秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

<坂研究>まねごと~『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)を読む~(1)

「坂学会」の新人として、これまでの坂めぐりをふまえて、坂研究の入門を志しました。横関英一著『江戸の坂 東京の坂』をテキストに、「なるほど」と確認すること、「そうだったのか」と知ること、などを書き留めたいと思います。いわば私の”坂研究まねごと(入門)メモ”ですが、何回かのシリーズになります。関心のある方はお読みください。 / Atelier秀樹

1)坂について

 坂とは、…低いところから高いところへ登って行く道路、または反対に、高いところから低いところへ下る道路のこと…。

 土偏のは、土地が傾斜しているという意味で、は土地の傾斜面ということで、坂と同じ意味。

 日本全国の坂名の総数約四千のうちで、一番多い坂は「赤坂」(土の色が赤い坂)、次が「長坂」(だらだら長い坂)、第三が「小坂」、第四が「大坂」、続いての高坂(急坂のこと)。

 江戸が新開地であったがため、江戸ができてから、特に徳川の時代になってからできた坂の名は、少しばかり違っていたようである。

 

江戸の坂

 江戸の坂には江戸の庶民が名前をつけたので、江戸っ子気質のままで、単純明快、即興的で要領よく、理屈がなくて、しかも洒落っ気が溢れている

 坂の上から富士が見えれば富士見坂、海が見えれば潮見坂と呼ぶ。新しくできた坂ならすぐに新坂と呼んでしまう。大きな坂は大坂で、坂と坂との中間の坂は中坂と名付ける。樹木などの茂って薄暗い坂は暗闇坂、急な坂は胸突坂、墓地のそばの坂は幽霊坂に決まっていた。そばに芥捨て場がるような坂は芥坂と言い、そばに射撃練習場のあるような坂は鉄砲坂と呼んだ。

 

 段々の坂は雁木坂または梯子坂と名付けた。お寺のそばの坂にはそのお寺の名をつけ、お宮のそばの坂にはそのお宮の名をかむらせる。八幡さまがあれば八幡坂、お稲荷様があれば稲荷坂、天神社なら天神坂、氷川社なら氷川坂と呼ぶ。更に気取って銀杏稲荷のそばの坂は、稲荷坂と言わないで銀杏坂と呼ぶ。朝日天神、牛天神のそばの坂も天神坂と捨てて、朝日坂牛坂と呼ぶ。

 

 いつの世にも偉人を崇拝するのは民衆の常であるが、特に江戸っ子には、この気質が激しくはたらく。渡辺綱にゆかりのあるところの坂は、綱坂または渡辺坂紀州邸のそばの坂は紀伊国、松平摂津守の前の坂は津の守坂、三宅土佐守は三宅坂紀州尾州・井伊三邸のそばの坂は、ひっくるめて紀尾井坂と呼ばれた。洒落たところでは、岡部・安部・渡辺の三大名の屋敷のそばの坂は、三つの「べ」を強調して「三べ坂」と呼んだ。

 

 坂の付近に目ぼしいものがないと、そこらあたりの樹木、鳥獣なんでもござれと、片っ端から借りてくる。冬青木(モチノキ)坂、茶の木坂、茱萸(グミ)坂、柘榴(ザクロ)坂、狸坂、狐坂、蛇坂、蛙坂、蛍坂、芋坂、乞食坂……こんな具合にすこぶる自由奔放であった。

 

 あやしげな伝説、挿話、事件など、およそ耳目に触れるものはなんでも採ってきて、すぐにその坂の名にすることができた。しかも明朗直截で、なかなかうまい名前を持った坂が、東京の各所に現存する。

 

 しかし、彼らの単純無造作の命名は、ややもすると、マンネリズムに陥りやすく、江戸中のいたるところに、たくさんの同名の坂をつくってしまった。(新坂18、富士見坂15、暗闇坂12、稲荷坂9、中坂8、潮見坂8、幽霊坂8、禿坂7、芥坂7、清水坂7、大坂6、不動坂6

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 ◉以上、横関英一『江戸の坂 東京の坂』(全)(ちくま学芸文庫)の、 p.015~p.021の勉強メモですが、いわば序論・総論です。横関さんの著述内容は、私が過般の坂めぐりで経験、実感したものとぴったりで、その意味では「なるほど」とスンナリ得心がいくものばかりです。第2回目からは「そうだったのか」も登場すると思います。(2)をお楽しみに。

 

『秀樹杉松』101巻2747号 2018-12-13/hideki-sansho.hatenablog.com #387