坂めぐ(第20回=18/1/3)富坂、壱岐坂、見返坂、菊坂、鐙坂、胸突坂、樋口一葉・宮沢賢治旧居跡、 etc.
元日の湯島界隈に続き、正月3日の今日は同じ文京区の本郷界隈の坂巡りをしました。樋口一葉、宮沢賢治、金田一京助・春彦の旧居跡も訪ねました。/ Atelier秀樹
<坂巡りコース>
(地下鉄春日駅)~富坂~東富坂~旧東富坂~真砂坂~壱岐坂~傘谷坂~見返坂~本妙寺坂〜菊坂~樋口一葉旧居跡~鎧坂~金田一京助旧居跡~宮沢賢治旧居跡~梨木坂~胸突坂~新坂~(地下鉄春日駅)
<歩きメモと写真>
富坂(とみさか)
文京区役所北側の春日町交差点から西へ上る坂(春日通)。(この坂だけ文京区小石川と春日で、あとは全部文京区本郷にあります)
東富坂(ひがしとみさか)
春日町交差点から東の坂(春日通)。別名、真砂坂。もともとこの坂は江戸の頃、木が生い繁り、鳶がたくさん集まってくることから「鳶坂」と言い、乙の頃からか「富坂」と呼ぶようになったという。
旧東富坂
東富坂(春日通)のすぐ南側から東へ伸びる坂。
真砂坂(まさござか)
現在は旧東富坂と呼んでいる。
壱岐坂(いきざか)
別名、壱岐殿坂(いきどのさか・いきどんさか)。
傘谷坂(からかさだにざか・かさだにざか)
湯島2丁目と本郷3丁目の間。サッカー通。
見返坂(みかえりざか)
本郷通と春日通の交差点(本郷3丁目)から北の本郷通り。別れの橋、見送り坂、見返り坂の道標参照。
本妙寺坂(ほんみょうじざか)
旧菊坂町(昭和40年までの町名)一帯には菊畑があった。坂を菊坂、坂下を菊坂町と名付けた。町内には、振袖火事の火元の本妙寺があった。
菊坂
本郷4丁目と5丁目の境。菊坂の周辺には古い家並みが残り、樋口一葉などの旧居跡がある。「文の京 一葉文学のまち」の道標もあった。宮沢賢治旧居跡、金田一京助・春彦旧居跡もあったのには驚いた。
宮沢賢治旧居跡
樋口一葉旧居跡
24年間の短い生涯のうち、約10年間現在の文京区内に住んだ。一葉も使用していたという「一葉ゆかりの掘抜き井戸」もある。すぐ近くに、宮沢賢治・金田一京助の急遽後間あったのにはびっくりしました。
一葉が使っていたという彫り込み井戸 ↑
金田一京助・春彦旧居跡
鎧坂(あぶみさか)
坂名の由来は、昔、こもあたりに鐙を作る職人の子孫が住んでいたこたが由来とする説と、坂の形が鐙に似ているからの説がある。
梨木坂(なしのきざか)
昔、大木の梨があったからといわれる。
胸突坂(むなつきざか)
旧な坂を上る時の姿勢から名付けられた。かつては、この坂が「菊坂」と呼ばれていたが、現在の菊坂の方に名前を譲って、こちらは「胸突坂」となった。
新坂
文京区内にある「新坂」と呼ばれる6つの坂の一つ。