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橋下徹『沖縄問題、解決策はこれだ』(2)「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ・・・」の意味

 

 橋下徹『沖縄問題、解決策はこれだ!』の2回めの読書メモをお届けします。 / Atelier秀樹 

 

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この写真は、橋下氏の著書とは関係ありません。昨日散歩中に撮影したものです。椋鳥(ムクドリの大群には驚きました。ウィキペディアによると、椋鳥の語源は「群木鳥・群来鳥」から転じたとする説と、椋の木の実を好むからとする説が存在する、そうです。

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(以下、著書の文章に即して紹介します)

 僕は本土の大阪の人間です。沖縄以外を本土と呼ぶことは、日本の中から沖縄だけを分断するような感じもしますが、本書ではあえて本土と言います。その本土の大阪に住んでいる僕は、普天間基地辺野古移設には賛成の立場です。でも、この基地問題を含めた沖縄問題が一向に解決しないことに居ても立っても居られず、沖縄に何度も足を運び、沖縄の歴史や政治経済、社会状況などを勉強しながら、自分が沖縄の人間なら沖縄問題をどう感じるかという視点で、その解決策を考えてきました

 

 沖縄の皆さんの中には、本土の人間は沖縄のことをどれだけ考えてくれているのか、日本政府は沖縄を守ってくれるのか不安に思っている人も多いでしょう。正直なところ、沖縄問題に関する沖縄の空気感と本土の空気感はまったく異なります。(略)ヘリの墜落事件とか米兵の暴行事件とか衝撃的なニュースがあった時に大騒ぎになるだけで、結局、本土の人間の間に沖縄問題を解決しようとするうねりは起きません。特に、これから日本を背負う本土の20代、30台の若者たちは、どこか他人事です。

 

 どうしてこんなにも、本土に住んでいる人間は―もちろん僕自身も含みます―沖縄に対して、ここまで冷淡でいられるのかを考えてみました。僕の答えは簡潔で、それは歴史教育の問題だと思うんです。つまり、本土の人間が沖縄のことや沖縄の皆さんが置かれている現状を理解をするために必要な、歴史教育が日本において不十分なんです。僕も先の沖縄戦についてその詳細を知ったのは、恥ずかしながら社会人になってからのことです。沖縄の皆さんには、「すみません」と謝るしかありません。

 

 沖縄戦のことも、戦時下の沖縄の人びとの状況についても、沖縄の歴史そのものからしてそうですが、僕は小学校、中学校、高校の時に学校できちんと教えてもらった覚えがありません。日本史を本格的に勉強するようになるのはだいたい中学校、高校時代ですよね。大学受験の時にも僕は「日本史」を選択しましたけれども、その日本史の教科書でも「沖縄戦」の記述はほんの少ししかなかったと記憶しています。

 

 沖縄戦が大変悲惨であったということは認識していましたが、具体的にどんな戦況下にあって、沖縄の皆さんがどれほど犠牲になったのか、特に、日本軍が沖縄県民をほったらかしに、いわば捨て石にして、県民の皆さんの命がどれほど犠牲になってしまったのか、そういったことの詳細は、社会人になってからの勉強で初めて知ったことです。僕の子供らに対して、僕が勉強して学んだ沖縄のことをいろいろ話してみても、口を揃えて「そんなことは知らなかった」「学校で教えてもらっていない」と言いますからね。学校で全然学んでいないんだなということがよくわかります。

 

 本土の人間が沖縄問題を自分事のように切実に感じて、本気で解決しようという強い意思を持たなければ、沖縄問題を解決するための政治的エネルギーは生まれません。本土の人間が、沖縄問題を自分事として認識し、本気で解決しようと思うには、やはり沖縄の歴史を知らなければなりません。沖縄問題を解決するためには、まずは本土の人間が沖縄問題のことをきちんと理解できるような小中高での教育が絶対に必要ですね。先ほども言いましたが、僕も偉そうなことは言えません。社会人になってから沖縄の戦地跡をたずね歩き、いろいろ勉強したのですから。

 

 そんな中で知った重要な歴史的出来事があります。それはご存知の方も多いと思いますが――-あまりにも有名な話の紹介ですみませんが――1945年(昭和20年)6月6日に、日本海軍沖縄方面根拠地隊司令官だった大田實海軍少将が、海軍次官宛てに発信した、あの辞世の電報のことです。僕がこの事実を知ったのは、30歳手前の頃だったと思いますが、言葉では表せない衝撃を受け、沖縄問題の解決のために何らか力を尽くしたいと強く思ったきっかけとなりました。

 

 この電報を少し読んでみますね。(編注:現代文に直したものを記載します)

自分たちの防衛に専念し、もう県民のことを全然顧みていない。でも、自分が知っている範囲においては、沖縄県民はとにかく一生懸命頑張ってやったんだ、と。女性は率先して軍に身を捧げて、看護婦や炊事婦、さらには砲弾の運搬、切込隊すら申し出る者もいた。敵が来れば、老人子供は殺され、婦女子は敵の毒牙にかけられるので、あえて親子生き別れを選んで娘を軍陣営の門に捨てる親もいた。

 

 すなわち、本土にある日本陸海軍の司令部(大本営)は、急に沖縄から撤退してしまった。そうしたら、いきなり軍が「ここに逃げろ」と遠くの地域を指定し、輸送手段がない者も黙々と雨の中を移動していた。これをまとめると、陸海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約を強いられ、ついに報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまった一本の木、一本の草さえ全てが焼けてしまった。食べ物も6月一杯を支えるだけという」

 そしていよいよ次の句です。大田實軍司令官は次の言葉で電報を結び、自ら命を絶ちました

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

 

 沖縄の人びとは大日本帝国の臣民として、たとえ捨て石になるとわかっていても、草木もろとも焦土と化す沖縄の地で、わが身を省みず、命を放棄して一所懸命に戦い抜いたのだ、だから将来、沖縄県民を大切に、大切にしてください、と。大田實司令官は軍の上層部に対して、自ら電報を打ったわけですが、将来沖縄県民を大切にしてくださいとお願いしたのは、軍の上層部に対してというよりも日本人、それも将来の日本人に対してお願いしたのではないでしょうか

 

 自決する前に、沖縄県民の将来を、将来の日本人に託さんとした大田實司令官の最後の言葉は、沖縄の明るい未来を願う尊い精神であると同時に、その将来の日本人に当たる僕らには、大変重いメッセージですよね。それは、将来の日本人が沖縄県民のことを大切にしないかもしれない、という危惧も込められたメッセージのようにも感じられます。

 

 僕らは沖縄県沖縄県民に対して特別の配慮をしているのだろうか?

沖縄問題を解決するには、大田實司令官のこのメッセージを日本国民全体でしっかりと理解することがスタートです。そのためには、沖縄戦のことはもとより、沖縄の歴史についても理解する必要があります。

 

『秀樹杉松』103巻2789号 2019-1-27/hideki-sansho.hatenablog.com #429