秀樹杉松

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呑川 (3)

        親川記:東京の川歩き (30)    

   呑川 (のみかわ)(3)       歩いた日:2013/6/18      /  Atelier秀樹

 

 

 呑川のラストウオーク、いつになるかと思っていたが何のことはない、翌日の6月18(火)日に行ってきた。しかもこの日は午前中病院でMRI検査(腰痛)、受検終わってその足で出かけたのだから、我ながらびっくり。

 きのうは京急梅屋敷駅から帰宅したが、きょうはコースを変えて一つ先の京急蒲田駅で降りた。昨日ゴールした橋は駅の北にあるので、東口で降りて直ぐ呑川に出て、蛇行する流れを遡るのが普通。だが、遡及して渡った七つの橋をまた渡って下るのも味気ないし、遠回りになる。そこで、川ではなく普通の道路を歩いてショートカットしようと、地図見ながら歩き出したが、方向感が狂いまたも道に迷った。結局は時間短縮どころではなかったが、例によって「これも川歩きのうち」と達観。

 

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 やっと、昨日の一つ下流「馬引橋」から歩き開始。川幅が広く水量も豊かだ。右手に工学院大学呑川はほぼ直角に左折(東南方向)。地下道を潜ってJR線の東側に出る。宮之橋。青らん寺。御成橋。蒲田小。大田区都市基盤整備部の掲示板呑川浮遊物清掃作業について」が出ている。

⇨「浮遊物が沈殿、堆積し悪臭の原因となり、流木、ビニール等また下流舟航に重大な影響を与えておりますが、河川浄化を図る目的で」「収集フェンスを10日間在置します。その間満潮時には浮遊物が上流側に散乱します」。 

 つまり、浮遊物のために悪臭が生じたり舟の運航に支障をきたす場合は、10日間「収集フェンス」を川に設置する、ということのようで、実際直ぐ近くにフェンスによる囲いができていた。掲示板には、フェンス取付日:平成25年6月17日、取外日:6月24日、とペンタッチで書き込まれている。随時消したり書き入れたりするのだろう。そういえば、ちょうど今は梅雨の時期。清流を蘇らせたとはいえ、こういう不断の努力・施策が維持されているのを知った。そして現場も見た。今日の川歩きの大収穫。

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 直ぐ隣には「呑川の生き物たち」(てくてく緑道ー呑川)の掲示板があり、近くで見られる魚としてボラ・コイ・マルタ・マハゼ、鳥としてキンクロハジロホシハジロヒドリガモ・ユリカモメが絵入りで例示されている。続いて菖蒲橋(あやめばし)多摩堤通りだ。直ぐ近くの東邦医大通(鬼タビ通)との交差点の名前が「あやめ橋」。周辺は賑わい、活気がある。「呑川 Nomikawa River:川をきれいにしましょう」の、綺麗で目立つ看板。菖蒲橋の欄干には、アヤメの花柄模様が彫刻されている。川はゆったり広い、そして橋はどれも個性があり美しい。仲之橋(鬼タビ通)。柳橋。京浜蒲田柳通り。弾正橋(京急線)、橋架け替え工事中。京急蒲田駅

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 夫婦橋第一京浜)到着。この夫婦橋は呑川の歴史上特記に値する。前記したように、夫婦橋から下流は蛇行しているので、直線で海に注ぐ新河川(呑川)が作られた東京府が昭和6~10年の5カ年計画で河口から夫婦橋まで開削したもので、その結果、川幅27m・深さ4.54mとなり、海から舟が入るのが可能となったそうである。呑川は昭和24年以降だけでも計24回の改修を重ね、現在も継続している。川と住民と役所。こうした三者の連携(闘争と協調)の中にこそ、長い永い川の歴史物語がある。 

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        呑川                夫婦橋 

 

天神橋。清水橋。川岸に舟が舫っている。左手に東蒲中。蒲田から糀谷に入る。宝来橋。宝来橋の左手・東蒲中付近から「旧呑川緑道」が始まる。もともとの「呑川」であるが、昭和10年に完成した直進する新呑川の開通によって役割を終えた。昭和30年から埋め立てられ、昭和50年(今から38年前)に「旧呑川緑地」となった。今日これから「新呑川」のゴールについたら、そこから運河の西を北上して「旧呑川緑地水門」に辿り着き、そこから緑道を遡って新旧分岐点の東蒲中まで歩く予定である。北糀谷橋。北糀谷橋広場。舟の数が増える。漁船・釣り・海苔?。(呑川と海苔については後記)。

 さて、「宝来橋」からは「新呑川だ。人工の川らしく真っすぐ東に流れる。北糀谷橋。川に繋がれている舟の数がいっぱい。河口も近い。北糀谷橋広場。八幡橋。近くに子安八幡神社。神社からも援助があったのか?赤色の派手な、立派な橋だ。産業道路と交差、呑川新橋。大森南一丁目公園、テラスあり。川が舟で埋まっている。東橋。末広橋。末広橋児童公園。藤兵衛橋。川には舟がぎっしり

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 「呑川防潮堤耐震補強工事(その7)」の大きな掲示。大田区の耐震・津波対策などのため、都は、呑川水門・貴船水門・北堀水門・南堀水門を閉じるなどの、大掛かりな耐震補強工事をはじめている。(これについては、更に後記の予定)

