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橋下徹『沖縄問題、解決策はこれだ!これで沖縄は再生する』を読む(15)第3章 沖縄ビジョンX

 

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                旧正月ですね

 

 著者の橋下徹は前項の⑭を「単純な辺野古YES、辺野古NOを越えて、沖縄問題の根本を解決すべき手法を考えるべきです」と結んでいました。いよいよ、根源的で具体的な手法の提起に入ります。 / Atelier秀樹

 

「手続き法」の制定こそが、沖縄問題の解決の切り札

 

 結論から言えば、その解決策とは「手続き法」の制定にあると考えます。

 国や地方自治体である行政が何か施設を作るとき、それも小さなものではなく、巨大なインフラであったり、さらにそのような個別の施設をこえた街づくりの計画にあたる都市計画をつくったりするときは、住民の意思を完全に無視して一方的に勝手に作ることはできません

 

 つまり、そのようなときには、住民の意思を何重にも確認していく手続きを踏むことを求められます。都市計画決定にあたっては、公聴会を開き、計画案を縦覧に付し(住民が見ることができるようにし)、住民の意見を受け付け、さらに審議していきます。意見の受付については、法律だけでなく市町村の条例などでも詳細に定められています。

 

 米軍基地というものは住民生活に多大な影響を与える施設であるし、ここは僕は大いに問題があると思っているところですが、地方自治体の行政権のみならず日本政府の行政権も及ばない治外法権的な施設になっています。地方自治体はもちろん、日本政府であっても、米軍施設に立ち入り調査などはできないし、米軍の訓練に制限をかけることもできません。

 

 こんな米軍基地を、日本という行政が、住民の意見をしっかり聞く手続きを踏まずに、一方的に作ったり、移設したりすることが許されるのでしょうか? 今は、米軍基地をどこに設置するかは、日本政府が一方的に決めることができることになっています。ここが、普天間基地辺野古移設がずっと紛糾し続ける根本原因であり、ひいては沖縄の基地問題の根源的原因だと思います。

 

 先日、憲法学者の木村草太さん憲法について対談を行いました。木村さんは、米軍基地を日本国内のどこかに設置するには、憲法92条に基づいてその自治体を対象にした個別の法律を作り、政府に法律上の設置権限を与えなければならない、との意見でした。つまり米軍を設置するのは、その都度法律を制定しなければならないという考えです。そうすると特定の自治体を対象にする法律を作るには、憲法95条によって、その自治体において法律制定の可否を決める住民投票を実施しなければならなくなります。

 

 すなわち木村理論でいけば、沖縄県、もっと細かく言えば沖縄県内の市町村に米軍基地を設置するには、沖縄県沖縄県内の市町村における住民投票を実施しなければならなくなります。この住民投票でしっかりと住民の意思を確かめようとする考えです。知事選挙や市町村長選挙とは異なり、住民投票で基地設置の法律案が否決されると、そのことによって基地は設置できなくなります。これは憲法95条の効果です。ゆえにこの住民投票は、知事選挙や市町村選挙よりも強力な威力を発揮します。

 

 僕は、この木村理論は傾聴に値する意見だと思います。ただし、木村さんの考えでも、米軍基地が治外法権的な施設ではなく、日本政府や自治体の行政権がしっかり及ぶ施設になれば、憲法92条に基づく個別の法律は不要になるらしい。そうなると憲法95条に基づく住民投票も不要になります。しかしそのためには、米軍基地に対する政府や自治体の行政権を制限している日米地位許定の抜本的な改定が必要になってくるのです。

 

日本全国を対象にした「手続き法」で国会議員を本気にさせる!

 

 僕は米軍基地の設置について、すべて地元住民の住民投票で決するということには反対だし、ここは憲法92条の解釈について木村さんと意見の違いがあるところです。しかし、僕と木村さんで意見が一致したのは、特定の自治体を対象にした法律ではなく、日本全体を対象にした米軍基地を設置するための「手続き法」=米軍基地設置手続き法が必要であるという点です。

 

 ポイントは、特定の地域に米軍基地を設置することをねらった法律ではなくこの法律に定める「一定の手続きを踏めば」日本中のどこにも米軍基地を設置できるという一般的な法律であるということです。これで、本土と沖縄が完全に公平な扱いになります一般的な手続き法を使って沖縄と本土を法制度上同一環境にするのです。そしてこのような一般的な法律であれば、憲法95条に基づく住民投票は不要となります。

 

 今も本土にはいくつか米軍基地が設置されていますが、いま以上に本土に新たな米軍基地をどんどん設置することはほぼ不可能でしょう。各自治体の首長や住民が猛反対するからです。このような状況の中で、沖縄県民の立場と本土の住民の立場をフィフティー・フィフティーにするためには、法律上の一定の手続きを踏めば日本のどこにでも米運基地を設置できるようになる手続き法の必要だという結論に至りました。沖縄と本土を公平に扱え! という主張は、沖縄返還後何十年にもわたって叫ばれ続けてきましたが、それを法制上担保するものがありませんでした。国会議員が知恵を絞ってこなかったと言わざるを得ません。

 

 この米軍基地設置に関する一般的な手続き法こそが、沖縄と本土を真にフィフティー・フィフティーに公平に扱うことを法制度として担保するものです。そしてこの手続き法は法律なので、まさに国会議員が国会で審議することになります。そこでの論点は、「住民の意見をどこまできくか」です。各自治体が都市計画を決定する手続きは、住民の意見を何重にも聞きながら、最後は知事や市町村長が決定することになっています。もし米軍基地設置手続き法においても「最後は日本政府が決定できる」とするならば、一定の手続きさえ踏めば、日本政府は。沖縄を含め日本のどこにも米軍基地を設置できることになります。

 

 こういう事態になってはじめて、本土の国会議員の尻に火がつくのです。この手続き法の定めによっては、自分の地元に米軍基地が設置される可能性が出てくるのですから。故に、自分の地元に基地が設置されることに絶対反対の国会議員たちは、地元の声を非常に尊重するような手続き法にしようとするでしょう。しかしそのような手続き法になれば、今度は沖縄県民がその手続き法を使って米軍基地の設置を拒否することができるようになるのです。(略)

 

 このような状況になって初めて、真に沖縄と本土がフィフテー、フィフティーになったと言えるのではないでしょうか。ところが、今の本土の国会議員たちは「日本の安全保障のためには沖縄に米軍基地は必要だ!」と単純に威勢よく叫ぶだけ。この国会議員たちの悩みのなさが、普天間基地辺野古移設問題がずっと紛糾してきた核心的原因だと思います。本土の国会議員も本土の住民も、米軍基地の設置の可能性について、法制度上、沖縄県と同じだけの負担を背負った上で、日本の安全保障を考えるべきなんです。

 

『秀樹杉松』104巻2806号 2019.2.6/ hideki-sansho.hatenablog.com #446