秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

宮沢賢治、マティラム・ミスラ、谷崎潤一郎、芥川龍之介、菊池寛  ~ 中島京子『夢見る帝国図書館』を読み、感動しました (6) 

 

f:id:hideki-sansho:20190704094856j:plain 写真撮影:Atelier秀樹

 

中島京子『夢見る帝国図書館読書メモの第6回です。

今回は、宮沢賢治芥川龍之介谷崎潤一郎菊池寛、インド人マティラム・ミスラが登場します。宮沢賢治は同郷・同窓ですが、勉強不足のためよくわからない部分があります。わたしは「銀河鉄道」に乗ったことがありませんので。

面白かったのは、菊池寛が大切な本を電車内に忘れたことです。ともかくお読みください。

...................................................................

夢見る帝国図書館・9 図書館幻想 宮沢賢治の恋

 

われはダルケを名乗れるものと つめたく最後のわかれを交はし 閲覧室の三階り 白き砂をはるかにたどるここちにて 地下室に下り来たり かたみに湯と水とを呑めり、、、

かくてぞわれはその文に ダルケと名乗る哲人と 永久のわかれをなせるなり 

ー 宮沢賢治東京ノートより

 

図書館に心があったなら、この若い詩人のことは、どう思っていただろうか。彼は大正10年の年の初めに、故郷を飛び出して夜汽車に乗って、東京にやってきたのである。その足で彼は鶯谷国柱会を訪ね、自分は法華経とともに生涯生きていく決意をしている、下足番でもいいから使ってほしい、ここに置いてほしいと訴えるのだが、家出同然に突然やってきた青年をいきなり受け入れてくれるわけもなく、よく考えてから出直せと言われてしまう。

 

少し前に、東京帝大病院の小石川分院に入学した妹のトシの看病のために上京した時も、詩人は上野の図書館にしばしば足を運んだものだったが、今回も、ともかく赤門近くの印刷所で小さな仕事を見つけて菊坂に下宿を決めてのち、鶯谷国柱会に通う傍ら、ひどく熱心に帝国図書館にやってきた

 

詩人はまるであの近眼の樋口夏子のように熱心に本を借り出して読むのではあったが、それと同時にやはり半井桃水に恋をしていたころの夏子のような目をして、

三階の閲覧室の大きな窓から外に目をやり、物思いにふける姿も見せた。

ダルケ、あるいは我が友カムパネラ。どこまでもどこまでも一緒に行こう

 

詩人はその生涯の友と、高等農林学校の寮で同室だったのだが、友人がある事件のために退学処分になって山梨に帰ってしまってからは、もう三年もの歳月、会うことが叶わなかったのだった。会いたい。とうとう友人が東京に出てくるのだ。詩人の心は踊る。詩人は友に会ったのである。休暇を取った見習士官は図書館にやってきた。詩人は友人より少し遅れて図書館の暗い玄関をくぐり、階段を一足一足踏みしめて上がって、三階の床を踏んで汗を拭った。

 

邂逅は幻のような時間だった。三年の月日と、その間に交わされた手紙の量に比べれば、圧倒的に短い時間と言葉の中で、二人は、道が分かれたことを知った「では、いずれまた」と、友人は言った「ぼくは一人で、少し本を読んでいこう」 そう、詩人は言った。緩い半円をつけた大きな窓の木枠に身を預けて、詩人は盛岡で友人と過ごしたころを思いながら、窓の外を眺めた。

 

遠ざかっていく友人が見えた。次第に日は落ちて、外は暗くなった。するとどこかで、不思議な声が、銀河ステーション、銀河ステーションという声がしたと思うといきなり目の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊ほたるいか)の火をいっぺんに化石させてそら中に沈めたという具合。(以下割愛)

宮沢賢治「図書館幻想」より

 

中島京子『夢見る帝国図書館』p.127-130から)………………………………………………………………

 

夢見る帝国図書館・10 マティラム・ミスラ、芥川龍之介『出世』『魔術』、谷崎潤一郎『ハッサン・カンの妖術』

 

<マティラム・ミスラ(インド人)

