秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

呑川(2)   

                 親川記:東京の川歩き

               29)呑川(2)

         歩いた日:2013年6月17日   /  Atelier秀樹

 

 6月17日(月)。一昨日に続く呑川歩きの第二日田園都市線都立大学前で下車、直ぐに歩き出そうとしたが、やはり方向感覚がおかしい。呑川都立大学前駅付近で直角に右折する(東進から南進へ変わる)が、その方角変化に追いつけないようだ。“西か東か”ではないが、どっちが向かうべき南か判別できないのだ。通りがかりの人(乗客?)に教わって、やっと呑川橋自転車置場から緑道を南下する。

 

 「目黒区みどりの散歩道:呑川・自由が丘コース」の大きな道標。呑川本流緑道・東京工業大学方面の矢印に従って歩く。「呑川本流緑道案内」(東京都目黒区)の地図。ここにも来るべき都議選のポスター。緑道といっても、中央帯に巨大なサクラの木が植えられており、桜並木の両側の細い道を人間が歩く構造。もちろんサクラだけでなく、植物や低木もあり、花壇として整備されている所もある。「花のある街、やさしい風:めぐろ花いっぱい運動」の木札が花壇にぶら下がっている。先生に連れられて、園児たちがお揃いの帽子で手をつないで歩いてくる。顔を写してはいけないので、背後からパチリ。帰宅して写真をよく見たら、一番後ろの子がこっちを見ている。

 

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 目黒十一中。「呑川緑道利用について」の掲示板。緑道(二枚橋~工大橋)が歩道(赤)と自転車道(青)の二分帯となり、自転車道は上り下りに分けられている。区分がはっきりしているが、平気で自転車道を歩いている婆さんに注意したら「ありがとう」。「轟橋」の下をくぐる。直ぐに東急大井町線東急目黒線。どっちか不明だが片方が高架になっている。大井町線の「緑が丘駅」。線路を渡ろうとしたら、細い地下道になっているので、潜って両線の南側に出る。ここからは呑川は開渠となり水流が見られる。「清流の復活ー呑川(東京都)の大きな看板。これまで川歩きのあちこちで「清流復活」の看板を目にしてきたが、どれを見ても感動的だ。看板や記念碑はなんとも誇らしげに写る。

 要点が整理されたいい文章なので、部分的に引用する。

呑川上流は極めて局地的にかんがいの水源として、下流は小舟の舟運にされていましたが、都市化の進展や陸上交通の発展とともにその利用状況が大きく変化し、水質の悪化や水量の減少がみられました」「平成7年3月より東京都では清流復活事業を実施し、呑川で清流の復活を行いました」「呑川に流れている清流は、新宿区上落合にある落合水再生センターで高度処理した再生水を利用しています」・・・。

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 喉も渇いたので自販機でジュースを買い、歩きながら飲んできた。ちょうど其処が小公園なのでベンチに腰掛けて残りを飲み干す。だが、空き缶の捨て場所が見付からない。杖・カメラ・地図帳持参なので、これ以上空き缶を持ち歩くわけにもいかない。困った。

 地図を開いてこれからの歩きを確認。そしたら、自宅での下調べのときに東工大の構内に「ひょうたん池」があるのを知り、ぜひ立ち寄って見たいと思ったことを思い出した。ところが地図を精査したら、その池のある場所は通り過ぎているではないか。Uターンしてさっき越えてきたばかりの線路の反対側に戻らなければならない。折角の機会だから見て帰ろうと決断。ついては、手元の空き缶が気になる。東工大まで持ち歩くのはできないから、とりあえずここに置いたまま(一時的な不法捨て?)にして、舞い戻ってきたときに改めて考えよう、という結論を出した。直ぐ近くに橋の工事関係者が一人休憩中だったので、この人に頼んで処分して貰おうかとの考えもちらついた。何となく辺りを見たら、「<お知らせ>当園にはゴミ箱がありません。ゴミは各自が持ち帰り下さい」の看板が立っている。図星である。ともかく空き缶をベンチに“一時預け”して東工大に向かう。

