親川記:東京の川歩き (35)
六郷用水 (再生) 歩いた日:2013年6月30日 / Atelier秀樹
三日前に果たせなかった、中原街道から東南に湧き水を使って再生した「六郷用水」を目の当たりにして、喜びと感動に浸った。地図では隣の沼部駅付近まで流れているので、500メートルも歩いて沼部駅から帰宅する予定を立てたが、行って見たらなかなか終わらない。途中で何人かに訊いたら「直ぐ其処でお終いです」。意外と知られていないのだ。結局、もう一つ下流の「鵜の木駅」まで続いていた。今改めてウイキペディア覗いたら「多摩川駅~鵜の木駅」となっている。
「六郷用水の跡」の記念碑。「六郷用水流路図」。本来の六郷用水は更に東進して海に注いでいたことが分かる。流路図を見ると、途中南北(北堀・南堀)に引き分かれ、その後も何本かに枝分かれして灌漑の役割を果たしていたようだ。
水は適当に澄んでいて、真鯉・緋鯉などが遊泳している。群れをなして俊敏な動きを見せるので、カメラに収めるのに一苦労。なかなか好い作品は撮れない。
亀が何匹も水際の草原で甲羅干し。撮ってきた写真で数えたら9匹。まとめての写真とアップでの4匹。まあ何とか写っている。イイカメだね、亀ちゃんは。夫婦か親子か重なるように体を寄せあっているのも。
アップで金魚一匹撮ったが、写真見たらシャッターを切った瞬間に大きく動いたらしく、水の輪ができている。
一匹だけで泳いでいる亀を撮影したが、写真見たら甲羅の真ん中がペンキを塗ったように白くなっているが、これはその部分に太陽の光線が当たっていたから。
小型の水車が再生されており、説明板によるとジャバラ(足踏み水車、踏車ともいう)と呼ばれる揚水用水車の模型。早春や干ばつ時の水が少なくなった時に、羽を足で踏んで回転させ、田に水を揚げたという。またも「六郷用水の跡」の石碑。
「六郷用水物語 Promenade Of Rokugo Irrigation Ditch」が地図入りで掲出されている。簡潔に曰く「六郷用水とは、六郷領(現在の平地地域)の灌漑を目的として、江戸時代初期に幕府代官小泉次太夫により開削された農業用水です」。(本掲示板ではジダユウは次太夫と表記されている)。日本語のタイトルは「物語」だが、横文字の方は「プロムナード」(遊歩道)。湧き水を使っての「六郷用水」の再生といわれるだけ、川幅は狭いが澄んだ水流だ。川底に敷き詰められた石がはっきり見える。蜜蔵院。またまた石碑「六郷用水の跡」。
綺麗な流れだから当然だが、鯉が群れをなして泳いでいる。何枚もパチリパチリ。
再生の六郷用水の流れもついに終わり、これより下流は道路。通行人に確かめると東急多摩川線「鵜の木」駅は近くだという。やっとの思いで鵜の木駅にたどり着く。夕方の4時は過ぎていたのでは。(今回の川歩きシリーズでは時間や距離は殆ど意に介していない)。
お茶でも飲んで少し休憩しようと喫茶店を探したが見つからない。交番にきいたら、近くの「ガスト」を教えてくれた。行って見たら単独のドリンクは売っていない、飲み放題とか何とか、難しいことをいう。面倒そうなので、断って外へ出る。通行人に訊いたら喫茶店は直ぐ近くにあった。店の名前しか看板に出てないので気がつかなかった。それにしても、交番のお巡りさんは新人だったのかな。
今日のハイライトは、最初は「等々力渓谷」。締めは「六郷用水」。過去一回位しか乗ったことのない東急多摩川線、そして初めて聞く「鵜の木駅」。楽しく有益な川歩きであった。心地よい疲れと満足感をかみしめながら帰宅。
<編集註記>
「親川記:東京の川歩き」シリーズは、本号にて終了します。ご愛読ありがとうございました。
(秀樹杉松 86巻/2444号)2017.10.4