秀樹杉松

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<坂研究>まねごと(31)袖摺・袖振り・袖引きの坂について~『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)を読む~

今回は袖摺坂、袖振坂、袖引坂です。袖もぎ、路傍神などの信仰は興味深いです。是非お読みください。 / Atelier秀樹

 

  江戸時代には、袖摺坂、袖振坂、袖引坂という坂があったが、これらはむしろ江戸に少なく、地方に多い坂の名であった。

 袖摺坂(そですりざか)というのは、いずれも狭い坂のことで、人と人とが行き交う場合に、狭いので袖をすり合わせるようにしないと、お互いに行き過ぎることができない、というような狭い坂のことを言った。鎧摺坂(あぶすりさか)という名もあるが、これは坂が狭いので騎馬のままでは、行き交う場合、お互いに(あぶみ)をすり合わせるようにしないと通ることができないような狭い坂の形容である。

 

 現在東京には次の2箇所だけに袖摺坂が残っている。両方とも昔は狭い坂であったが、今日ではいずれも広い坂みちになっているので、袖摺坂という感じではない。東京の坂である以上、やむを得ないことである。

 

袖摺坂(乞食坂、南部坂)

 新宿区横寺町と箪笥町の間

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     ↑ 第88回秀樹杉松坂めぐり(2018.10.5 / 写真:Atelier秀樹)

 

袖摺坂

 千代田区一番町

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      ↑ 第10回秀樹杉松坂めぐり(2017.12.8 / 写真:Atelier秀樹)

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 次は、袖振坂(そでふりざか)である。袖を振るということには、昔から二つの意味がるある。一は袖を振って舞を舞うということである。奈良県吉野山のことを袖振山というが…(略)。

 袖振ると云うことの二は、袖を振って別れを惜しむ、または合図をすると云う意味もある。今日では手を振ったり、ハンカチを振ったりする。昔は別れを惜しむとき、袖を振ったものらしい。どんなように袖を振ったのか、ちょっとわからないが、古語にススキのことを袖振草といったから、多分ススキの穂が風になびく様子が、古の袖振の形容になっているのではないだろうか。

 江戸時代には、袖振坂という坂は、江戸のはただ一つしかなかった。今の港区芝三田一丁目と二丁目の境、簡易保険局前を西へ行って、二ノ橋のところまで下る坂をいう。…この袖ふり坂は、今日では、日向坂(ひゅうがざか)という。

 

袖振坂日向坂(ひゅうがざか)、ひなた坂

 港区芝1丁目 / 2丁目

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                 ↑ 第5回秀樹杉松坂めぐり(2017.11.27 写真:Atelier秀樹)

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 もう一つの坂は、袖引坂(そでひきざか)である。袖引き坂は難解であった。しかし、これと全く同じ意味の坂に、袖もぎ坂袖とり坂袖きり坂というのがある。江戸に少なく、地方に多い坂名であった。東京にはこの坂も、今ではただ一つだけである。

袖引坂団平坂、丹平坂

 文京区小石川五丁目小石川図書館の東脇を下る坂を袖引き坂というが、団平坂、丹平坂などという別名もある。

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                      ↑ 第21回秀樹杉松坂めぐり(2018.1.4 / 写真:Atelier秀樹)

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道祖神

 塞神(さえのかみ)、道祖神袖神道の神というのは、昔はみな街道や主なる道路の傍にあるもので、滅多に人の通らないような裏通りなどの路傍には決して立っていないはずである。人通りの多い道路にあって、この村を守るのが道の神のつとめなので、袖引き坂も、袖もぎ坂も、やはり表通りの坂道でなければならない。だから袖引き坂も人通りの多い道の坂であって、行き止まりの横町や、人通りの少ないところには、この坂はないはずである。ここの袖引き坂は、どうしても人通りの多い団平坂の坂みちと一致してしまう。袖引き坂の別名が団平坂だと考えれば、これが一番早い説明だと思う。

<袖もぎ

 袖もぎ、袖きり、袖とり、袖引きはみな、衣服から袖を切り取ってしまうことである。路傍の神が、その前を通る者の袖をもぎ取るとか、その前に人が袖を切って差し上げるかすることである。神が人間の袖を欲しがっていると考えたことから、この信仰は始まっている。悪いことが、我が身に降りかからないようにと、神に袖を捧げて守護してもらうということが、袖もぎの始まりであった。

<路傍神、袖神

 人間がこの神の前で転んだりしたときは、特にわが袖を切り取って、いち早く神に捧げなければならないのである。そうしないと、3年のうちに死んでしまうということになるので、そうしたことのないようにと、片袖を捧げて安泰を願うという信仰が、いつの間にかできてきたのである。

 そうした坂のそばには、必ずそうした神様があったはずである。それを袖神というようだが、道の神とか、塞神、道祖神地蔵尊なども袖の神と言われるものなのか、とにかく路傍の神様であったことは間違いない。

 

 袖引き坂、袖もぎ坂、袖とり坂、袖切り坂のそばには、必ず路傍神があったとと思う。ここで転ぶと片袖を切って、その坂に置くのである。この信仰は、日本人には古くから伝わっていたものだと思う。この路傍神は、道路の安全を守ってくれるばかりでなく、外から入り込んでくる邪神と、悪いものの一切を除去してくれる日本の原始神の一つなのである。

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『秀樹杉松』103巻2791号 2019.1.27/ hideki-sansho.hatenablog.com #431