秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

福山英樹の半生 (2) 遊びの風景  

 

編集注記

 12年前の2007年(平成19年)3月に『子供の頃の想い出』を書き、その中に【第四部】イズナ事件 を収めました。自分史執筆が一段落した2014年(平成26年)に、かねてから考えていた「イズナ事件」の小説化に着手し、『Atelier秀樹ノート』(『秀樹杉松』の改題前誌 )第8巻の特別付録として、「小説・イズナ事件」を書きました。

 

 その「前編:福山英樹の半生」は書き上げあげましたが、「後編」は冒頭の18行のみで断筆しました。こうして、「小説・イズナ事件」の執筆、すなわち「イズナ事件」の小説化は、断念のやむなきに至りました。今から5年前のことです。

 幸い「福山英樹の半生」(ダイジェスト版)は完成しているので、何回かに分けて、本ブログにアップすることにしました。本稿はその第2回に当たります、お読みいただければ嬉しいです。/ Atelier秀樹

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f:id:hideki-sansho:20190825102856j:plain(写真:Atelier秀樹)

 

福山英樹の半生 (2) 遊びの風景

 

<裸とオシッコ> 

 冒頭の場面で、英樹が「道路に寝転がった」と書いたが、当時の田舎道は工事用のトラックがたまに通るぐらいで、普段は子供らの遊び場でもあった。今は田舎でも自家用車、トラックなどが頻繁に通るので、道路で遊ぶことはないだろうが。

 

 夏の暑い日に外で遊ぶときは、子供たちはみんな裸(真っ裸)であった。おしっこが出たくなってもすぐに用を足せるし、何しろ着るものが汗でぬれる心配もなかった。今思えば、着るものがないので裸で居るより仕方がなかったのかも知れない。

 

 おしっこと言えば、こんなことを覚えている。砂をかき集めて砂山を作り、頂上に肘で窪みをつけ、そこに立ち小便したものだ。その部分がおしっこで固まるので取り出すとお茶碗みたいな形をしている。その中に草の葉っぱをちぎって入れ、「さあ、どうぞ召し上がれ」と差し出した。

 

 今から思えば不潔だが、当時は楽しい飯事(ままごと)遊びであった。飯事といえば、スカンポの茎を切り刻んで入れたものだ。スカンポは良く覚えており、大人になってから山に行ったときは摘んで口にいれ、昔の味を思い出して噛みしめる。

 

<スキー、スケート> 

 東北地方だったので、冬は雪が多く寒かった。スキーは竹を何本か針金でつなぎ、曲げた先端に縄をつけ、その縄を両手で引っ張りながら滑ったものだ。竹製なので、竹ズキーと呼んでいいだろう。この竹ズキーでよく遊んだが、丘を滑っているときに、木の切り株にひっかかって体が飛ばされて肩を脱臼した。

 このケガをきっかけに、スキーをぴたりとやめた。雪国出身なのに、大人になってからも冬山スキーを楽しむことが出来なかったのは、この負傷によるものであった。

 

 スケートも自家製で、簡単にいえば、下駄の歯を取っ払って針金を付けたみたいなものだったので、下駄スケート針金スケートとでも言えそうだ。英樹はこのスケートで凍結した路上を滑って遊んだが、本式のスケートははいたことがない。大きくなってからも、スケート場に足を運ばなかった。滑れないからである。

 この様に、冬のスポーツ何一つ出来なかったのは、以上の事情によるものだ.

 

 <和服(着物)> 

 ところで、当時の子供らの服装は、洋服ではなく和服(着物)であった。これも変な話だが、おかげで、大小の用足しにはすごく便利であった (勿論ノーパン)。

 ある時、英樹が高い樹にのぼって蝉を捕ろうとし、落下して大怪我をした。地上に落ちるまでの1・2秒間か、着物が落下傘のように開き、恐怖の中ではあったが「これが落下傘か」と瞬間頭にひらめいたことを今でも覚えている。

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『秀樹杉松』109巻2915号 2019.8.25/ hideki-sansho.hatenablog.com #555