秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

人和(なご)む / モーツァルト(1756)

作曲家の生年 覚書 (2)

 

人和(なご)む / モーツァルト1756

 神童といわれた早熟の天才モーツァルトは、無念にも35歳の若さで世を去ったが、この短い期間に、41の交響曲、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」などのセレナード、30のピアノ協奏曲、「フィガロの結婚」などの歌劇、“三大レクイエム”に数えられる「レクイエム(死者のためのミサ曲)」などの名曲を残した。静かなる中にも若い情熱がこめられた、モーツァルトの作品は、われわれの心を和ませてくれる。だから、“人なごむ(1756)モーツァルトと決まった。

 

嘶(いなな)く奈(ナポレオン) / ベートーヴェン1770

 九つの大交響曲を完成したベートーヴェンは、三大交響曲三大ピアノ協奏曲三大ヴァイオリン協奏曲三大レクイエム三大作曲家いずれにも入る、巨匠中の巨匠だ。生年の末尾が0なので比較的に覚え安いが、こじつけでも良いから案出したい。真っ先に浮かんだのはやはり「チャチャチャ、チャーン」と鳴り響く<運命>の出だしだった。

 これに何とか結びつかないか。生年の最初の3ケタの177と、<運命>出だしの音が、牝馬を求める雄馬の雄叫びを連想させた。そこから、馬の嘶き(いななき)を連想し、“いななく”を思いついた。だが、末尾が9でないので困った。

 <運命>で駄目なら<英雄>で行くしかないベートーヴェンはナポレオンの1年後輩であり、フランス革命を成し遂げたナポレオンに、強い共感を覚えていたようだ。1803年から翌年にかけて作曲された「交響曲第3番」は、当初、ナポレオン・ボナパルトの名をとり<ボナパルト>の題名で、ナポレオンに献呈する予定だっだといわれる。だが皇帝即位に失望し、曲名を<英雄>に変更した、との逸話が伝えられている。

 フランス革命を成功させた英雄ナポレオンと、クラシック音楽巨匠ベートーヴェンの“二人の英雄”(小生の造語)は、切っても切れない関係にある。そこで考えた。昔はフランスを漢字で「仏蘭西」、ナポレオンを「奈破崙」と表記した。(余談だが、結果として仏教と関係ないフランスが「仏国」になった。ナポレオン(奈崙)破壊者の印象を受ける。確かに革命は破壊を伴うから、的を射ているのかも知れない。作曲家の生年覚えに知恵を絞る小生には、当時の漢字宛ての苦労がよく分かる。)

 閑話休題奈破崙は短縮して「奈翁(なおう)」とも書かれるので、ベートーヴェンの生年1770年の「70」を「奈翁(なおう)」と呼ぶことにした。結局、ベートーヴェンの生年1770は“いななく奈翁”に決着した。(若い頃こんなことに熱中していたら、音大でも目指せたかな?)。

 

人悩むロマン派の先駆者 / ウェーバー1786

 名曲の歌劇「魔弾の射手」、ピアノ曲舞踏への勧誘」(ベルリオーズによる管弦楽曲編曲で広く知られる)などで有名なウェーバーは、音楽史上ロマン派の先駆けといわれる。喜び・悲しみ・悩みなど、人間の感情を大切にするロマン派生年の「1786」と「人悩む」が完全に一致。こうしてウェーバーの生年は、“人悩む(1786)ロマン派の先駆者”に決定した。

 

続き番号1789 / グルーバー(1789)(きよしこの夜)

 続き番号のモンティヴェルディ(1567)ヴィヴァルディ(1678)からヒントを得て、ついでに1789年(フランス革命)生まれを探したら、グルーバー(1789)に行き当たった。

 名前を聞いたことがないので調べたら、何ときよしこの夜」(クリスマスキャロル)の作曲家だと分かった。曲名は中学生の頃から知って愛唱していたが、作曲家が存在するとは知らなかった。生年探しの思わぬ収穫となった。因みにグルーバーは、オーストリアの田舎町の教会オルガニスト、校長だった人で、きよしこの夜」一曲だけで知られるそうだ。(「クラシック音楽への憧れ」)

                                              (秀樹杉松 82-2372)