秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

駅ピアノ・空港ピアノ(NHKBSプレミアム)みる。そして<八十の手習い>を思う。

  

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NHKテレビのニュースや報道番組は概ね視野の外ですが、さすがはNHK!と思われる他の番組は、しっかり視聴しています。最近は朝食時にNHKBSプレミアムで「おしん」(再放送)や「スカーレット」などをみます。「プレミアム」には他にもいい番組が目白押しで、“テレビみない私”もついつい取り込まれたりします。/ Atelier秀樹

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港区赤坂の坂を歩く~坂学会 1月の「この指とまれ」坂めぐりに参加しました

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坂学会この指とまれ(坂歩き)は毎月の第2土曜です。東京オリ・パラの記念すべき今年の歩き始めは、昨日の1月11日(いい人)に行われ、私も参加して赤坂の街を歩きました。松本崇男会長による<江戸切絵図の坂>第4弾で、港区赤坂の15坂と関連の史跡を歩きめぐりました。

いい人は この指とまれ 

 オリパラの 年明け歩く 坂の街  Atelier秀樹

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横山秀夫『ノースライト』を読みました。横山作品は初めてでしたが、久々の名作に出会えて感動しました。

 

横山秀夫ノースライトを読む

 〜ブログ「秀樹杉松」600号記念〜

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私の趣味の第一は読書です。従って、人並みに本を読んでおり、小説も愛読しています。だが、横山秀夫さんの著作は今回初めて読みました。横山ファンからはおそらく「何?それで読書が趣味だと言うんですか?」と笑われそうですね!

なお、本ブログ『秀樹杉松』は、2017年8月に投稿を始めましたが、この号で600号になりました。いささかの感慨を込めて、600番目を投稿します。お読みいただければ、嬉しいです。 /Atelier秀樹

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年男と年女 ~今年は子年(ねどし)生まれの出番、そしてネズミの出番ですね?!〜新年 “ねずみ考 ”

 

今年は子年(ねどし)なので、ネ年(ネズミ年)生まれの人は年男・年女と言われます。

 具体的には、昭和11年生まれ(数え年で85歳昭和23年生まれ(同73歳)昭和35年生まれ(同61歳)、、、ということになります。

 該当者は、なんとなく、正月を迎えて(旧式では、誰でも一斉に正月に年をとるから)そんなことを意識しているかもしれません、ネ?!。

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令和の開幕と新たな “挑戦” の年。〜2019年(令和元年)を写真で振り返る〜

 

 

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晦日を迎え、365日が過ぎ去ろうとしています。今年は「令和時代」のスタートでした。

私自身にとって、今年は初体験の多い一年でした。それも受動的というよりは、自分から選択した新たな“挑戦”だったような気がしています。/ Atelier秀樹

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田道間守(たじまもり)説話と、文部省唱歌  ♪田道間守。70年以上前を思い起こしました。

 きのう(12月27日)、練馬の<ふらっと b おんがくたいむ>で、今年を締めくくる歌声に参加しました。いつものように前日以前に寄せられたリクエスト曲を前半で、当日の参加者から出されるリクエスト曲を後半で歌いました。

f:id:hideki-sansho:20191228125542j:plain 「ふらっと ♭ おんがくたいむ」主宰 長嶋真美先生 〜 歌の指導とピアノ演奏

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前半のリクエスト曲の中に「田道間守」(たじまもり)があるのを見て、非常に驚きました。なぜなら、第一に、こんな古い曲がリクエストされたことに先ずびっくり、第二に、戦時中の国民学校(戦後小学校となる)時代に私が感動して歌った曲(文部省唱歌)だったからです。

 

そんなわけで、みんなでたう前に私は特に発言を求め、いま書いたことを申し述べました。そして、「こういう古い文部省唱歌をリクエストされた方を尊敬する、この席にいらっしゃいますか」と尋ねました。「それは私です。母がよく歌っていた歌でしたから」と、私の隣のご婦人が答えられたので、さらにびっくりしました。

 

この方はどうやら、私と同年輩かと見受けました。長嶋真美先生主宰のこの <ふらっと b おんがくたいむ> の参加者は、男性よりも女性が多く、男女とも(調べたわけではありませんが)“後期高齢者”が多いようです。リクエスト曲に、文部省唱歌が含まれるのは、<新宿ともしび>を上回るような気がします。

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という次第で、70年以上前に歌った文部省唱歌 ♪田道間守 を歌いました。大昔?のことなので、記憶もぼんやりしつつあり、ちゃんと歌えるかどうか若干不安もありましたが、歌い出したらスラスラといきました。哀調を帯びた「♪いま帰る田道間守、田道間守」を、感情を込めて歌い上げました。

 

天皇の命で橘を求めて海を渡った田道間守10年後に任務を果たして帰朝したが、天皇はその1年前に崩御天皇のお墓で泣き悲しんで自殺した。国民学校生の時に何度も歌って、田道間守を立派だ、可哀想だと思ったことを、昨日のように思い出しました。だから私は、この歌をリクエストされた方を尊敬したいのです。有難うございました。

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田道間守(たじまもり)の説話

 

当然ながら、田道間守について、wikipediaで調べてみました。日本書紀古事記などに書かれている説話ですが、文献によって多少異なる記述があるようですが、論文ではないので簡潔に、日本書紀中心にまとめてみました。 

 

それによると、田道間守(たじまもり)記紀に伝わる古代日本の人物で、天日槍(アメノヒボコ。渡来人または渡来神)の後裔。三宅連(三宅氏)の祖。現在は菓子の神、菓子祖としても信仰さているそうです。

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さて、天皇の命を受けて橘を求めて常世の国(海外)へ出かけたときの、説話を紹介します。私のような年配者は別として、全くご存知ない方も多いのではないでしょうか。どうぞお読みください。

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垂仁天皇90年に、田道間守天皇の命により非時香菓(ときじくのかくのみ)、すなわちタチバナ(橘)を求めに常世の国(とこよのくに=古代日本で信仰された、海の彼方にあるとされる異世界)に派遣された。しかし垂仁天皇は(9年後の)垂仁天皇99年に崩御。翌年(すなわち出発から10年経って)(景行天皇元年)田道間守は非時香菓8竿、8縵(葉を取った8枝、葉のついた8枝)を持って常世の国から帰ってきたが、天皇はすでに崩御したことを聞き、嘆き悲しんで天皇の陵(みささぎ=墓)で自殺したという。

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 文部省唱歌「田道間守のうた」の歌詞を紹介します。

 

田道間守(文部省唱歌

 

かおりも高い たちばなを

積んだお船が いま帰る

君の仰せを かしこみて

万里の海を まっしぐら    

いま帰る 田道間守 田道間守  

 

おわさぬ君の みささぎに

泣いて帰らぬ まごころよ

遠い国から 積んできた

花たちばなの香とともに

名はかおる 田道間守 田道間守

 

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『秀樹杉松』111巻2957号 2019.12.28/ hideki-sansho.hatenablog.com #597

熊本4泊の旅紀行(No.7)【完】 〜坂学会の熊本坂巡検は、成功裡におわりました。

 

 

「熊本4泊の旅」(2019年12月13~16日) が終了。数々の思い出を胸に、12月17日熊本空港から成田空港へ。

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