秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

北方謙三『杖下に死す』(文春文庫)を読みました。あの「大塩平八郎の乱」です。

 先般『チンギス紀』を読んで感激したので、北方謙三氏の小説を図書館から借り出して読んでいるところです。今回は『杖下に死す』の感想ですが、自分の手ではうまくいかないので、文庫本の解説者(末國善己)の解説に依拠しました。いま大相撲の熱戦がくりひろげられていますが、「他人の褌で相撲を取る」みたいで恥ずかしいですが。よろしかったらお読みください。 / Atelier秀樹

f:id:hideki-sansho:20180914103900j:plain        北方謙三『杖下に死す』(文春文庫)

 

私の下手な読後感より、巻末に

末國善己氏の「解説 ー 冷静なる観察者」がのっているので、抜粋紹介します。

 

 →「北方謙三歴史小説は“青春”と“革命”の物語である。…その意味で、飢饉で苦しむ民衆のために立ち上がった大塩平八郎の乱を取り上げた『杖下に死す』が書かれたのは、必然だったと言えるだろう。…天保八(1837)年二月十九日、門下生や近隣の農民とともに反乱を起こした平八郎だが、大砲などの火器を用意していたにもかかわらず、わずか半日で鎮圧(この挙兵が短時間で失敗したのは、平八郎の配下に奉行所のスパイがいたとの説もある)。平八郎は四十日余り逃亡するが、潜伏場所が通報されたこともあり、養子の格之助と共に火薬を使って自決している。」

 

 →「民衆のために絶望的な戦いに打って出た平八郎の高潔な姿は、森鴎外大塩平八郎』など多くの歴史小説で伝えられてきた。だが北方は、必ずしも平八郎を正義の味方にはしていない。それどころか、あえて第三者の視点から平八郎の活動を描くことで、乱の背後に蠢く政治的な陰謀や、平八郎の進める改革運動の限界までを浮かび上がらせているのである。」

 

→「物語は、幕府御庭番を統括する村垣定行の妾腹の子・光武利之が、大阪に到着する場面から始まる。おそらく利之は架空の存在だろうが、その父・村垣定行は勘定奉行を務めた村垣範行をモデルにしており、利之に官僚型の男と厳しく批判されている異腹の弟・村垣範正は実在の人物である。…こうした虚構と現実を織り交ぜる手法が、物語に迫真力を与えていることは間違いあるまい。」

 

 →「『大塩平八郎の乱』は今でこそ民衆のために蜂起した“義挙”とされているが、江戸時代は幕府に反旗を翻した犯罪でしかなかった。平八郎が救国の英雄になったのは、明治維新で幕府が倒れ、倒幕を推進した“勤皇の志士”に平八郎の信奉者が大方という政治的な理由に過ぎないのだ。」

 

 →「…言葉よりも実践を重視する知行合一を掲げて政治運動を進めた大塩平八郎と、最後まで観察者に徹した利之を対比することで、平八郎の改革運動のネガティブな面までを明らかにした本書は、熱しやすく冷めやすいといわれる日本人へ、冷静に判断することの重要性を説くメッセージになっているのである。」

 

 ◉以上抜粋した末國善己氏(文芸評論家)の解説は、単なる解説にとどまらない立派な文芸評論だと思います。『杖下に死す』を読んで、この解説に出会えたのは幸運でした。

 北方謙三氏の作品は無駄がなく、それでいて読みやすいです。経歴を見ると「中央大学法学部卒」ですが、理路整然とした法律家の面も見られますね。

 

 ◉最後になりましたが、書名の

『杖下に死す』(じょうかにしす)の「杖下」の意味がよくわからないのでヤフー知恵袋 chiebukuro.yahoo.co.jpで調べました。 

 →<Y!知恵袋

 ⚪︎質問北方謙三氏の小説に「杖下に死す」というのがありますが、「杖下」というのはどういう意味ですか?

 ⚪︎ベストアンサー「つえ」の「した」で死ぬ。杖(つえ)は軍を指揮する指揮棒のことなので、誰かの指揮のもとに戦い、死ぬ男の物語ということです。

 

 『秀樹杉松』97巻2678号 2018-9-14  /  hideki-sansho.hatenablog.com #318