親川記: 東京の川歩き 6)
大横川(2013年4月15日) / Atelier秀樹
第6日は4月15日(月)、墨田区、江東区を南北に流れる大横川へ。
大横川は、墨田区の業平橋付近で北十間川から分流して南下し、竪川、小名木川、仙台堀川と交差し、江東区木場公園付近で東から来た横十間川を合流する。木場駅近くで右折して西に流路を変え、南下を続ける大横川南支川を分流。西進を続け、汐見橋で「平久川」と交差。そのまま隅田川を目指して西北に向かい、終点寸前で北(右)からの「大島川西支川」を合わせ隅田川へ合流。
万治2年(1659)の開削当初は、「北十間川」との合流点(業平橋)から南下して「小名木川」と合流する、文字通り大横川(江戸城に向かって横にながれる、川幅二十間と広い川)であった。元禄14年(1701)木場の移転に伴い、小名木川と交差して南に延伸。この延長部分は、開削の元禄8年(乙亥)にちなんで「亥之堀」。
木場から隅田川まで西に流れる部分は、元は「大島川」。昭和40年施行の河川法(水系をまとめて把握)により、水系を一にする「大島川」が「大横川」に組み入れられた。これに伴い、木場から水量を減らして更に南下を続ける大横川は「大横南川支川」となった。さらに地図を見ると、仙台堀川と大横川(元の大島川の部分)を結ぶ川は「大島川西支川」となっている。つまり、東西に流れる大島川は大横川と改称され、南北に走る支川だけに大島川の名前が残されたことになる。
ところで結果として、川名の通り江戸城に向かい横(南北)に流れる川幅二十間の「大横川」が、途中から西に直角に曲がって(つまり縦に)隅田川に向かう川となり、川名の由来が有名無実となってしまった。同じことは、仙台堀の一部をつなげて直角に西進(すなわち縦に)することになった、前々項の横十間川にもいえる。
水系で川の名称を整理統合するのも分かるが、何となくさびしい気もする。時代の流れ、歴史の変化といえばそれまでだが、“あちら立てればこちら立たず”で、複雑な気持だ。発想を転換すれば、元々自然に流れていた河川にせよ、人間の必要から造られた堀・水路にせよ、時代の要請で手が加えられ河川名も変遷するのは当然ともいえる。だから「川に歴史あり」だ。
なお、この大横川の一部が埋め立てられ「大横川親水公園」として生まれ変わり、1993年開園。総延長1850mの大規模な墨田区立公園。公園部分は北十間川と竪川の間で、竪川以南は河川「大横川」である。
さて、都営地下鉄浅草線の本所吾妻橋駅で下車。駅周辺の白いツツジ、ハナミズキが咲いているので先ず撮影。スカイツリーの直下なので見上げてパチリ。北十間川の小梅橋、東部橋を見て写真に。
大横川(親水公園)の起点・業平橋(浅草通)から南下開始。最初のうちは川幅も狭くとぎれるところもあり、花園あり、大横川親水公園が続く。釣堀は多くのシルバーたちでにぎわっている。→平川橋。人工の川がとぎれとぎれに流れている。→横川橋(春日通)。
「すみだむかしばなし」が塀に絵入りで彫り込まれている。→紅葉橋、法恩寺橋(蔵前橋通)、清平橋、長崎橋、総武本線鉄橋、江東橋(京葉道路)、撞木橋(馬車通)。→竪川(高速7号小松川線)と交差。
竪川の菊花橋、新辻橋がよく見える。この交差を過ぎると、水量たっぷりの運河となり、川縁の歩きとなる。→南辻橋、菊柳橋(工事中)、菊川橋(新大橋通)。この辺りからスカイツリーがよく見えるのでパチリ。
お昼を過ぎお腹もすいたので、新大橋通の弁当屋でサバの味噌煮弁当買って公園で食す。すごく美味い。→猿江橋を過ぎると小名木川と交差。小名木川の新高橋の八重桜が綺麗なのでパチリ。→扇橋(清洲橋通)、亥之堀橋。
既述のように、大横川は開削当初は小名木川までだったが、後に小名木川以南に延長されてた部分を「亥之堀」と名付けたとある。「亥之堀橋」がその名残だろう。このように、まさに“橋にも歴史あり”だ。
→三石橋(美術館通)、福寿橋。この付近から多目的広場・イベント広場・噴水広場・ふれあい広場などを含む広大な「木場公園」が右側に始まる。
大栄橋過ぎると直ぐに仙台堀川と交差。交差点近くの仙台堀川の崎川橋と木場公園大橋まで足のばしてパチリ。木場公園大橋は吊り橋で、すごく目立つ、。
→茂森橋(葛西橋通)、豊木橋。横十間川と交差。→大横橋、沢海橋(永代通)。
大横川はこのあと右折して、旧大島川部分の大横川となって西に進み、最後は隅田川へ合流する。本日は歩き疲れたので此処までとし、完歩は次回のお楽しみ。
(秀樹杉松 83巻/2392号)