大川周明 『日本二千六百年史』 を読む (補遺No.2)
削除箇所の「全貌」を明らかにしました。/ Atelier秀樹
『日本二千六百年史』(大川周明著)が削除を余儀なくされた文章。上・下・補遺の3号にほぼ全部収めたつもりでしたが、遺漏があったので、この号に補遺No.2として収録します。これを含む4号で、削除箇所100%を網羅したことになります。
(下線部分が削除箇所です)
→「後醍醐天皇の如き、日常の供御(食事)にさえも差し支えられ、臣民に宸筆を賜り、その礼物を以て生活を続けられ・・・」(第一章:序論)
→「先住民族の子孫も、はたまた帰化人の子孫も、悉く神武部族を中心とせる大和民族に同化せられ、・・・」(第三章:日本国家の建設)
→「この革新思想は、中大兄皇子の出現によって、大化改新として花開いた。皇子は、その幾多の短所を以てするも、実に日本国民が長く誇りとすべき英雄であった。」
→「天皇族をはじめ、幾多の氏族が私有せる土地人民を・・・」(以上二つは、第五章:大化改新)
→「仏教は大和民族の精神界に、完全にその王国を建設してしまった。一天万乗の至尊(聖武天皇)すら、親ら三宝の奴*(仏法のしるべ)を以て居り給い、国費を以て寺院を建て、・・・」(第六章:仏教は如何にして日本に栄えしか)
→「・・・その理想たる中央集権制度の実現はついに水泡に帰し、国民の政治的統一は全く失われて、極言すればほとんど無政府の状態に陥ったのである。(第十二勝:鎌倉時代の日本精神)
→「もとより平安朝僧侶は、奈良朝怪僧のごとき、驚くべき大胆と機略とを以て、逆様に朝廷を制せんとするが如きはなかったが、・・・」(第十三章:宗教改革者としての道元禅師)
→「あたかも幼少の天子を擁したる藤原氏の政治が弊害に満ち足りし如く、・・・」
→「以て天皇の禅機と文藻とを拝察するに足る。而して天皇はその反対党より狂者の名を得給えるほど、強大なる自信を有して居られた。」
→「しかるに御密謀は再び破れ、北条氏は遅ればせながら帝を隠岐に遷し参らせ、」(以上3つは、第十五章:建武中興)
→「皇室の御式微も実に室町時代の末期より甚だしきはなかった。年中の儀式・節会は多く廃せされ、恐れ多くも宸筆を以て用度を補い給うに至った。」(第十六章:室町時代)
→「さらに一世紀ならずして国家の元首自ら三宝の奴*を以て称し、国費を以て仏寺を全国に建立し、・・・」(第二十五章:徳川時代に於ける泰西文明の摂取)
→(日清日露戦時の平民)「けれども彼らは与えられるところなかった。また与えられて十分でなかった。しかるに正当に取得すべきものは、与えられずば之を奪わんとする。」(第三十章:世界維新に直面する日本)
*<編集註>
三宝の奴(サンポウノヤッコ)
聖武天皇は自らを「三宝の奴」(仏・法・僧の三宝に供養するため身を捨てて仏教の奴隷となること)と称し、歴代天皇で初の出家者となり、これ以降仏教は日本に広まっていくことになる。(ネット「ビクシブ百科事典」)
(秀樹杉松 88巻/2481号)2017.11.12 #blog121