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葛西用水

 親川記:東京の川歩き                               

 15葛西用水(親水水路)    (2013年5月6日)       /  Atelier秀樹

 

 葛西用水路スタディ> 

 きのう歩いた「亀有上水」コースは、亀有4丁目から南下して、お花茶屋駅平和橋通を越えて水戸街道に接する四ツ木丁目で終わった。葛西用水路はこれで終了かと思った。下町川歩きといいながら足立区には行ってないので、ネットで足立区の親水公園を調べたら、「葛西用水路」が出てきた。何のことはない、昨日歩いた葛飾区内の亀有上水の北に接続して、足立区を北上するのがこの葛西用水路である。昨日の続きのつもりで、早速きょう5月6日(月:振替休日)午後馳せ参じた。

 

 きょう歩いた、足立区の南端から北端(埼玉県境)までのコースは、現地案内板によれば「葛西用水親水水路」といい、これまでの親水公園とはちょっと異なる名称だ。そういえば、公園というよりは水路と遊歩道が延々と続く。なお、歩き終えてから地図を仔細に見ると、葛西用水路は埼玉県に入ってからも北上を続けて、最後の方は「八条用水」の名前で越谷市の元荒川にたどり着く。昨日の由来記の「水源は瓦曽根溜井(現越谷市)」に符合する。

 この二日間で、葛西用水路が埼玉県越谷市の元荒川から発して、東京足立区・墨田区に至る長距離の用水路であることを勉強し、実際に一日半かけて踏破し、要所を写真に収めたことになる。三大用水の一つを歩き通し、とても楽しく為になった。

 

 <葛西用水路歩き> 

では歩きの記述に入ろう。急に思いついたので午後から出かけた。亀有駅で(前日と反対の)北口下車、昨日と同じ(ポーズは違うが)両津勘吉があったので、今日もパチリ。葛西用水路が暗渠化されている道に出て、通りを北上する。最初の400メートル位は葛飾区管内の普通の道路だが、車道の両側は整然とした街路樹。「この通りは、福祉のまちづくりのモデルとして整備された道路です」との葛飾区の案内板が大きく出ている。 

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 直ぐに足立区に入り、100メートルで「北三谷橋」。ここから「親水水路」が始まる。「葛西用水親水水路」の立て看板。名称が若干違うので、「親水公園」とはやや雰囲気が異なる。入口に大きな水車(実物?)。途切れ途切れの水流。水流と歩道(自転車道も兼ねる)は別々になっているが、場所によっては、細い水流の側に歩行者専用の小径もある。石で護岸された川の流れは細くなったり、少しだけ広くなったり。草木に覆われて流れが見えなくなっている部分もある。大小の橋がある。大きな橋にはしっかりした橋名鈑が残されている。

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 第六天公園過ぎると東和親水公園。ちょっと大きい。流れで遊ぶ子どもたち。間もなく五叉路の大谷田橋。その上を環七が通る大谷田陸橋。この交差点を水路に越えるには「大谷田地下道」をくぐる。地下道過ぎて快適な親水水路をさらに進む。たから橋、かっぱ橋、中川小学校、日時計塔、堤田橋、上之橋。実物そっくりの白鷺と亀の模造。ねむのきばし。本物の亀を発見し、あわててパチリ。夫婦だろうか、よく撮れている。

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 東淵江橋。「橋名の由来」が出ている。江戸時代は武蔵国足立郡淵江領。東京府となり、明治22年の市制・町制施行で北三谷、蒲原、大谷田、普賢寺の4か村と佐野、長右衛門の2新田が合併して東淵江村誕生(渕江領の東部の意)。由緒あるこの地名残す為に「東淵江橋」と命名。そういえば他にも、大谷田橋、北三谷橋、かばら第二橋、佐野橋、新田橋などを見かけた。大谷田陸橋、大谷田地下道もある。地図開くと、蒲原中学校、大谷田小学校、渕江高校などもある。 自治体の歴史に対する見識がみてとれる。

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 立派な「足立区立郷土博物館」に着く。「郷愛」の銅像。おとめ橋、下之橋、大鳥橋。小広い遊歩道でシルバーたちが何組か将棋、周りを取り囲む仲間も多い。佐野橋、境橋、ちびっこつりはし、新六木橋、新田橋、ささのはばし、あやめばし、新広橋。大小の橋が多い.車道中心ではなく、地域住民に密着した“生活橋”という感じ。整備された遊歩道、水流が延々と続く。中川と綾瀬川を結ぶ「花畑運河」との交差する「桜木橋」に到着。花畑運河は川幅があるので、桜木橋は結構な長さである。

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f:id:hideki-sansho:20170902082326j:plain あと少しで埼玉県境に出る。橋がどんどん続く。橋名確認できたのだけでも、ちびっこばし、新中之橋、根郷橋、上耕地橋、上之橋、・・・。「ちびっこばし」の辺りでは、子どもたちが釣り糸を垂れたり、数人で戯れたり、親子で遊んだり、橋名にふさわしい微笑ましい光景が見られる。もう直ぐに埼玉県境だ。散策中の人に訊いたら次の橋が県境と教えてくれた。前記で紹介したように、葛西用水は確かに、見沼用水・明治用水とならぶ三大用水であろう。

 最後の写真を2・3枚撮ろうとしたら、「メモリーカード残量なし」と出てこれ以上の撮影不能となった。いつかもそうだったが、土壇場での不運。2MBのメモリーな筈なのに、70何枚で一杯になるのはおかしい。締めくくりの写真撮れないのは本当に残念。分かっていれば撮影調整できたのに!楽しい親水水路歩きだったのだから、こういうことも思い出の一コマと諦めよう。

 写真には撮れなかったが、東京(足立区)と埼玉県(八潮市)境の「垳川」(がけがわ)に架かる橋は「ふれあい桜橋」。川名の看板を見て一瞬「桁川」(けたがわ)と読んだが、川名を目を凝らしてよく見たら、木偏ではなく土偏である。見たことのない漢字、漢和辞典ひいても見付からない。機転で、合流する綾瀬川をネットで調べたら、合流河川として垳川が出てきた。読めないのは当然で、ネットに次のような注記が付されている。

 →「垳(がけ)」の字はJIS第二水準漢字で、この河川と八潮市の地名(垳)表記以外には使わない区画整理で地名が消滅の危機にあり、地元住民の保存の動きがある」。川の歴史だけでなく、漢字の勉強にもなった。

 垳川は今では中川と綾瀬川を結ぶ、僅か2.1キロの短い川だが、江戸時代初期までは綾瀬川の本流とある。綾瀬川の南下に伴い、綾瀬川と切り離され、さらに中川とも遮断されて、川の機能を失ったそうである。時代の流れで足立区も八潮市も用水の必要がなくなり、川を挟んだ隣同士の友好を深めようと「平成泉橋」が架けられた由。川の歴史は当に人の歴史、地域の歴史でもある。橋の両側にわかれて住む人達の友誼もある。

 通行人に確かめたら、帰りはここから「つくばエクスプレス」の八潮駅まで歩くか、直ぐ近くの停留所からバスで綾瀬駅に出るか、の二つという。迷った末に、バスで綾瀬駅へ。綾瀬から帰宅。

                         (秀樹杉松  84巻 / 2401号 )