秀樹杉松

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西向く士(さむらい)/ ブルックナーとスメタナ(1824)

作曲家の生年覚書 (4)

西向く士(さむらい)/ ブルックナースメタナ1824

 

 ブルックナー交響曲は長時間ものが多く、改訂を頻繁に繰り返している。個性の強い音楽のせいもあり、音楽史上の評価は必ずしも高くない。もっと脚光を浴びるべき大作曲家であり、本人も悔しい思いをしているのではないか。

 

 暦に「大の月」「小の月」があり、小月 (2,4,6,9,11) のうち、11を漢字十一に似た「士」を宛てて、“西向く士(さむらい)”と覚えている。意味ありげだが語呂合わせに変わりはない。「西向く士」の小月は、文字通りマイナー月である。クラシック界で正当に評価されない感じのブルックナーに、ピッタリではないか。生年1824の24を西と読めば、ブルックナーは「西向く士」で収まる。みんなが東(陽が出る)を向いているのに、ブルックナーは反対の西(陽が沈む)を向いているイメージ

 メジャー舞台ではない東欧のチェコで、民族音楽を確立し世紀の名曲「わが祖国」を世に送ったスメタナも、実はブルックナーと同年の1824年生まれだ。マイナー東欧からメジャー西欧を見るのだから、スメタナ(1824生)も文字どおり“西向く士だろう

 

人はニコニコ / ヨハン・シュトラウス二世(1825

  「美しく青きドナウ」「皇帝円舞曲」などで知られる“ワルツ王”・ヨハン・シュトラウス二世は1825年生まれ。心ときめくワルツ、幸せ感いっぱいの音楽。この素晴らしい音楽を聴けば、人は皆誰でもニコニコ顔になる。迷うことなく、“人はニコニコ”(1825)だ。

 

ブラームス燦々(さんさん) / ブラームス(1833)

 ブラームス(Brahms)は「交響曲1番」以外余り好きになれないが、バッハBachベートーヴェン(Beethoven)と並ぶ“三大B作曲家”と称される巨匠だ。ヴァイオリン協奏曲も“三大V協”と数えられる。この際サービス精神を旺盛にして、1833年生まれに因んで、ブラームスは燦々(さんさん)”と覚えることにした。

 

ボロをまとって散々 / ボロディン(1833

 ブラームスと同年の1833年生まれ。小生は、歌劇「イーゴリー公」、交響詩中央アジアの草原にて」が好きだ。ブラームス(燦々)に同じ”としたいが、ボロディンという名前が気にかかる。調べると、ロシア国民楽派の1人で、グルジア貴族の血をひいていて、医科大学の教授で化学者であった由。それなら遠慮することはい。ボロディンはボロをまとって散々(33)”で勘弁して貰おう。貴族なのだから。

 

さく(39)るしい / ムソルグスキー(1839

 ボロディン(1833)にはボロを着せて散々(33)な目に遭わせたが、どうせ覚えるための遊びついでに、名前が「むさく(39)るしい」感じから、1839年に結びつけた

 

走れチャイコフスキー / チャイコフスキー(1840

 「悲愴」「白鳥の湖」「弦楽セレナード」で愛されるチャイコフスキー。初期にはムソルグスキーなど“五人組”とも交流し、国民主義的傾向があったが、外国(スイス、イタリア、フランス)生活や放浪も経験し、渡米もしたせいか、西洋派とか折衷派と呼ばれる。外国を走りまわったことをイメージに、“走れ(840)チャイコフスキーと決めた。

 

チャイコフスキーの1年遅れ / ドヴォジャーク(1841)

 ドヴォジャークは、チャイコフスキーのロシアに近いチェコの出身。国民主義の作風も接近し、ヒゲの顔写真も少し似ている生年もたった1年後輩チャイコフスキーほど有名でないが、それに近い実力をもっている。そこで、走れチャイコフスキー(1840)に1年遅れの1841生まれだから、チャイコフスキーの1年遅れ(1841)と覚えた。なお、1841年は“良い(41)年”でもあるから。

 因みに、ドヴォジャークは日本ではこれまでドヴォルザークまたはドヴォルジャークと表記されてきたが、原語に一番近い「ドヴォジャーク」が正しいとの指摘を読んだことがある。現に、手元にあって愛用している『一冊で分かるクラシック音楽ガイド』(後藤真理子監修 2004成美堂出版)では「ドヴォジャーク」を採用している。小生も本稿において、ドヴォジャークと表記している

 

朗々たる響き / マーラー(1860

 「楽劇」を生み出したマーラーは、後期ロマン派の巨匠であり、“三大作曲家”(バッハ・ベートーヴェンモーツァルト)に次ぐ大作曲家の1人だ。朗々(ろうろう)と響く音楽の素晴らしさは、ベートーヴェンに勝るとも劣らないマーラーブルックナーの曲をウルサイみたいにいう人には腹が立つ。「60」を「朗」(ろう)と読ませ、“朗々たる響き / マーラーと覚えた。大好きな作曲家だから、「ハロー(860)マーラー」と声をかけたくなる。

 

花見 / ラフマニノフ(1873

 ラフマニノフのピアノ協奏曲は美しい花見 (873) が最もふさわしい。

 

花暦(はなごよみ)/ ラヴェル(1875

 ラヴェルは、名前がラフマニノフと同じ「ラ」で始まり、2年だけ後輩だ。ピアノ曲マ・メール・ロワ」(英語名は「マザーグース」) を作曲し、後に管弦楽用にも編曲し、更にバレー音楽に仕上げた。ドビュッシーと共に「印象音楽」を大成するなど、一時代を画したと言ってもよい。そこで、音楽の父バッハ(1685)の「イロハ暦」と、ラフマニノフラヴェルの曲の美しさに因んで、ラヴェルは花暦(はなごよみ)(1875)と決めた。

 

プロコヒエフ / プロコフィエフ(1891

 プロコフィエフ「コフィ」=「コヒ」= 91。無意味な単なる音合わせだが、プロコフィエフは1891でいくことに決めた。(「クラシック音楽への憧れ」)

                                                           (秀樹杉松 82-2374)