続・「内藤新宿」ものがたり ~第123回 ミニウォーク 「宿場町・内藤新宿と新宿御苑菊花壇展」~
【内藤新宿の歴史】を巡ってきました。 / Atelier秀樹
<主催> TWA(東京都ウォーキング協会)
<とき> 2017年11月4日(土)
<コース>
大番児童公園(新宿区大京町)~多武峯神社(駿馬塚の碑)~玉川上水・内藤新宿分水散歩道~太宗寺(ミニ博物館)~成覚寺(供養塔)~天龍寺(時の鐘)~新宿御苑(菊花壇展鑑賞)
<みどころ>
内藤家がこの場所を江戸の下屋敷にしたのは、家康からのある提案があった。その後、甲州街道第一の宿場町として繁栄していった。今回は、江戸時代からの内藤新宿の歴史を巡る。新宿御苑では、毎年恒例の日本庭園において皇室ゆかりの「菊花壇展」を開催。菊花の咲き誇る花々のご鑑賞をお楽しみに。(TWAのチラシから)
(本号の内容)
「内藤新宿」について詳しく調べた「内藤新宿ものがたり」を、『秀樹杉松』前号(11/1付)に収めました。この号は続編です。前号では多武峰神社(駿馬伝説)、成覚寺(投げ込み寺)を取り上げたので、本号では太宗寺(銅造地蔵菩薩蔵)、天龍寺(時の鐘)、新宿御苑「菊花壇展」について書きます。なお、今日歩きながら撮ってきた写真をいくつか掲載します。
<太宗寺>(たいそうじ)
信州高遠藩主・内藤家の菩提寺であった。都内最大の閻魔(エンマ)像があり、江戸時代から新宿の閻魔様として親しまれてきたそうです。総高5.5mの巨像で、目をむき口を開けて見据える姿は拝観者を恐れさせ、子供のしつけのために参拝されたりした由。普段は観られないが、お盆の7月15・16日に御開扉されるそうです。
江戸六地蔵の一つもここにある。なお江戸六地蔵とは、品川寺(ほんせんじ。品川)、東禅寺(浅草)、太宗寺(新宿)、真性寺(巣鴨)、霊巌寺(江東区白河)、永代寺(江東区富岡)。
<天龍寺>
前身は遠江国にあった法泉寺とされる。法泉寺は徳川家康の側室西郷局(於愛の方)の父の菩提寺であった。西郷局が秀忠を産んだことから、家康の江戸入府に際し、遠江国から江戸牛込に移されたが、法泉寺の近くを流れていた天龍川に由来して、名を天龍寺と改めた。天和の大火により焼失し、現在地へ移転。江戸三名鐘の一つとされる梵鐘「時の鐘」が現存し、大晦日には除夜の鐘でその音色を聞くことができる。(Wikipediaより)
天龍寺 時の鐘(追い出しの鐘)
新宿区指定有形文化財(工芸品)。元禄13年(1700)牧野備後守成貞により寄進。内藤新宿に時刻を告げた。内藤新宿で夜通し遊興する人々を追い出す合図であり、「追い出しの鐘」としてして親しまれた。また江戸の鐘のうち、此処だけは「府外」であり、武士の登城する際時間がかかったことなどから、30分早く時刻を告げたという。上野寛永寺、市ヶ谷八幡とともに「江戸の三名鐘」と呼ばれた。(ネット「東京都新宿区の歴史」より)
<前号「成覚寺」(投げ込み寺)の補足説明>
遊女(飯盛女)投げ込み寺と通称されるが、供養塔には「子供合埋碑」(こどもごうまいひ)とありました。この時代は遊女のことを「遊郭に身売りされた子」という意味合いで「子供」と呼んだそうです。悲しい物語ですね。
<新宿御苑>菊花壇展
内藤駿河守、信濃高遠犯3万3千石の江戸屋敷の一部でした。明治に入り農事試験場を経て皇室の庭園となり、昭和24年に国民公園として一般に公開されました (TWAチラシより)。菊花壇展はさすが華麗でした。
太宗寺「銅造地蔵菩薩坐像」↑
太宗寺の「閻魔像」(えんまぞう)↑
成覚寺「子供合埋碑」(こどもごうまいひ)ー 飯盛女は子供と呼ばれていた。↑
天龍寺「時の鐘」(追い出しの鐘)↑↑
新宿御苑 「菊花壇展」↑
「菊花壇展」大作り花壇 ↑↑
(秀樹杉松 87巻/2473号)2017.11.4 Blog #113