コラールとコーラス
似たようなケースがある。ベートーヴェンの交響曲9番「合唱付」は、最近は単に「合唱」と呼ばれることが多い。「英雄」や「運命」と同じ「合唱」だけの方が明快であるからかも。Symphony №9“Choral”のコラールは愛称である。
井上和男氏は『クラシック音楽作品名辞典』において、次のように解説している。
「第4楽章に声楽を加えたために「合唱付交響曲」と通称されるが、この通称は「コラール交響曲」と訳すべきであろう。器楽と声楽の統合された作品を意図した後期の傑作で、交響曲に声楽を用いたこと自体異例のことであり、全人類の理想を謳った歌詞とともに、ベートーヴェンの芸術的極致を示すものとされる。」
●コラール(讃美歌) = 元来、広い意味での教会歌をさすが、現在ではドイツプロテス タント教会の讃美歌を指す。
●コーラス(合唱)=-複数の人が複数の声部に分かれて、各々のパートを複数で歌う。(重唱とは違う)
「主よ、人の望みの喜びよ」
日本語訳は挙げればキリがない。バッハのカンタータ140番は「目覚めよ、と呼ぶ声あり」が普通だが、古い本では「目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声」とある。「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」と思いっきり現代的な訳も現れた。
147番は「心と口と行いと命もて」が多いが、「命」ではなく「生きざま」や「生活」を当てる訳もある。この147番は10曲からなり、第1曲「心と口と行いと命もて」、第6曲:コラール合唱「イエスこそわが喜び」、第10曲:コラール合唱「イエスは変わらざるわが喜び」となっている。第6曲と第10曲は「主よ、人の望みの喜びよ」の名で広く親しまれている。
「神童」物語
音楽界に「神童」はつきものだ。サン=サーンスは3歳でP曲を作り、モーツァルトは5歳頃で、シューマンは9歳で、作曲を始めたの類である。特に、モーツァルトは曲を一度聴いただけで、楽譜に書き起こしたといわれる。多少オーバーな風聞もあるかも知れないが、モーツァルトやシューベルトなどに関する限り、素直に認めたくなる。
若き作曲家の登竜門として権威があった「ローマ大賞」。1826年(23歳)から受験して落選を重ねたベルリオーズが1830年(27歳)にやっと合格。同年作曲した「幻想交響曲」は失恋経験を書いたものらしい。彼の音楽も好きだが、人物にも好感が持てる。
「クラシック音楽」を書き終えて
可成りの長さになる予感はあったが、それを上回る31頁の膨大な章になってしまった。長年かけて鑑賞・勉強?してきたので、いつかまとめて書こうとの気持はあったが、ろくにオタマジャクシモも読めない自分には不可能と思ってきた。
今回『定年後のわが人生』の執筆に際し、趣味・教養関係で「読書」と「クラシック音楽」について、何か書いてみようかと考えた。結局読書は割愛して、“どうせ素人なのだから、気楽に書ける?”クラシック音楽を選択した。
小生の「クラシック音楽への憧れ」は強く、名曲を聴く度にその作曲家を知り、曲を理解したい気持になり、CDの収集・解説本や音楽史の勉強などに傾斜していった。ナマの演奏を聴くために、日本フィルハーモニー定期演奏会に足を運んだ。本稿は、これまでのクラシック音楽の鑑賞・独学のいわば「卒業レポート」になったので、仕上げは決して楽ではなかったが、音を楽しむのが音楽であり、執筆後の気分はまさに楽(らく)である。(「クラシック音楽への憧れ」)
(秀樹杉松 82巻/2379号)