秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

大作曲家「古関裕而」を偲んで ~ ♪露営の歌、♪暁に祈る、♪栄冠は君に輝く、♪長崎の鐘、♪君の名は、♪高原列車は行く、♪オリンピックマーチ、♪とんがり帽子、、、

 

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(撮影=Atelier秀樹)

 

 このブログ前号紹介のように、来たる10/4(土)~5(日)に「只見線支援うたごえ列車」が走ります。10/4には「福島市古関裕而記念館」も訪問します。古関裕而さん作曲の歌は、私は大好きです。そこで、この際なので、今年生誕110年の「古関裕而さんについて、詳しく調べてみました。私の胸に秘めているのはもったいないので、この号に書くことにしました。

 

古関裕而 (こせきゆうじ)

あなたはご存知でしたか? 古関裕而作曲の名曲(私の考え)を年代順に挙げると、♪紺碧の空早稲田大学応援歌)、♪大阪タイガースの歌六甲おろし)、♪栄冠は君に輝く夏の高校野球大会の歌)、♪長崎の鐘、♪君の名は、♪高原列車は行く、♪オリンピック・マーチ(1964年東京オリンピク)etc.でしょうか。

 古関裕而明治42年(1909年)生まれなので、今年は生誕110年に当たり、来年のNHK朝ドラのモデル(奥さんと)なそうです。終戦の昭和20年にはすでに36歳でしたので、戦中・戦時中の作品もたくさんあり、その全てが一世を風靡した名曲ばかりでした。

 

 もちろん時代が時代ですから、戦前の古関裕而は多くの軍歌を作曲しています。今の若い人はご存知ないでしょうが、私は子供(国民学校生)の頃、軍歌を「愛唱」して育ちました。幼少のことはなんでもよく覚えています。いくら歳とっても、いや加齢に伴うかのように、記憶が強まるのです。中でも軍歌と戦争のことは、忘れろと言われても生涯忘れることはできません

 

 古関裕而作曲の歌を中心に、以下少し軍歌に言及しますが、決して「軍歌讃歌・戦争謳歌」ではなく、むしろその正反対です。子供の頃に唄った歌は、いつまでも覚えています。歌とはそういうものでしょうか。軍歌は文字通り、軍国主義・戦争を讃え鼓舞するものです。“歌は世につれ世は歌につれ”といわれますが、子供の私は大人たちに混じって、赤紙1枚で戦地に駆り立てられた集落の若者たちを、軍歌で「励まして」送り出したのでした。

 

 その軍歌には、次のような歌詞(いまでも暗唱してます)が並んでいたのです。

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 ♪ああ あの顔で あの声で 手柄頼むと 妻や子が ちぎれる程に 振った旗、 ♪勝ってくるぞと 勇ましく ちかって故郷(くに)を出たからは 手柄たてずに死なりょうか、 ♪夢に出てきた 父上に 死んで帰れと 励まされ、 ♪海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 

 

 子供とはいえ国民学校(小学校)生なので、歌詞の意味は理解できました。だからこそ、よく知っている集落のお兄さんたちに「手柄を立てて死んでくれ!」と心から願い、力いっぱい声を張り上げ、「ちぎれる程に」国旗を振って見送ったのです。

 

 私は子供だったので、本当に「死んで帰れ」と見送ったような感じでしたが、出征する若者の親や妻、兄弟、祖父母たちは、本当は(間違いなく!)心では泣いて見送ったのです。しばらく経つと、白い箱に入って帰還したのです。「期待に応えて見事に死んでくれた」と、本当に思いました。

 

 軍歌・戦争をご存知ない若い皆さんこれが国民を総動員した軍歌であり、戦争だったのです! 私たちの世代は、こうした「歴史認識」にしっかり立ち、戦争を繰り返してはいけない、戦前に戻してはならないと思っています。だが戦争を知らない塩梅辛酸騒狸が、戦後否定・戦前回帰を公言してはばからないのは、情けなく悲しいですね!

