本ブログ前号で「思い出の白馬岳」を書きましたが、もう一つ、「白馬三山」の記憶も蘇りました。山には独立峰と連峰(立山連峰、穂高連峰、谷川連峰etc.)がありますが、三つの連山の場合、「〇〇三山」と呼ぶばれます。
漢字には「象形文字」がありますが、「山」は三つの山、「川」は三本の川「森」は三本の木、「三」は一が三つ、からできています。「三」を冠した呼び名もポピュラーですね。→「三本の矢」「三兄弟」「三姉妹」「三傑」「三哲」etc。
さて、山には白馬(しろうま)三山(白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳)のほかに、鳳凰(ほうおう)三山(地蔵ヶ岳、観音ヶ岳、薬師岳)、白峰(しらね)三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)、立山(たてやま)三山(雄山、浄土山、別山)などがあります。登山を始めた頃に行った、奥多摩の低山である、高水三山(高水山、岩茸山、惣岳山)、戸倉三山(市道山、刈寄山)(白杵山)もありました。
このうち、鳳凰三山、立山三山、高水三山、戸倉三山には登りましたが、白馬三山と白峰三山は縦走できませんでした。これが私の「三山」にまつわる思い出です。二つの三山へ登頂ができなかったからといって、「散々」だった訳ではありませんが、「残念」であったことは事実です。登れた三山も、縦走できなかった三山も、どちらも山歩き・登山の懐かしい思い出となっています。
白馬三山も白峰三山も「三山縦走」の予定でしたが、アルプス登山歴に乏しい自分の、いわば「判断ミス」、天候不良がもたらしたハップニングで、縦走を諦めたのでした。
「白峰三山」縦走断念の記
北岳(山渓カラー名鑑「日本の山1000」より)
白峰三山=右から北岳、間ノ岳、農鳥岳(『日本の名峰16』(山と渓谷社)から)
1)北岳(3192)に感動の登頂を果たして北岳山荘で一泊した私は、翌朝早起きして間ノ岳(3190)、農鳥岳(3051)へと縦走する計画でした。ところが、朝早く起きたら、山荘に誰もいなかったので、「起きるのが早すぎた。他の人たちはまだ寝ている」と思い、「朝食までは少し時間がありそうだから、縦走路に出てみよう」と判断。これが判断ミスだったのです。
2)いい気分で中白峰(3055)まで歩き、「もうぼちぼち朝食の時間だろう」と山荘に引き返したら、「もう皆さんはとっくに出かけた。すぐ朝食をとって出かけてください」と教えられたてビックリ。つまりは、私が起きて「みんなまだ寝ている」と思ったのは大間違いで、三山縦走の人たちは、その時既に出かけてしまっていたのでした。
3)後でわかったのですが、早立ちで縦走する人は、朝飯と昼飯を頼んでおいて、起きたらすぐ出発するそうです。何にも知らない私は、そんなわけで遅い時刻に北岳山荘を出発したのでした。時間を計算しても、農鳥岳からの下山は無理になりました。素人(しかも単身)登山がもたらした喜劇みたいなものでした。
4)かくして、白峰三山縦走はきっぱり諦め、急遽予定を変更して、北岳から小太郎尾根を北上し、草すべり、お池、広河原を経て草津温泉へ出ました。
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「白馬三山」縦走断念の記
白馬岳(山渓カラー名鑑「日本の山1000」より)
白馬三山(「コンタツおじさんの北アルプス案内:北部編」/山と渓谷社」より)
1)白馬三山縦走を目指して、杓子岳に向けて南下しましたが、あいにく悪天候(強い風雨)に見舞われたのです。「このまま縦走路を進むべきか」「引き返して大雪渓を下山すべきか」、すごく悩みました。何しろ単独山行であり、あたりには登山客はほとんど見えない。思考も変転したが、自分の体も文字通り「一進一退」を繰り返しまし、立ち往生もしました。
2)「安全登山」が大原則であったので、最後は「引き返して、大雪渓を下山する」と決断しました。皮肉なもので、下山途中で晴れ間が見えてきました。山の天候を熟知しているべテランなら、縦走したんでしょうね!
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『秀樹杉松』110巻2923号 2019.9.6/ hideki-sansho.hatenablog.com #563