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 大川周明 『日本二千六百年史』 を読む (上)

一緒に裁判中の東条英機の頭を叩いた大川 /  Atelier秀樹

 戦争教育と平和教育の両方を受けた「戦争と国民学校を知る世代」です。先日の新聞広告で大川周明『日本二千六百年史』を見て、是非読んでみたく早速購入した。著者の名前は有名なので知っているが、正確な書名は知らなかった。何しろ難しい歴史書なので、小説を読むようなわけにはいかず、齧った程度に終わったかもしれないが、一応読む機会に恵まれたのは幸いであった。

 

大川周明『日本二千六百年史』は今度で3回目の出版のようです。

→ 1) 1939年(第一書房)、2) 2008年(毎日ワンズ)、3) 2017年(同、新書版) 

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 今回の新書版について、毎日ワンズ編集部の解説から一部引用します。

→ 本書に収めたのは『日本二千六百年史』(第一書房)の初版本であるが、改訂版で削除された箇所を傍線で示し、読者の参考に供することにした。

→『日本二千六百年史』は昭和14年7月に発売され、たちまちベストセラーとなったが、軍部や右翼の一部から「国体違反」「不敬」などの批判が浴びせられ、発行停止の告発を受理した検事局から削除と訂正を求められた。このため昭和15年9月以降は改訂版となった。 

 <大川周明>について

 ① 図書現物の表紙カバー記載から

 昭和戦前の国民に多大な影響を与えた思想家明治19年山形県酒田市生まれ。荘内中学、熊本第五高等学校を経て東京帝国大学に入学、インド哲学を専攻。卒業後、拓殖大学教授などを務める一方、アジア解放、国家改造の実践に奔走、軍部に接近し、革新将校との結びつきを強めた。昭和7年5・15事件連座し禁固5年の有罪判決を受け服役。

 昭和12年に出所すると、すぐに勃発していた日中戦争から、さらに日米戦争へと突き進まんとする国家的機運の中で、アジア主義・日本精神復興を軸とする言論活動を精力的に展開、同14年にその集大成として『日本二千六百年史』を上梓するや、本書は官憲の弾圧を受けつつも、たちまち数十万部を売り尽くす大ベストセラーとなる。また日米戦争の劈頭NHKラジオで連続12回演説し、国民・将兵の士気を鼓舞した

 このため、戦後、日本思想界の象徴とみなされ民間人ながら東条英機元首相らとともに、A級戦犯に指定されたが、精神疾患を理由に免訴、釈放された。その後、コーラン全文の翻訳に傾注し、完結。晩年は農村復興運動などにも従事、昭和32年、71歳で死去。

 <註>この際だから、前項以外の次の二つのネット情報にも当たりました。類似した内容ですが、前項①にはない部分のみを付け加えます。なお、現物表紙カバーとWikipediaでは「思想家」だが、近代日本人の肖像では「社会運動家」と紹介されている。

近代日本人の肖像国立国会図書館

職業・身分 社会運動家

大正7年(1918) 南満州鉄道東亜経済調査局嘱託。8年満川亀太郎とともに国家主義団体猶存社を組織。行地社、神武会を主宰した。昭和6年(1931)「3月事件」「10月事件」に参画。

Wikipedia

 日本の思想家。1926年「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授・大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱導した。 

 ◉著者の大川周明戦争指導の者の一人として、民間人ながら東条英機らと同じA級戦犯で裁判にかけられ、法廷で東條の頭を叩いたことで有名。伝説ではなく実際にあったことで、YouTubeでも見られる。裁判長は大川を精神異常と判断し、1947年4月9日、正式に裁判から除外した。米軍病院に入院、梅毒による精神異常と診断されたが、その後の精神鑑定で異常なしとされた。

 東京裁判終了後間も無く退院。東京裁判で起訴された被告人の中では、裁判終了時に存命していて有罪にならなかった唯一の人物となった由。

◉大川の精神異常説への疑問もあり、そう主張する人もいるようである。ネット教えて!gooへの質問箱に「大川周明は本当に精神異常だったのか?私には、大川の「名演技」だったとしか思えないのですが」がある。また「YAHOO知恵袋」には「大川周明の精神病は東京裁判を逃れるための演技ですか?本当に精神病だったのですか?」が寄せられている。

 それにしても。戦後12年間生存し、イスラム教の聖典コーラン」全文の翻訳をしたなどとは、全然知らなかった。

 

               (秀樹杉松 87巻/2477号)2017.11/10   #blog117