秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

3・11 東日本大地震災から8年。「♪花は咲く」。東北出身の「私は何をしただろう?」

花 は 咲 く東日本大震災から8年〜

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東北地方太平洋沖地震による東日本大震災は、2011年(平成23年)3月11日に起きました。あれから明日で8年です。(日本周辺における)観測史上最大の震度6強の地震津波原子力発電所事故により、死者・行方不明者1万8432人、避難者等は今年2月時点で約7万3000人(wikipedia)という、大災害でした。/ Atelier秀樹

 

東北出身者の私にとり、3.11大震災はことさらに大きな驚きと悲しみでした。しかし、自分は何かをしたかというと、カンパぐらいしかしていません。故郷が大きな災害に見舞われたというのに。毎年3月11日になると、そういう思いに浸っています。その点、息子は東北地方に出かけ、何日もかけて被災地の慰霊訪問をしました。生々しい写真もいっぱい撮ってきてくれました。東北出身の親ができなかったことを、東京で生まれ育った息子がやってくれたのです。偉い!

 

前号で既報の通り、私は1ヶ月ばかり前に合唱の門を叩きました。そして今、「♪花は咲く」の練習に励んでいます。「♪花は咲く」は東日本大震災復興支援ソングです。(私には)に難しい歌ですが、ちゃんと歌えるように頑張っているところです。”難しい”というのは、反復記号などが多く、歌詞も繰り返しなどで合唱初心者の私にとって難しいという意味で、歌そのものは大好きで、復興支援ソングににふさわしいものです。いまの時点で私にできるのは、「♪花は咲く」をちゃんと歌えるようになることでしょう。

 

歌詞が気になり、どういう作詞者の気持ちが込められているのか、調べて見ました。私が歌詞に関心を持ったのは、歌を歌う時は当然のことでしょうが、作詞者の気持ちと歌詞に一体で歌いたいからです。特にこの「♪花は咲く」では、「花は 花は 花は咲く」が繰り返されます。また、「叶えたい夢もあった / 変わりたい自分もいた」、そして「私は懐かしい あの街を思い出す」「私は懐かしい あの日々を思い出す」、さらに、「今はただ 愛おしい / あの人を思い出す」「私は何を残しただろう」……。私はこの歌詞と作曲に感動を覚え、歌うごとに自然に涙が出てきます。

 

作詞は岩井俊二、作曲は菅野よう子で、花は咲くプロジェクト・復興支援ソング・チャリティーソング。この歌の歌詞についてのネット情報がありました。その中から、「花は咲く」讃歌 生者と死者が歌い交わす未来への思い 震災日誌 in 仙台(s.webry.info)を引用します。

 

作詞の岩井俊二さんはこう語っていた。仙台出身の映画監督である。

「難しい仕事でした。さてどうしたものかと思案する中、被災した石巻の先輩が語ってくれた言葉を思い出しました。僕らが聞ける話というのは生き残った人間の話で、死んでいった人間たちの体験は聞くことができない

生き残った人ですら、亡くなった人たちの苦しみや無念は想像するしかないのだと。亡くなった人たち生き残った人たちあの震災を遠くから心配していた人たち、3.11から今に至るまで、それぞれが一体どんな想いをしているのか、数行ではとても描きようもない想いの、せめてわずかな片鱗でも書き留めることができたら、という想いで書きました

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♪花は咲く」の歌詞には私は何を 残しただろうとあります。私の想いは、東北出身者でありながら、3.11について、これまでの8年間、一体私は何をしただろう」

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『秀樹杉松』104巻2819号 2019.3.10/ hideki-sansho.hatenablog.com #459