秀樹杉松

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「北町村の脅威」 ~政治家の言葉・発信~

 「政治家発信の自由」を考える    /  Atelier秀樹

 

 1)ここ数ヶ月間は「北町村」委員長と「USO」大統領による、今にも戦争が始まるかのような応酬が続いて、世界を不安に陥れた。USO大統領を正面切って応援し、親密ぶりをアッピールしたのは、某国「騒狸」。選挙戦でも真っ先に口をついて出たのは「北町村の脅威」だった。そして「その脅威から国を守る」と絶叫した。選挙戦の勝敗を決めたのは、「狐狸妖怪劇場」と言われた「民心」分裂による野党分断の成功にあったが、この「北町村の脅威」叫びが最大の効果をもたらした。

 

 2)政治は言葉で決まり、言葉で動くという見方がある。多くの人は「政策」よりも、大統領・首相・党首の言葉で判断し行動するようである。勇ましい言葉、頼りになりそうな発言、それが雄弁であればあるほど、国民も耳を傾ける。とりわけ「外国の脅威」は、最も有効な結集の力学をもたらす。脅威と国防を叫んで選挙戦を戦って“勝利”したのだから、「北町村」には感謝・感謝ですね。そして勿論それを煽ったUSO虎暗武にも。「北」は願っても無いサポーターだったでしょう。足を向けて寝られない?

 3)政治家の発言は確かに重要だが、近年いわゆる「失言」を問題にされて糾弾されたり、閣僚や議員を辞職するケースが少なくない。確かに明らかな「問題発言」ではあるが、ちょっとした発言・発信が問題視される傾向が無きにしも非ずだ。そして問題視されると、その政治家は「言葉足らずであった」「真意が伝わらなかった」などと弁解するのみか、多くは糾弾にたえかねて陳謝・離党・辞任などに追い込まれる。

 4)正直言えば、「問題発言」にはある意味真実をついていると思われるものもある。言わんとする内容が正しいかどうかではなく、言おうとしている意味自体はちゃんと伝わるものも結構あるのでは? 問題発言者を擁護するつもりはそれこそ「サラサラない」が、問題発言=本音なのどから、堂々と真意はこうだと「説明」した方が良いのでは?そうしないのは、属する党派への迷惑を最小限にとどめ、自身の次回選挙での落選を防止したい、にあるようです。

 5)新しく立ち上げる政党へ「合流」する場合、受け入れ側がある程度の選別・排除するのは当然で、それをけしからん排除の論理と決めつけたのもどうか。政策の一致を求めたのだとする当事者の発言は、その通りではないか。しきりに反省し陳謝する姿も嘆かわしい。それまで大いに持ち上げていたのが、その一言を理由に見限ってしまう。「一言一句に一喜一憂」「勝手に持ち上げたり突き落としり」・・・何ともはや。

 6)マスコミも含めて、「政治家の発信の自由」を保障すべきではないか。その良し悪しは国民や有権者が判断する、そういう政治風土が期待される。もっとも誰かのように、「丁寧に説明する」は名ばかりで、自説を機械的に何度も繰り返し、結局は質問者や国民の疑問・疑惑には何ら答えようとしない、のはお断りですが。

                                          (秀樹杉松 87巻/2465号)2017.10.24     #105