大正年間に帝国図書館に出入りした人物として、特筆すべきはインド人のマティラム・ミスラ氏である。ミスラ氏が実在の人物であることの根拠は、谷崎潤一郎芥川龍之介という二人の名だたる文豪が、ともに自作の中で、「実際に出会った人物」と書いたことだ。

 

谷崎潤一郎とミスラ氏>

ミスラ氏が谷崎潤一郎と、帝国図書館で出会ったのは、大正4年ごろのことと思われる。そのころ谷崎は『玄奘三蔵』という三蔵法師を主人公に短編を執筆中で、インドの伝説の類を参考にするために、上野の帝国図書館を訪ねた。谷崎は、ここで自らのインド近代史や仏教の知識をたっぷりと披露した上で、ミスラ氏が師事して体得した「ハッサン・カンの妖術」を、自分にも使って見せてもらうクライマックスへと読者を引っ張っていくのであった。

 

芥川龍之介とミスラ氏>

後輩の芥川龍之介がミスラ氏に出合ったのも、帝国図書館だったのではないだろうか。谷崎が「ハッサン・カンの妖術」発表するのが大正6年のことで、その三年後に芥川は『魔術』という短編に、マティラム・ミスラ氏との交友を書くのだけれども、「一月ばかり前」にミスラ氏に芥川を紹介した「ある友人」は谷崎であろう。

 

菊池寛

帝国図書館が無視し得ないのは、ミスラ氏が毎日午前中に通っていたころ、やはり図書館に日参していた、いま一人の著名作家、菊池寛のことである。大学を出たばかりで職がなく、ひたすら貧乏であった。田舎の両親が、金を送れ、金を送れとせっつくので、なんでもいいから金を稼ごうとおもって、『西洋美術叢書』の中の一巻を翻訳させてもらうことにする。ガァデナァという人の書いた、『希臘彫刻手記』であった。その、本当に細い金づるであるところの翻訳の原書を、あろうことか、彼は電車の中に忘れてしまうのである。

 

電車にものを置き忘れた人間があまねく経験するところの焦燥を彼は経験し、三田の車庫、春日町の車庫、巣鴨の車庫、電気局と、ぐるぐるたらいまわしにされた挙句に、警視庁の拾得係でも見つからず、丸善にもなし、神田の古本屋にも、本郷の古本屋にもなしときて、とうとう最後の最後に、帝国図書館にたどり着く

 

さすがは帝国図書館GardenerThe Manuscript of Greek Sculptureを、ようやく彼は発見し、安堵する。その日から、日参である。上野の図書館なしには、仕事にならないのである。帝国図書館は、彼にしてみれば学生時代からよく通った場所ではあったが、よく通ったがゆえに、不愉快な思い出もある場所だった。

 

菊池寛帝国図書館の下足番>

なんといっても、下足番とのやりとりに自尊心を挫かれた高等学校時代の体験は、忘れようもなく刻まれていた。貧乏学生だった彼の草履が、履き潰されてぼろぼろになったため、下足番がそれを下駄箱に入れるのを拒んだのだ。図書館備え付けの、どの上草履よりもくたびれたその草履に、帝国図書館の下駄箱はふさわしくないとばかりに下駄札を寄こさないそのかたくなな態度に、彼は立腹し、みじめな思いを味わう

 

そのため、大学を出たにもかかわらず、図書館に通い詰めねばならなくなった我が身は、必要以上に落ちぶれて感じられ、彼の四角い顔も、いつにもまして角々を突っ張らして行くのであった。日がな一日、地下室で他人の履いた靴を触って糊口をしのぐ下足番に密かな軽蔑をいだきつつも、自分の人生は堕ちたとはいえども下足番ほどではあるまいと安堵したり、生涯日の目を見ずに生きる下足番は気の毒だと同情したりする。

編注:以下割愛します。なお、下足番のことは『出世』に描かれているそうです) 

中島京子『夢見る帝国図書館』p.139-142から)

………………………………………………………………

『秀樹杉松』108巻2892号 2019.7.4 / hideki-sansho.hatenablog.com #532