」より)

 

東京女学館 高・中・小

  渋谷区広尾3丁目。羽沢坂の南。

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東北寺

 渋谷区広尾2丁目にある臨済宗妙心寺派の寺院。ネギ山坂の北。

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ネギ山坂  (#655)

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 渋谷区広尾1丁目。明治通りから50mほど北に入ったところから,東北寺に向かって上る坂。北北東に向って上り。55m。やや急坂。わずかに右に曲がりながら上る,短い坂。標識なし。ネギ山坂という坂名は 昔このあたリにネギ畑があったことに由来するらしい。(「渋谷の坂」より)

  

バス停「東3」からバスに乗り、渋谷駅へ出ました。(ゴール)

 

編注>坂名と坂解説は、

「坂学会/東京23区の坂 sakagakkai.orgに依拠。

坂名の直後の(#〇〇)は『秀樹杉松』坂めぐりの通算坂数。写真撮影はAtelier秀樹。

 

 『秀樹杉松』97巻2676号 2018-9-12  /  hideki-sansho.hatenablog.com #316