秀樹杉松

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島内景二「 友情の味は、恋に似て」 ~葉室麟『銀漢の賦』の解説~

 前号で葉室麟銀漢の賦をとりあげ、文春文庫版巻末の島内景二氏の「解説」の冒頭部分を紹介しました。この作品を感動の裡に読み終えた私ですが、とても感想など書けません。しかし、島内景二氏の名解説はまことに素晴らしく、どうしても紹介したいのです。この解説文を読んで、初めて葉室麟銀漢の賦』の作品を深く理解できました。この解説文自体が立派な文学作品ともいえるでしょう。あなたにも参考になると思います。そして、小説未読の方はぜひお読みください。(Atelier秀樹)

 

島内景二「 友情の味は、恋に似て」 ~葉室麟銀漢の賦』の解説~

 

→(前号掲載の文章に続く)

 大人の男が生きねばならぬ荊(いばら)の道の厳しさ。哀しさ。その人生の道筋には、美しい恋の花々も、剣や銃の戦いの火花も待ち構えている。だから、青年も女性読者も、引きつけられる。張り詰めた緊張感が緩む愉しい笑いも、絶妙のタイミングで強調される。

 登場人物の「志」の高さもまた、葉室麟の大きな魅力である。江戸時代に「政」に携わる武士として生きるためには、汚れ役や憎まれ役を自ら買って出る「覚悟」が必要とされた。悪が正しいのではない。自らを悪といわれようとも動じない堅固な心が、美しいのだ。

 

 けれども、牡蠣(かき)のように寡黙な「大人の男」の固く秘められた「志」の美学を、しっかりと見抜く慧眼の理解者がいる。それが「友」である。作者と読者の分身として、小説世界の中に深く入り込んだ「主人公の友」は、視点人物の役割を買って出る。そして、主人公の志の美しさを、しかと見届ける。それを、古典である漢詩や和歌に託して格調高く歌い上げるのが、葉室文学の最大の特色である。

 まさに「古典的」な現代小説、と言ってもよいのではないか。漢詩や和歌を、これほど絶妙に織り込んだ現代小説の出現は、文壇の奇跡と言ってよい。主人公の高い志が、香りと響きと陰翳に富む詩歌として結晶し、作品の凝縮力となっている。

 

 引用されている詩歌は、主人公の人物造形や、ストーリー展開と密接に結びついている。それほど、古典は新しい。そして、人間の魂の叫びは、それほど詩歌に近いのだ。葉室麟の小説は、現代人が忘却して久しい「詩心」を取り戻させてくれる。志を「剣・武・政・公」の領域とすれば、詩歌は「文・恋・私」の領域である。「志」は、「詩」そのものである。(略)

 

 → 十歳の前髪を垂らした少年が、二十歳の血気盛んな青年となり、三十歳の悩み多き壮年となり、やがて五十歳の白頭の老人となる。それが人生の定めである。葉室麟銀漢の賦』は、三人の男たちを登場させて、それぞれの人生の季節における「恋にも似た友情」を、情感たっぷりに描いている。

 一人は、松浦将監(しょうげん)。月ヶ瀬藩の名家老だが、文人月堂」としても、天下に名を馳せている。一人は、日下部源五。居合と鉄砲の名手である。そして、もう一人。笹原村の農民である十蔵。十蔵は、将監に書いてもらった、蘇軾(蘇東坡)の「銀漢」(天の川)の詩を大切にしていた。この三人が固い友情で結ばれた二十年後に、まず十蔵が死んだ。その二十年後に、今度は将監が死ぬ。

 「日下部源五」の「」と、「松浦月堂」の「」、そして十蔵の指針となった「銀漢=星辰」を合わせれば、「日月星辰」という言葉になる。三人は、苦しみ多き人の世に生まれ、友情の力によって天界まで登ろうとし、実際に登ったのである。(略)

 

    →武士としては松浦将監文人としては松浦月堂と名乗った好漢が、この作品の主人公である。彼は、十蔵と源五という二人の友人に支えられて、自分の人生の可能性を見事なまでに開花させ、命を使い切った。すなわち、生きることができた。彼は見事なまでに、生を全うしたのである。壮年期に差し出された十蔵の友情老年期に差し出された源五の友情。「私には友がいた」という充実感が、将監の人生を輝かせる。

 この小説では、天の川を意味する「銀漢」という言葉が、三人の男たちの友情のシンボルとなっている。少年時代から博識だった将監は、他の二人に向かって、「」は「男」という意味ではなく、漢江、すなわち大河のこと」だと教えたことがあった。

 それから四十年前。幽明、堺ママを異にしても、黒髪の青年が白頭の翁と変わっても、友情は変わらない。十蔵の潔い死の上に、自分の成功があったことを物語る「銀漢」の漢詩を、将監が源五から見せられる場面がある。(略)

 

 →本書の作中人物である三人の男たちは、友情の奇跡によって、「日月星辰」という天界の住人となった。すなわち、日月星辰を詠んだ蘇軾の漢詩の中の住人へと転生した。その漢詩「中秋月」には、次のような一節があった。

 

 暮雲納め尽くして清寒溢れ 銀漢声無く玉盤を転ず

 

 小説の中では、「日暮れ方、雲が無くなり、爽やかな涼気が満ち、銀河には玉の盆のような名月が音もなくのぼる」、と解説されている。

 

 だが、読者の耳には、名月が夜の空へと登ってゆく蕭然たる響きが聞こえてくるだろう。それにつれて、遥かな高みの銀河から地上へと向かって、薄荷(ハッカ)のような芳香が、まるで雪のように降り注いでくるのを感じるに違いない。その音と香気こそが、人間の真実を描写し尽くした後で、作者が付け加えた感想であり、「思いの丈」なのである。

 葉室麟の「思い」が、余情として、作品の余白から読者に向かって迸(ほとばし)っている。それが、この作品のメッセージだ。銀漢の賦』は、心地よい風のように、読者の心を清涼感で満たす。この風は、読者の生きる世界を丸ごと爽快感に包んで、吹き渡る。

 

 →葉室麟の時代小説は、現代日本の暗雲を吹き飛ばす一連の涼風である。作者のメッセージを心の耳で聞き取り、魂全体で感じ取った読者は、現代社会と現代文明に対する葉室麟の辛辣な批評精神が、熾烈に、しかも美しく燃えさかっていることにに気づくだろう。ここから、新しい日本文学の領域が切り拓かれる。(国文学者・文芸評論家)

                 ~葉室麟銀漢の賦』(文春文庫)p.274~283 から

 

<追記>

銀漢の賦』は、第14回松本清張賞(2007年度)受賞作品。

 2015年に「風の峠〜銀漢の賦〜」としてテレビドラマ化(NHK木曜時代劇)

 キャスト中村雅俊(源五)、柴田恭兵(将監)、高橋和也(十蔵)、ほか

 

      (秀樹杉松 90巻2522号)17/12/28  #blog<hideki-sansho>162