 その東工大への道が大変で、何人かに尋ねてやっと辿り着いた。初めてわかったが、東京工業大学は本部などは大田区に、その他は目黒区にある。しかも、大岡山(東西南北4地区)・石川台.緑が丘などに区分されている。「ひょうたん池」は大岡山実験棟の側にある。地図には出ているが名前が無い。現地に行って見たら金網に張り巡らされた瓢簞状の小池で目立たない。池の周りは樹木。学生に訊いてもストレート応答が帰ってこないほどだ。さびしい暗がかった場所。「警告ーこの場所での犬を連れての立ち入りを禁止します:東京工業大学」の目立つ看板。池は注意しないと見つからないが、この警告板は直ぐ目につく。一般人の近寄る場所ではない思いがしたが、こういう警告文が掲出されているのだから、来る人もいるのだろうか。なにせ名前が「瓢簞池」ときけば、小生のように三四郎池」を連想して駆けつける者もいるだろう。ともかく探すのに時間がかかり随分と歩いたが、結論は「やはり立ち寄ってよかった」。

 

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 東工大実験棟構内の「ひょうたん池」を見て、呑川の清流復活の小公園にもどる。さっき置き放した空き缶が、勿論そのままの状態にあった。すぐ近くにはさっきの工事関係者が未だいる。思い切って事情を話して善処をお願いしてみた。「ああいいですよ。自分のものと一緒に処分します」「アリンコがいっぱい入ってますね」。感謝感謝!

 昨日は緑道歩きだったが、今日は文字通り川歩き。当然に橋もある。その分撮影が増えるが楽しさも増える。せせらぎのみち・上呑川児童公園。園内には7本の石柱に呑川物語」が書き込まれている。1)呑川の源流、2)灌漑用水、3)耕地整理と長栄桜土手、4)農業用水から排水路、5)中土手、6)呑川の開削、7)海苔船。七つの呑川物語は要領よくかかれている。もちろん全部写真に撮ってきたので、ゆっくり読める。このうちから少しだけ引用する。

⇨ △最上流地域では、かつては呑川を「石川」と呼んでいた。(そういえば、石川町・石川台中・石川台駅がある)。△大正15年、呑川の改修で、両岸に幅5.4mの道が作られ、2000本の桜の木が植えられた。(既述のように、いまの緑道も桜並木の面影がある)。

 △中流部の上堰橋から双流橋までの流れの中央部に土手を築いて分流し、大森方面への灌漑用水を確保したが、この「中土手」はしばしば上流の溢水の原因となったので、昭和6年に撤去された。

 △洪水の氾濫の防止と下流を運河として舟運の便を図ろうと、昭和6年夫婦橋から下流の付け替え工事が行われ「新呑川」が誕生し、呑川は現在、緑道としてその名残をとどめている。

 △大森付近の海苔漁業は昭和38年位まで続いたが、呑川下流は海苔業者が海苔船をけい留する河岸として利用された。往事、両岸は海苔養殖の資材置場や海苔干しの風景が展開し、にぎわいをみせていた。(この記念碑に書かれている事柄の大部分は、最後の第三回歩きに該当する。その日の歩きが楽しみだ。)

 

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島畑橋。石川町二丁目第二児童公園。石川台中、リバーコミュニティはなぞの。遊園地(狸/兎のオブジェ)。島本橋。華園児童公園。柳橋。石川橋(中原街道)。呑川:清流の復活」の石標と「清流の復活ー呑川ー」(前出と同じ)看板。一ノ橋。東急池上線。宮前橋。ちょっと入った石川台希望ヶ丘商店街で弁当買って、雪谷教会側の日陰で昼食。「神よ、私のうちに清い心を創造し、新しく確かな霊を授けて下さい」と入口に書かれているのを眺めながら。山下橋。西の橋。雪谷小。雪の橋。居村橋。川は中原街道の石川橋から第二京浜の池上橋までは、東南方向へ一直線に流れる。従って、川沿いの緑道も真っすぐに何処までも続く。橋も短い間隔でどんどん架けられている。

