坂めぐり(第19回=2018/1/1)湯島坂、相生坂、昌平坂、妻恋坂、清水坂etc.
2018年「坂めぐり初め」は、湯島界隈の坂を選びました。湯島天神は大行列で初詣はできませんでしたが。 / Atelier秀樹
<2018 坂めぐり初めのコース>
(地下鉄御茶ノ水駅)~昌平坂~相生坂~湯島坂、樹木谷坂~横見坂~清水坂~新妻恋坂~妻恋坂~立爪坂~ガイ坂~三組坂~実盛坂~中坂~切通坂~(地下鉄上野御徒町)
昌平坂(しょうへい)
千代田区と文京区の境界線上にある坂。昌平の名は、湯島聖堂に祀ってある孔子の生まれた中国魯の国の昌平郷にちなんでつけられた。別名の団子坂は、急坂で団子のように転ぶということから、住民が呼んだ名。湯島聖堂南側の神田川沿いの坂も昔は昌平坂と呼ばれていたが、今は相生坂と呼ばれている。(千代田区観光協会)
相生坂(あいおい)
→前項「昌平坂」参照
湯島坂(ゆしま)
『東京案内』には、「神田明神の前を東に下る坂は湯島坂なり。また、本郷坂ともよぶ」とある。(saka.30maps.)
湯島聖堂・神田明神の間を通る坂であるため、湯島坂・明神坂の名がついたであろう。(sakagakkai.)
樹木谷坂(じゅもくだに)
別名、地獄谷坂。本郷通りの東京医科歯科大北門の前から、東京ガーデンパレスの東側を通って蔵前通りに抜ける道。横見坂と向き合う。(sakagakkai.)
横見坂(よこみ)
坂下の蔵前通りの新妻恋坂の一帯は、かつて樹木谷といわれ、樹木が茂っていた。この谷から湯島台に上るこの坂の左手に富士山が眺められた。町の古老は、西横に富士山がよく見えて、この坂を登るとき、富士を横見することから、誰いうとなく横見坂と名付けられたと言っている。(tokyobunkyo.blog.shinobi.jp)
清水坂(しみず)
文京区湯島二丁目と三丁目の間。江戸時代この辺りに霊山寺があったが、明暦の大火で焼失、浅草へ移転。明治になって清水精機会社の所有となった。
妻恋神社
妻恋坂(つまごい)
別名、大超(長・帳・潮)坂。文京区湯島3丁目。妻恋神社があることからこの名になったようです。悲しい名前の坂。(sakagakkai. , 4travel.jp)
新妻恋坂(しんつまごい)
昭和4年に通じた通称蔵前通りの坂。江戸の坂である妻恋坂通に並行しているので、新妻恋坂り名付けられた。
立爪坂(たてつめ)
文京区湯島3丁目。妻恋坂の途中から妻恋神社の東側を北に入る狭い道。爪先を立てて登る坂という意味でこの名称がある。(sakagakkai.)
中坂(なか)
「御府内備考」に、「中坂は妻恋坂と天神坂との間なれば呼び名とすといふ」とある。江戸時代には、二つの坂の中間に新しい坂ができると中坂と名付けた。(tokyosaka,sakura.)
ガイ坂
文京区湯島。『江戸切絵図』を見ると、「立爪サカ」の北に「ガイサカ」とある。ガイは芥の濁音。(tokyosaka.sakra.
三組坂(みくみ)
文京区湯島3丁目。1616年徳川家康が駿府で亡くなり、家康御付きの中間(ちゅうげん)、小人(こびと)、籠方(かごがた)の「三組」の者は江戸へと召し変えられ、当地に屋敷を賜った。駿河から帰ったので、里謡にこの辺り一帯を駿河町と呼んだ。元禄3年、三組の御家人拝領の地である由来を大切にして、町名を「三組町」と名付けられた。元禄以来、呼び慣れた三組町は、昭和40年4月以降、今の湯島三丁目となった。(tokyobunkyo.blog.sinobi.jp)
実盛坂(さねもり)
文京区湯島3丁目。別名、貝塚。この坂の南側に、実盛塚、首洗いの井戸や産湯の井戸があったという伝説めいた話が、『江戸砂子』や『改撰江戸志』に載っている。(sakagakkai.)
中坂(なか)
「御府内備考」に、「中坂は妻恋坂と天神坂との間なれば呼び名とすといふ」とある。江戸時代には、二つの坂の中間に新しい坂ができると中坂と名付けた。(tokyosaka,sakura.)
切通坂(きりとおし)
「御府内備考」に「切通は天神社と根性院との間の坂なり」(saka.30maps.
<編集註>
撮影不手際?のため、「ガイ坂」「三組坂」「實盛坂」「中坂」「切通坂」の写真映像はアップロードできませんでした。
(秀樹杉松 90巻2527号) 18/1/1 #blog<hideki-sansho>2527