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 旭橋。この後は橋がなく、普通道路を直進。「武蔵野の道:大井・羽田コース」の地図入り掲示板。土手を登って海に出る。呑川の河口は地図で見るのと現地では感じが異なる。海老取川でもあるが、直ぐ海とつながっているので、運河・海だといっても間違いなかろう。「親水型防潮堤施設案内図」の説明板。「この親水型防潮堤は台風の時の高潮や地震の時の津波によって起こる水害から、私たちの街を守るための施設で、あわせて水辺に親しむことができるように造られたものです」。そういえばちょっと見たことのない形のブリッジ型の防波堤だ。隣の北堀水門も見える。水門と防波堤は確かに形も役割も違う。

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 今日の歩きはまだ「旧呑川緑地」が残っている。これから呑川緑地の河口に向かわねばならない。地図で見る限りは、ここから迂回しなければならないが、念のため居合わせた人(二、三人いた)に伺ったら、迂回せずとも、海沿いに真っすぐ北西に行けば着くと教えてくれた。そこで、大森5丁目の「森ケ崎水再生センター」「森崎公園」の右側、運河の左側の小道「大森緑道」を歩いた。距離はけっこうあるが、ひたすら歩く。潮見児童公園。森ケ崎海岸公園。途中から「大」を催して困っていたが、着いた所が公園で施設もある。入ろうかと彷徨いていたら、男二人が後ろに立っている。工事服きているので、区役所の担当者であろうか、トイレ内の蛍光灯交換のようである。先に仕事させた後にこちらの「大事」を足す。

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 呑川水門。道確認のために会話した水再生センターの職員が「呑川水門も渡れますよ」と教えてくれたので、水門に入ろうとしたら、左手に「これより中に入ったら警察に通報する」との掲示が出ている。何だ、話が違うではないか!致し方ないので、遠く離れた所から水門をパチリ。グリーンの単葉。(あとで分かったが、近くの三つの水門も殆ど同じ作りなそうだ)。直ぐ近くに大森東と昭和島の間に架けられた「大森東避難橋」が望まれるのでパチリ。災害対策の一環(手元の地図には載ってないから最近だろう)。仕方ないので水門立ち入りは諦めて、旧呑川緑道の出発点(河口)に行く。やっと緑道のスタート点と見られる小公園に着く。(注:古くは旧呑川緑地、今は同緑道?)

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 その辺を撮影してから、ベンチに腰掛けている男の人に声をかけた。「水再生センターの人に訊いたら呑川水門にあがれる、と教えて貰ったのに、行って見たら立ち入り禁止、入ったら警察に通報すると掲示されていたので、怖くなって帰ってきた」と話したら、「そんな筈はない。私も今ヒマだから一緒に行って見ましょう」。二人で出かけ、今度はさっきの反対側から入って、先刻の掲示の所に行ったら、立ち入り禁止の場所は水門にのぼる階段ではなく、直前の左側の扉に貼ってあった。うっかり(横にあった掲示)を見て、先には進めないと勘違いしたのだ。「警察に通報」に怯えたのかも。真相判明したので、階段をのぼって水門を見ることができた。やはり、一人で最終決断せずに他人に「つぶやいた」ことがよかった。「大田区立貴船堀緑地」もある。

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 川歩きしていること、呑川を三日がかりで探訪していること、河口近くに船がいっぱい係留されていたこと、などを話したらすごい関心を示され、大森は海苔漁業が盛んだったこと、少し先に行けば「海苔のふるさと館」があることを教えてくれた。何だったら行って見ませんかと誘われた。この後の予定もあり時間も夕方に近づいており、正直どうしようかと迷ったが、「折角の機会ですので、改めて来れるかどうかも分からないので、一緒に行って見ましょう」。二人でしばらく歩くと、さっき見たばかりの水門が見えてきた。あれ?さっきの所に戻りましたねと声をかけたら、違いますよ、あれは「貴船水門」です。近くに昔貴船堀が流れていたんですよ。そういえば、水門の形そっくりですね、ということになった。実は、下調べの段階で、近くに「貴船水門」があることを知ってはいたが、まさかその水門に来れたとは!今日はこの方のお陰で色々な知見・経験ができたことに感謝。貴船水門の写真と大森南避難橋を写真に収める。運河の側におりたら、京浜港の向こう側(大森東一丁目)に「のりのふるさと館」が遠くに見えたので、望遠でパチリ。よく写っていた。心からのお礼を申し上げて別れる。今日の思わぬ出会いであった。

 何とか終点の東蒲中まで明るいうちに(写真撮影できる明るさのうちに)着きたいので、急ぎ足で歩く。「呑川の由来」の掲示板、パチリ。要領よくまとめられている。「大田区立旧呑川緑地」のモニュメント。「旧呑川緑地」の道標。途中で右折して産業道路。直ぐに左折して進んだら、目当ての東蒲中。確かにここで旧呑川緑地は終わっている。河口から遡って来たからゴールだが、上流から来れば分岐点のスタートとなる。

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 此処からだと京急蒲田駅が近いが、例の喫茶店で休憩しようとの気持で、図書館、体育館、第一京浜を通って梅屋敷駅へ。珈琲館で一服してから帰宅の途へ。今日もまた楽しく有益な川歩きであった。「新呑川」と「旧呑川緑道」の両方を歩き、それ以外にも足を伸ばしたから相当の距離を踏破した。

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 三回に及んだ「呑川歩記」もやっと書き終えた。歩きと歩記執筆は正直楽ではなかったが、完歩した喜びと心地よい疲れ、そして書き上げた充実感ををかみしめている。(書き上げた今日は、歩いた日の4日後の6月22日である)

                                                                          (秀樹杉松 85巻/2439号)2017.10.2