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(撮影=Atelier秀樹)

 

<軍歌>

 若き作曲家・古関裕而は、前掲のような歌詞にふさわしい曲をつけその軍歌はいわば国民をあげて歌われたのでした。だから古関裕而が作曲した名曲として「軍歌」をあげねばなりません。(注:歌詞は他の人が作ったものですが)

 

露営の歌  

勝ってくるぞと  勇ましく  ちかって故郷(くに)を出たからは   手柄たてずに死なりょうか  進軍ラッパ 聴くたびに まぶたに浮かぶ 旗の波」

「……馬のたてがみ なでながら 明日の命を 誰か知る

「……しばし露営の  草まくら  夢に出てきた  父上に  死んで帰れと励まされ……」

「……ニッコリと 笑って死んだ 戦友が  天皇陛下万歳  残した声が 忘らりょか

「……泣いてくれるな  草の虫  東洋平和の  ためならば  なんで命が  惜しかろう

 

暁に祈る  

ああ あの顔で あの声で 手柄頼むと 妻や子が ちぎれる程に 振ったさらば祖国よ 栄あれ

 

愛国の花

「真白き富士の気高さを こころの強い 盾として 御国につくす女等(おみなら)は 輝く御代の山ざくら 地に咲き匂う  国の花 」

 

若鷲の歌  

若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨

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 古関裕而の作曲ではありませんが、次の二曲の軍歌もよく歌われました。兵隊さんはもとより、全国民がこうした軍歌に酔いしれたのです(勿論、子供の私も)。

日本陸軍

天に代わりて不義を討つ 忠勇無双の我が兵は 歓呼の声に送られて 今ぞ出で立つ父母の国 勝たずば生きて還らじと 誓う心の勇ましさ

出征兵士を送る歌

我が大君(おおきみ)に召されたる 命栄(は)えある朝ぼらけ 讃えて送る一億の 歓呼の声は高く天を衝(つ) いざ征けつはもの日本(にっぽん)男児

<注>

この二つの軍歌に「日本軍国主義」の真髄?が、要約されていますね。

1)「不義」を討つ、つまり「正義」の戦である。

2)自分たちは「天に代わって」不義を討つ、が大義名分だったのです。

3)畏れ多くも、大君(天皇陛下)に召されて馳せ参じるのだ。

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 軍歌の歌い手は、伊藤久男藤山一郎霧島昇、松平晃、林伊佐緒、渡辺はま子、松原操、二葉あき子 etc.でした。当代選りすぐりの人気歌手が歌い上げる軍歌により、国民の戦意はいやが上にも高揚したのでした。

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<歌謡曲

古関裕而作曲の歌謡曲は数えきれないほどです。どれもが名曲で、愛唱されています。♪長崎の鐘、 ♪高原列車は行く、などは、歌声喫茶でリクエストが多いです。

 

<戦前>♪河原すすき  船頭可愛いや

<戦後>♪夢淡き東京柳青める日  白鳥の歌  雨のオランダ坂 ♪フランチェスカの鐘 ♪長崎の鐘 ♪イヨマンテの夜  あこがれの郵便馬車  ニコライの鐘  君の名はひめゆりの塔  高原列車は行く etc.

 

 

<校歌>

作曲した校歌は、母校の「福島商業高校校歌」など、300曲に達するそうです。

 

<応援歌・スポーツ讃歌>

古関裕而が作曲した名曲が多い。

 ♪紺碧の空早稲田大学応援歌)♪大阪タイガースの歌(六甲おろし)♪巨人軍の歌闘魂こめて)♪栄冠は君に輝く高校野球)♪オリンピックマーチ(1964東京オリンピック)♪早慶讃歌~花の早慶戦~  ♪我ぞ覇者~慶應義塾大学応援歌~、etc.【作曲年代順】 

 

 

<テーマ曲、主題歌>

 今週の明星、歌の広場、日曜名作座、昼のいこい、早起き鳥、

とんがり帽子(鐘の鳴る丘)ジロリンタンの歌(ジロリンタン物語)さくらんぼ大将

 

<5000曲を作曲>

福島市古関裕而記念館kosekiyuji-kinenkan.jp古関裕而プロフィール」によると、作曲の総数は5000曲にも及び、スポーツ・ラジオドラマ・歌謡曲・演劇・校歌・社歌、多岐にわたっているそうで、スゴイですね!。

 

<福島駅の発車メロディ>

 古関裕而は、福島市出身です。

福島駅ホームの発車メロディ=(新幹線)「栄冠は君に輝く」、(在来線)「高原列車は行く 

 

<来年の朝ドラ>

 来年のNHK朝ドラエール」のモデルは、古関裕而と金子さん夫妻なそうです。今から楽しみですね!

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 以上の情報は、主として Wikipedia (ja.m.wikipedia.org)によりました。ウィキペディアさん、ありがとうございます。

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『秀樹杉松』110巻2930号 2019.9.22  / hideki-sansho.hatenablog.com #570