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渋谷川・古川(1)

親川記: 東京の川歩き (22)

渋谷川・古川 (1)    (2013年6月2日)       /  Atelier秀樹

 

 今日6月2日(日)は「渋谷川」と「古川」を歩いてきた。当初の動機「下町の中小河川歩き」が、いつの間にか世田谷区の烏山川と蛇崩川緑道にまで足が伸びた。ここまでくれば自然と他区にも目が行く。地図を見たら渋谷区を渋谷川が流れている。さらにネットで検索したら、港区内の古川が一本につながっていることも分かったので、今度は此処だと即決した。先ずは、以下の“にわかスタディ”の成果を「川歩記」のイントロとする。

 

 <スタディ編>

 1)共に二級河川両川は一本につながってはいるが、上流の渋谷区内(渋谷駅前の宮益橋~天現寺橋2.6km)を渋谷川下流の港区内(天現寺橋~河口4.4km)を古川と呼ぶ。このためか、「渋谷川・古川」との記述が多い。(渋谷から発して河口の東京湾まで一筋に流れる川なのに、川名を一本に統一しない事情があるかも)。

 2)渋谷川の源流・支流は、現在ではほぼ全てが暗渠化されて下水道に使われ、渋谷川流入していない。源流は隠田川(西側)と宇田川(東側)で、両川の合流点:宮益橋(現在は暗渠化)から渋谷川が始まる。源川とされる隠田川は新宿御苑(四谷大木戸)から渋谷までの川だが、古地図などには名前が見えず「渋谷川」と記されていることが少なくないので、隠田川を含めて広義の渋谷川と見なすこともできる。この見方をとれば、渋谷川の水源は四谷大木戸(新宿御苑)ということになる。

 3)次に、もう一つの源流とされる宇田川に流れ込んでいた「河骨川」(こうほねがわ)は、文部省唱歌「春の小川」のモデルともいわれる。そういえば、代々木5丁目付近の小田急線路沿いに、歌碑と解説板が建っているのは以前から見て知っている。(なお、モデルの小川は長野県説もあるそうだ)

 4)行ってみて気づいたが、これまで歩いた川とは大きく様相を異にしていた。川の名称に親水公園・親水緑道が付いてない、いわば普通の川。しかも、近くの神田川善福寺川などのような、川縁の遊歩道が全くない両岸とも川からはるか離れた所に道路があり、通行中の人は川の流れを見ることができない。橋を渡るときに川があることに気づく。渋谷川の存在そのものが知られていない状況。また、川の両岸はV字・U字状のコンクリートの絶壁で保護され、水は下の谷底を流れている感じであった。

 この感じがうまく表現できないのでネットから引用する。1986年から老朽化した護岸を包み込む形で、コンクリート護岸による河川改修を行った。川の沿線はビルや住宅が密集し、古川は殆どの区間が高速道路に覆われている。・・・。

 渋谷川・古川は街中を流れており、遊歩道も無いので、正直魅力に乏しい川歩きではあった。したがってこの「川歩記」も書くことは多くない。橋の数は40を少しこえるほどおおいが、たいした特徴も無いので、以下橋名を上流から列記するにとどめる。

 ⇨宮益橋(跡)、金王橋(こんのう)、八幡橋、徒歩橋(かち)、並木橋(旧鎌倉街道)、新並木橋(旧並木橋駅跡)、氷川橋、上智橋、比丘橋、庚申橋、渋谷橋(明治通・駒沢通)、人道橋、一本橋恵比寿橋、新橋、山下橋、新豊橋、回生橋、天現寺橋、狸橋、亀屋橋、養老橋、五之橋、白金公園橋、四之橋,新古川橋、古川橋(高速道路)、三之橋、南麻布一丁目児童遊園橋、二之橋,小山橋、一之橋、一之橋公園、新堀橋、中之橋,赤羽橋、芝園橋、将監橋、金杉橋、新浜橋,浜崎橋、新浜崎橋。

 天現寺橋渋谷川と古川が繋がる。今日は後記する事情で、古川の「新堀橋」で歩きを止めたので、「中之橋」以下の8橋は未踏となった。ほぼ完歩と言えなくないが、最後の「新浜崎橋」と河口の海が見られなかったという意味では、画龍点睛を欠いたものに終わった。

 さて、今日は思いがけない経験(失敗?)をした。何しろ川沿いの遊歩道が無いので、ビルや住宅を間に挟んだ道路を、川を見ないで歩くことになる。だから正確にいえば今日のは、川を見ながらの「川歩き」ではなく川が見えない・川から離れた・単なる「道路歩き」ということになる。珍しく川沿の道を発見して数メートル進んだら、住居への連絡路に過ぎず行き止まりだった.右岸と左岸で川と道路の間の間隔が当然に異なるので、時々橋を渡って対岸側の道路に移ることもある。

 道路を歩いていても川が見えないので、歩いている道路の右か左か不明になることがある。方向音痴?の小生には困ったことであり、前記の失敗?はこれと関係がある。つまり、橋を渡って反対側の道路に出たはいいが、橋をカメラに収めた後、進行方向ではなく、うっかり今来た方向に逆戻りしたのである。しかも、そのUターンに直ぐに気づかなかったのだから仕様がない。

 もうそろそろだと思われる、渋谷川と古川の境界「天現寺橋」に着かないのはおかしいな、と思い始めた。いくつかの橋の写真を撮るうちに、あれ?同じ名前の橋が前にもあった?と気がつき、もしかして逆方向に歩いているのでは、と思い始める。念のためバス通りに出たら、小生の歩いている方向と「渋谷駅」行きのバスの進行方向が一致している。渋谷から歩き始めたのに渋谷に向かっている!間違いなく方向違いだ。それでも不安で、通行人に「渋谷どっちでしょうか」とたずねたが、答えをきくまでもなかった。あわてて今度は反対方向に向かう。どの辺で間違えたか、戻りながら地図でも調べた。

 「恵比寿橋」から「新橋」まで歩き、反対側即ち橋の向こう端に渡って橋名板を撮影し、その側の道路に出た、と思われる。そして、それまでの右岸側の道路ではなく、今度は反対の左岸側の道路を歩き始めたが、何と!逆方向(つまり来た方向)に歩いたことになる。何故このように反対側の橋名を撮影するかというと、漢字と仮名の表示があるのでなるたけ漢字の方を撮りたい。だが漢字が消えかかって読みにくかったり障害物で隠されている場合は、橋の反対側の表示盤を撮るからである。

 「新橋」の次の山下橋に向かうべきところを、今通ってきたばかりの新橋に引き返したのである。何故気づかなかったか?最前の道路なら当然気づいたであろうが、反対側の道路なので風景が全く異なるのだ。それに、暑い日射しの中を歩きながらの橋名撮影に神経が集中していたこともある。さらに、橋名は撮影したが一々名称を確認する訳でもなく、機械的にパチリパチリ撮るだけである。以上弁解みたいだが、どうしてこういうことになったかの、事後分析である。

 以上長々と書いたが、今回の川歩きは、新しい発見や思わぬハプニングもあり、その意味では有意義で楽しかった。“川に歴史あり”を強調してきたが、“川歩きは人生の歩みに似たり”も付け加えたい。

 

 <写真編>

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                              広尾公園   ↑  

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                          (秀樹杉松 84巻/2409号)