秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

「親川記」について

 

 小生(Atelier秀樹)は、8月12日に「書くこと」でブログに初登場しました。20日前のことです。そこで自己紹介したように、それまで私製雑誌『秀樹杉松』を81巻/2360号まで“発行”して、特定少数者へ寄贈してきました。今回紙印刷と決別し、82巻/2361号からブログ「秀樹杉松」執筆に切り替えました。

 この3週間でブログ公開したのは『秀樹杉松』82巻/2361号~2380号と、83巻2381~2400号の、2巻40号となりました。(20号を1巻としています)。内容的には、以前に執筆した『定年後のわが人生』から、「クラシック音楽への憧れ」と「我が山歩記」を、今回ブログで公開しました。

  『秀樹杉松』は『Atelier秀樹ノート』の3回目の改題誌です。小生の私製雑誌発行の嚆矢となった『Atelier秀樹ノート』創刊号が、東京の川歩き紀行「親川記」です。この記念すべき紀行は、写真抜きの文章だけです。この川歩きは単なる歩きではなく、「歩き+写真撮影+紀行執筆」だったので、今度のブログ公開では写真を付けることにいたしました。

 小生はウォーキングに凝って歩き過ぎ、変則性膝関節症が悪化して歩行困難を来し、「人工関節置換手術」を受けました。このため、「親川記」で紹介している川歩きは、本文にも書きましたように、「右手に杖、左手に地図、首にカメラ」のいでたちで、ゆっくり歩きました。正直告白すれば、ただ歩くだけでなく、写真撮影をするのは結構大変でした。これを3ヶ月あまりの期間に32日も、川歩きに出かけたのですから、「歩き+写真撮影」だけでも結構なアルバイト(労働)だったようです。

 加えて、記憶と写真を頼りに紀行文を執筆しました。時が経つと感動や記憶も薄れるので、できるだけ帰宅したらその日のうちに(遅くても翌日までに)、パソコン入力するよう心がけました。それはやはり、親川記」というタイトルに込められた小生の気持に集約されるでしょう。つまり、「我が親愛なる川」「その川に親しむ」に尽きます。「親川記」は、自分的には“労作”のつもりです。

 写真入りの「親川記」は既に15回分を投稿公開しましたが、まだ17回分が残っています。写真はどうやらブログにはなじまない感じがするので、大幅に絞って最低限の数を掲載するようにしています。写真アップロードの容量が厳しいのに驚いたり、なるほどそれも致し方ないのか、と諦めたりしている作今です。いろいろな対応策も考えられるようですが、煩雑なことを面倒臭く思う歳になった?のか、なんとか柔軟に処しながら、公開投稿を細々続けていこうと考えている次第です。

                             (秀樹杉松 84巻/2402号 )