 円長寺橋。雪谷中。鶴の橋。水神橋。鷹の橋。谷中橋。面白いことに、三つの橋の上にゴミ袋が山積している。近くの道路工事のためか。吾妻橋。境橋。JR線(東海道新幹線横須賀線)高架。芹が谷橋。本村橋。道々橋。久根橋。八幡橋。中之橋。根方橋。長栄橋。北の橋。池上橋。第二京浜。谷築橋。鶴林橋。稲荷橋。流れが緩く右折。色は烏に似ているが、大型の黒鳥が羽をいっぱいに広げて日向ぼっこ?中。パチリ。黄金色の百合の花。これも撮る。霊山橋。左側一帯は広汎な池上本門寺と本門寺公園。少し離れているのでよく見えないが、アップで撮影したら池上本門寺朝市」の幟が出ている。霊山橋際に巨大な石標が建っており、撮ってきた写真でみると「一天四海皆帰妙法」と刻まれている。文化八年とあるから、歴史年表見ると1811年、200年前ということになる。妙見橋。養源寺、養源寺橋。亀が泳いでいるのでパチリ。動きが速いので上手くは撮れてない。浄国橋。

 

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 前出の中土手の掲示が出てきた。「歴史物語:中土手」のタイトルで解説されている。堤方の八寸から直流した「六郷用水」は、この辺りで呑川と合流し、現在の上堰橋から双流橋付近までの呑川の中央に築かれていた、「中土手」と呼ばれる分水堤で分流され、東側は大森方面へ、西側は蒲田方面へ南下していた。だがこの中土手は上流部の溢水の原因となり(農業用水としての利用も減少)、昭和6年に撤去された、とある。なるほど、次の橋(池上通に架かる)は「堤方橋」だ。件の旧六郷用水の跡が普通の道路になっているのでパチリ。池上通りは賑わっており車も多い。

 今日の歩いた距離・大分経過した時間・帰りの電車の便を考えて、そろそろ打ち上げにせねばと地図を調べる。蒲田駅あたりで終えようかと思いつつ、浄国橋から双流橋まで一直線で南東に流れる呑川を歩き進む。一本橋。上堰橋。若宮橋。日蓮橋。双流橋。太平橋。山野橋。ここでもう一度地図を見て最終決定。この「山野橋」を今日の川歩きのthe endとする。呑川に別れを告げて、地図見ながら東進。京浜東北線東海道本線を渡って、梅屋敷通から京急線「梅屋敷」へ。駅手前の「珈琲館」に寄る。13年前に方南町店から遥々梅屋敷に引越した店主を知っているので、品川方面に行ったらなるたけ立ち寄るにしている店。2年ぶりなので、杖つきの小生を驚きながらも歓迎してくれた。梅屋敷駅は高架に変わっていた。何となく二年の歳月?を感じる。久しぶりに訪れた梅屋敷周辺を夢中で撮りまくる。

 

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 これにて、呑川の第二回歩きは終了。次の第三回がラストウオークだが、いつになるかな?(歩いたのは6月17日だったが、「川歩記」の本稿が書き上がった今日は6月21日である。歩きに「歩記」が追いつけなくなった。歩き過ぎなのか、書くのが遅くなったのか、いや、両方かもしれない)。

 後日ネットで調べて判明したこと付記する。2回目の呑川歩きの the endとした「双流橋」。ここから右折して南下するのは何故かと思っていたが、古くはこの辺りで「六郷用水」の南堀と北堀が合流していたそうで、それとの関係らしい。因に、昔の呑川は蛇行する小さな川で灌漑用水としても使われたが、水量が天候に大きく左右され水争いが絶えなかった。そこで解決のために六郷用水が作られた、そうである。

                                                            (秀樹杉松 85巻/2438号)2017.10.1