<坂研究>のマネゴトのつもりで始めた、『江戸の坂 東京の坂』読書メモは、著者の横道英一氏の名著を広く知ってほしい、との気持ちが働いています。今回は(23)「男坂と女坂」です。横道氏の著述紹介だけでなく、私が「秀樹杉松坂めぐり」で撮影した写真も添えました。お読みください。 / Atelier秀樹
江戸時代、高台の神社へ登って行く坂に、男坂または女坂というものがあった。男坂は石の階段の坂で、けわしい方の坂である。女坂は、とにかくなだらかな坂であった。川柳などにも、、男坂・女坂についていろいろと詠まれている。
→男坂えこぢに道はつけぬなり。是見よと御礼参りに男坂。病み上がり女に坂をかりるなり。男盛りの女坂ゆく。……
江戸の昔から今日までも、男坂・女坂のそろっているところは、湯島天神、神田明神、日枝神社(麹町山王社)、愛宕神社、西久保八幡、須賀神社(四谷、天王社)、市ヶ谷八幡、高田八幡(穴八幡)、そして目黒不動である。九つのうち八つが神社で、一つは天台宗の不動堂である。目黒不動は特別の場合であって、男坂・女坂は、ほどんど神社へゆく坂にのみ名付けられたものと思って差し支えない。お寺の石段を石坂とはいうが、男坂とは言わない。
不動そのものは仏のはずであるが、目黒不動は昔から日本武尊を祀ったものであると伝えられている。土地の人は荒人神といって尊崇していた。不動の入り口には、珍しく鳥居があろこともその証拠である。狛犬が4対もある。これらのことから、広く民衆からは神社として認められていたことは事実である。
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例によって、「秀樹杉松坂めぐり」で行った時の写真を掲載します。写真は全てAtelier秀樹撮影です。なお、湯島天神の坂は撮影に失敗したのでダメ、西久保八幡の坂は、坂情報には入っていないので知りませんでした。
日枝神社(ひえじんじゃ。麹町、山王社)
↑ 第15回秀樹杉松坂めぐり(2017.12.16 写真:Atelier秀樹)
目黒不動(めぐろふどう)
↑ 第17回秀樹杉松坂めぐり(2017.12.19 写真 Atelier秀樹)
高田八幡 (穴八幡)
↑ 第24回秀樹杉松坂めぐり(2018.1.18 写真:Atelier秀樹)
須賀神社(四谷、天王社)
↑ 第83回秀樹杉松坂めぐり(2018.9.25 写真:Atelier秀樹)
市ヶ谷八幡(いちがやはちまん)
↑ 第84回秀樹杉松坂めぐり(2018.9.28 写真:Atelier秀樹)
神田明神(かんだみょうじん)
↑ 第93回秀樹杉松坂めぐり(2018.10.16 写真:Atelier秀樹)
愛宕神社(あたごじんじゃ)
↑ 第115回秀樹杉松坂めぐり(2018.12.19 写真:Atelier秀樹)
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『秀樹杉松』102巻2780号 2019-1-18/hideki-sansho.hatenablog.com #420