二十六夜 二十六夜待ち 二十六夜山
明け方の空に有明月を観ました / Atelier秀樹
おととい11月16日の早朝5時半過ぎに、南東の空に三日月を逆さにしたような月が観られた。まだ辺りは暗い。三日月は夕方に見えるが、さて朝の月は「何月」といったかな、と思考。以前調べたことがある「二十六夜」かなと思って暦を見たら、陰暦9月28日る。
二日違いだから二十六夜とほぼ同じだと考えていい。しばらく見惚れていたが、写真撮影を思いついてカメラを向けた。だが、手の触れに大気層の揺れ?も手伝って、うまく撮影できなかった。何枚もの中から、辛うじて見られる感じの二つをコピーしました。ご覧ください。
三日月を見たたことがない人はいないでしょうが、二十六夜月や二十八夜月は滅多に観られません。何せ早朝の晴天に限られるわけですから。子供の頃から「天文少年」だった私は、星や月の勉強に興味があり、年寄った今でも関心を持ち続けています。そこで、「二十六夜」のことを少し書きます。
<月の満ち欠け>
⚫︎新月(陰暦1日頃)=朔(さく、ついたち)。月が見えない。
⚫︎三日月(3日頃)=通常、新月後最初に出る月なので、「朏」(みかづき・ひ)という文字で表されることもある。異称が多く、初月(ういづき)・若月(わかづき)・眉月(まゆづき) など。
⚫︎有明月(26日頃) 夜明けの空(有明の空)に登る月。本来は十六夜以降の総称。この時期に限定すれば「暁月」が正確か。古くは二十六夜講などの風習があった。
<二十六夜>
1)陰暦26日の夜
2)陰暦1月と7月26日の夜(特に7月)
<二十六夜待ち>
陰暦1月と7月26日(多く7月をいう)の夜に、月の出るのを待って拝む。月光の中に阿弥陀・観音・勢至の三尊が現れると伝えられた。六夜待ち。月待ち。
二十六夜は十五夜や十三夜と並ぶ月見の一つで、旧暦7月26日の月見のこと。この時期は月の出が遅い時間となり、月が出るのを待つので「二十六夜待ち」と言われた。
もともとは月待ち講の一つで、この夜の月光の中に阿弥陀三尊が現れ、それを拝めるという信仰であったのが、江戸期に入り月を待ちながら飲み食いして楽しむと、いうイベントに変化したらしい。
7月26日に出る月は、出しおに光が三つに分かれ、瞬時にしてまた一つに合するように見えるという。これを弥陀三尊の出現と見、実際にその光の中に阿弥陀・観音・勢至の三尊が見えるとも言われた。これを拝むと幸運を得ることができるとの信仰がかなり古くからあって、江戸では特に二十六夜待ちの行事が盛んであった。
<二十六夜山>
7月26日(新暦の9月上旬)高い山に登って、二十六夜の月の出を拝んだ。
⚫︎道志二十六夜山(山梨県都留市)標高1297.3m・・・私はこの山に以前登りました。
<小説・映画>
本では読んだことがなかったが、便利なもので、さっきデジタルで目を通しました。
⚫︎映画 二十六夜待ち 井浦新、黒川芽以のW主演(12月より上映とか)
(原作が佐伯一麦『二十六夜待ち』
*今回の調査で、佐伯一麦という作家を初めて知りました。映画化されて来月から上映されるという「二十六夜待ち」が所収されている『光の闇』(扶桑社 2013)を図書館から借りてきました。短編ですので早速読みにかかります。
(秀樹杉松 88巻/2488号#blog128