秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

交響曲「9番」への挑戦

 愛称のない交響曲

 

 愛称を持たない交響曲の名曲も、勿論ある。先ずは41歳にして初めて交響曲を手がけ、完成に21年を要した程の“慎重居士”ブラームス(1833)だ。それでもビューローは、彼の第1番をベートーヴェン「第九」を引き継ぐものと評価して「第10交響曲と讃えている。また、第2番を「ブラームスの田園交響曲と呼ぶ伝記作家もいる。もう一人はシベリウス(1865)だ。名曲の第2番をシベリウスの田園交響曲と賞賛する人もいる。

 

 ベートーヴェン(1770)の第7番は愛称はないが、ワーグナー“舞踏の賛歌”と讃えた名曲である。「第九」「合唱」として親しまれる第9番は、人類の平和と歓喜を歌い上げた史上最高の傑作として、全ての人々に愛されている。初演は亡くなる3年前の1824年であり、耳は全く聞こえなくなっていたといわれる。

 

 交響曲「9番」への挑戦

 いわば気楽に交響曲を作った時代は、作曲数も多い(ハイドンの100余曲、モーツァルトの41曲)が、本格的な大曲に挑んだベートーヴェン以後は、彼と同じ九つの交響曲を作曲することが目標になった。しかし、シューマンは4番メンデルスゾーンは5番チャイコフスキーは6番シベリウスプロコフィエフは7番で終わっている。それ程、9番まで到達するのは容易ではなかった。

 9番に果敢に挑んだ作曲家がいる。ドヴォジャークは有名な9番「新世界より」を完成したから、立派というべきだろう。ショスタコーヴィチは15曲作曲した。ブルックナーは、9番の3楽章までは書きあげたが、未完に終わった。(合唱付の<テ・デウム>を最終楽章に代用し、ベートーヴェンの第九の形にすることも考えたそうだが。)

 

 マーラー大地の歌

 マーラー(1860)は9番目の交響曲に番号を付けなかった。“全6楽章のオーケストラ付の歌曲集”ともいうべきものである。クラシックの本でも、この大地の歌“無番号の交響曲とする扱いと、“独唱・合唱・管弦楽曲とする扱いの二つに分かれる。だが、そのどちらにしても交響曲第9番」でないことは確かだ。

 では、何故そうしたかということになる。その説明としてベートーヴェンブルックナーが9番まで書いて死んだので、自分も死ぬのではという恐怖にかられたから」(妻アルマ)の逸話がよく使われる。死の現実感に直面していたマーラが、“9番を書いたら本当に最後になるかも”と考えたのだろう。この大地の歌」のテーマが死であり、最も長大な第6楽章「告別」では、死を前にしたマーラーの心情が切々と語られている。

 そのマーラー大地の歌」の翌年に「交響曲第9番」を完成したが、声楽を使わない4楽章のバランス取れた曲で、押しも押されもせぬマーラーの最高傑作といわれる。

 そして、いよいよ第10番に挑戦したが、無念にも未完に終わった。全5楽章をめざしたが、完成を見ずについに力尽きた。しかし、スケッチや草稿がが残されていたので、何人かが「全5楽章版」の完成を試みた。結局、マーラーも第10番は完成できなかった。その意味では、恐れた如く9番完成が告別となった。なお、最後の3作品(大地の歌・9番・10番)は「死」をテーマとしたが、初演を待たずに自らの死を迎えた。(「クラシック音楽への憧れ」)

          (秀樹杉松 82-2368)